令和元年11月

第179話 令和元年11月1日(金)「降格」辻あかり

「あなた、笠井先輩ばかり見てレズなんじゃないの」「よくその顔でダンス部に入ろうなんて思えたわね」「くさーい、ここって動物園だっけ」


 一昨日の部活中に、あたしが藤谷さんから言われた言葉の数々だ。

 これらの発言以上に、他人を見下したような彼女の薄ら笑いにあたしはカチンと来た。

 思わずつかみかかってしまい、取っ組み合いのケンカになる寸前で2年生の先輩たちに止められた。


 ダンス部の部長である笠井先輩からは何を言われたのか聞かれたが、あたしは具体的な言葉を告げられなかった。

 それを口にするのが悔しくもあったし、情けなくもあった。

 先輩はそんなあたしの思いに気付いて、「辻が何の理由もなくキレたりするなんて思っていないから」と慰めてくれた。


 ダンス部の他の1年生たちからはあたしに同情する意見が多かった。

 藤谷さんはあたしに対してほどではないが、他の1年生にも感じの悪い態度を取っていたようだ。

 彼女たちは口々に「あたしも嫌味を言われた」とか「バカにするような目で見られた」とか話した。

 自分が1年生部員の中で孤立せずに済んで胸をなで下ろす一方、同じ1年生の秋田さんからは辛辣な言葉を投げかけられた。


「あんな奴を相手にするんじゃないわよ。バカの相手をする奴もバカよ」


 容赦のない毒舌にあたしは何も言い返せなかった。

 更に、秋田さんはなぜ彼女があたしにキツいことを言ったのかを教えてくれた。


「藤谷さんは部長のお気に入りの座を狙っているんでしょうね。だから、いまその座にいるあなたに狙いを定めたのでしょう」


 秋田さんの意見に「あたしが部長のお気に入り?」と驚きの言葉を返す。


「もうみんな薄々気付いているわよ」


 秋田さんは冷たい目であたしにそう言った。


 あたしはソフトテニス部を辞めて、笠井先輩を追ってダンス部に入部した。

 他の1年生部員とは違う立場なのは間違いない。

 しかし、ソフトテニス部時代には時折指導を受けたといっても、それほど交流があった訳ではない。

 あたしは先輩に憧れていたが、先輩からすればあたしは後輩の中のひとりに過ぎないと感じていた。


「別にそんな関係じゃ……」とあたしは反論した。


 秋田さんはそんなあたしに興味をなくしたようにその場を離れた。

 それが今日の練習前の更衣室での出来事だった。


 ダンス部の練習は平日は月水金と決められていた。

 今日は水曜日にトラブルがあったあとの初めての練習となる。

 始める前に、あたしと藤谷さんはみんなの前で頭を下げた。

 あたしはみんなの練習を妨げて悪かったと感じていたが、藤谷さんは嫌々謝っているというのが顔に出ていた。


 昼休みに部長から呼び出されて、あたしは練習前に謝るように言われた。


「辻は悪口を言われた側だから謝りたくないかもしれないけど、部に迷惑を掛けたけじめとして謝って欲しい」と部長はわざわざ言ってくれた。


 あたしの行為で誰よりも部長に迷惑と心配を掛けてしまったことを後悔していたので、部長の言葉に従うことに否応はなかった。


 ダンス部の練習が始まる。

 AチームとBチームに分かれての練習だ。

 Aチームは前回と同じメンバーで部長の指導を受けた。

 Bチームは前回のメンバーに新規メンバーを加えた大所帯だった。

 顧問の岡部先生と副部長の須賀先輩がその指導を行っていた。


 一緒に練習するとその実力はよく分かる。

 Aチームの中でも、部長と渡瀬先輩は実力が飛び抜けているように見えた。

 ふたりを除く2年生は上手い人が半分、そうでもない人が半分という感じだった。

 そして、驚きは秋田さんで、彼女は2年生の上手い人たちに遜色ない動きを見せていた。


 今日は黙ったまま少し離れて練習している藤谷さんもダンスの実力はかなりあった。

