第143話 令和元年9月26日(木)「救いのない世界」内水魔法
どうしてみんな平気な顔で学校に来れるんだろう。
あたしは毎朝吐きそうになるのを必死に堪えながら来ているのに。
あたしの名前は
親がふざけて付けたこんな名前のせいで、毎日からかわれないかビクビクして過ごしている。
今はクラスの中心グループにいるからマホと呼んでもらって平気な顔をしていられる。
きっとあたしのいないところでは、みんな陰口を言っているんだろうな。
すっかり秋って感じになった。
朝は肌寒く、制服のブラウスの上にカーディガンを着ていきたかった。
でも、グループ内でカーディガンはボスのアサミの代名詞のようになっている。
夏の暑い中でも、彼女は薄手のカーディガンを羽織っていた。
あたしがカーディガンを着ていけば、アサミに目を付けられるんじゃないかと思ってしまう。
お母さんからは風邪を引くからと強く言われたが、あたしは黙ってカーディガンを着ずに家を出た。
うちのクラスの女子の頂点に君臨しているのはアサミとハルカだ。
ふたりともグループでいる時はそんなに無茶なことを言ったりはしない。
しかし、アサミは一対一になると試すようなことを言ってくる。
初めは学校帰りに寄った雑貨屋だった。
アサミは「そのまま持って出なよ」とあたしに言い、あたしはその言葉を断れなかった。
それから数日は眠れない夜が続いた。
彼女から「パパ活しない?」と冗談めかして言われた時は衝撃で固まった。
さすがに、すぐに「冗談よ」とアサミは笑ったが、その目はあたしの反応を愉しんでいるようだった。
あたしだけでなく、ふたりの下にいるグループ内の6人はそれぞれ同じような試練に直面しているようだ。
このグループから爪弾きにされることを恐れ、みんなアサミに逆らえないでいる。
6人は互いに牽制し合うような間柄で、表面的には仲良く見えても、決して相手を信用していない、むしろ憎み合っているんじゃないかと思うような関係だった。
ハルカの方は他人のことにあまり興味を持たない。
アサミとは仲良くしているが、あたしたちと積極的に絡むことは少ない。
そんなハルカがキレたことがあった。
相手は男子だったが、手に持っていた上履きで顔面を思い切り殴りつけた。
顔はやめなよとアサミが言うと、腹を数回思い切り蹴り、相手がうずくまると、彼女は上から見下ろした。
その姿を見て、絶対に怒らせてはいけないとあたしは脳裏に刻んだ。
朝の教室で他の子たちの様子をうかがう。
やはりグループ内でカーディガンを着て来たのはアサミだけだった。
あたしは様々な思いを笑顔の仮面の下に隠す。
仲の良さそうな演技を今日も続けなければならない。
「聞いた、聞いた?」と飛び込んできたのはトモコだ。
ちょっと空気を読めないところがあるが、情報通として一目置かれた存在だ。
みんなが興味を抱く中、「2年の先輩がダンス部を作るんだって」と自慢げにトモコは話した。
あたしはもっと詳しく知りたかったけど、無関心を装ってアサミの顔色を見る。
案の定、アサミはどうでもいいことのように聞き流した。
だから、みんなも同じような態度を取る。
トモコは「せっかくの最新情報なのに」と愚痴っているが、この結果は予想できた。
二学期になり、アサミは創作ダンスのメインメンバーになった。
これまで学校