 Aチーム全体でも真ん中くらいの上手さだろう。

 それに比べて、あたしはこのAチームでもっとも実力が劣った。


 練習中に集中を切らすようなことはなかったが、精彩を欠いているように見えたのだろう。

 今日の練習の終わりに全員が集まり、その場で部長の口からあたしのBチームへの降格が告げられた。


「練習に集中できないようだから」と理由を述べたが、藤谷さんではなくあたしが落とされたのは実力不足だからだろう。


 あたしはできるだけ感情を出さないように「はい」と答えた。

 その努力は失敗していた。

 いまにも泣き出しそうになっていたし、周囲もあたしを気遣うような視線を送っていた。

 あたしは歯を食いしばり、泣かないようにするのが精一杯だった。


 新加入メンバーの2年生の中から3人がAチームに昇格することが発表され、今日の練習が終わった。

 あたしはのろのろと更衣室に向かう。

 更衣室は先に2年生が使うので、あたしたちはその扉の前で待っていた。

 他の1年生はあたしを遠巻きに眺めていたが、ただひとり秋田さんが近付いてきた。


「私はあなたがBチームに行って良かったと思うわ」


 前置きもなく、彼女はそう言った。

 近くにいた子は聞こえたようで、ギョッとした顔をしていた。

 あたしは心を抉られたような気分で何も言い返せない。


「体力はあるけど、技術が足りない。このままだと贔屓だって感じたでしょうね」


 いまは秋田さんと藤谷さん以外の1年生とは別々に練習しているが、あたしの実力を知られるのは時間の問題だろう。

 そうなった時、秋田さんと同じように思う人は出て来るはずだ。

 それが分かっても、彼女のもの言いは厳しく、再び涙がこぼれ落ちそうになる。

 藤谷さんの嫌味もキツいが、秋田さんの言葉は正論なだけに何も言い返せなくて惨めな気分になってしまう。


 運動の経験がなかったあたしは中学からソフトテニス部に入り、笠井先輩から鍛えてもらった。

 ソフトテニス部では真面目に取り組んでいる人でも自分のことしか興味がない感じで、後輩の面倒を見てくれる先輩なんて本当に少なかった。

 体力は夏休みに頑張って人並み以上になった自信がある。

 しかし、ダンスの技術は体育の授業で習った分だけだ。

 Bチームの子たちと変わらない。

 ダンス部に入ると決めてから自主練をするようになったが、家の中で踊ることを禁止されている。

 うちは共働きで、お母さんから自分が帰ってくるまでにあれをやっておけみたいな家事の手伝いの連絡が来る。

 夜になってから近くの公園まで練習しに行くことも危険だからと止められた。

 襲われるような顔じゃないからと言ってもダメだの一点張りだ。


 そんな自分への言い訳を考えながら着替えを終えて帰ろうとすると、副部長の須賀先輩から呼び止められた。

 少し話がしたいと言われ、体育館裏へ行く。

 1年生の間で圧倒的に人気なのは笠井部長と渡瀬先輩だ。

 見た目も可愛いし、ダンスも圧倒的に上手い。

 更衣室ではどっち派かなんて話題が飛び出るくらいだ。

 そんなふたりに比べると影が薄い副部長だが、親しみやすくて話しやすいと評判だ。

 部長はちょっとキツいところがあるし、渡瀬先輩は後輩に話し掛けたりしてくれない。

 1年生としては優しい先輩がひとりいてくれると、とても心強い。

 あたしもきっと慰めてもらえるのだろうと思ってついて来たのだ。


「ごめんね、帰るところなのに」と言って須賀先輩は空を見上げた。


 まだ明るさが残っている。

 しかし、最近は日が落ちるのは早いから、帰った頃には暗くなっていそうだ。


「わたしね、運動部の経験がないの。だから、急に1年生の指導をしろなんて言われても、おろおろするばかりでうまくできなくて……」


 予想外なことに須賀先輩は自分のことを話し出した。


「今日はBチームの指導を岡部先生がすべてやってくれたんだけど、わたしもできるようにならないといけないって思っているの。部長の優奈からもそう言われているしね」


 須賀先輩は苦笑いを浮かべた。

 あたしはそれを聞いて、「はぁ」と頷くだけだ。


「こんなことを言うと怒るかもしれないけど、運動部の経験がある辻さんがBチームに来てくれて助かるなって思ったの」


「あたしも運動部は中学に入ってからですし、ソフトテニス部は緩かったのでそんな……」とあたしは言葉を返した。


「でも、辻さんは真面目に頑張っていたって優奈から聞いたよ」


 あたしはその言葉を聞いただけで喜びに打ち震えそうになった。

 笠井先輩があたしのことをそんな風に見ていてくれたなんて。


「実はね、一昨日秋田さんに、ダンス部についてこんな風にすれば良いとかあれば教えてねって頼んだのよ」


 唐突に須賀先輩が話を変えた。


「そしたらね、昨日のお昼休みに提案を書いた紙を山ほど持ってうちの教室に来てくれたの」


 秋田さんはあまり他人と関わろうとしないクールな子という印象があった。

 実際は口を開けば正論を吐くので周りから煙たがられているのだろうが。


「優奈が引くくらい熱く語っていたよ、秋田さん。厳しい意見が多くて、使えそうなものはあまりなかったけど、ダンス部のために協力しようという彼女の姿勢が嬉しかったの」


 須賀先輩は暖かい笑顔を見せた。

 たった一歳しか違わないのに、人間性の大きな差を感じる笑顔だった。


「辻さんにも協力して欲しいなって。練習で気になることがあったら教えて欲しいの。もちろん、一日も早くAチームに戻りたいだろうから、その邪魔にならない範囲でね」


「……協力、ですか」


「うん。いまのダンス部って優奈ひとりに大きな負担がかかっているの。本当は副部長のわたしが早く成長して優奈を助けてあげないといけないのだけど、わたしはまだまだだしね。わたしひとりじゃなくて、ダンス部のみんなで優奈やこのダンス部を支えて欲しいって思うの」


 ソフトテニス部にいた時もいまも、あたしは1年生だから助けてもらうことが当然だと思っていた。

 ソフトテニス部は緩いし、それなりに伝統もあるので、それでも良かったのだろう。

 ダンス部はできたばかりで、先輩たちだって手探りなんだと気付いた。

 産声を上げたばかりのダンス部がどうなっていくのか。

 それは創部に携わったメンバーだけでなく部員全員で作り上げていくものなんだとあたしは思った。


「あたしにできることがあれば頑張ります」とあたしは思いを言葉にした。


 そう告げることでようやくあたしはダンス部の一員になった気がした。


「ありがとう」と副部長がにこやかに微笑み、あたしは照れた。


「副部長って凄いですね」と照れ隠しに言うと、「わたしなんてまだまだだよ。わたしの周りには優奈をはじめ凄い人がいっぱいいるのよ。そのお蔭でわたしも成長できたかなって最近感じるの」と副部長は謙遜してみせた。


「ダンス部もそんな場所になればいいなって思っているの」と少し恥ずかしそうに語った副部長に、あたしは吹っ切れた表情で「はい」と賛同した。




††††† 登場人物紹介 †††††


辻あかり・・・ダンス部1年生。元ソフトテニス部。熱しやすく冷めやすい性格。


藤谷沙羅・・・ダンス部1年生。黄色いヘアピンがトレードマーク。男子からは人気がある。


秋田ほのか・・・ダンス部1年生。ダンス部は少数精鋭で良いと思っている。


笠井優奈・・・ダンス部部長。2年生。想像以上の大変さに頭を抱えている。


須賀彩花・・・ダンス部副部長。2年生。優奈の大変さを見てなんとかしたいと思っているが……。


渡瀬ひかり・・・ダンス部2年生。ダンスができて幸せ。

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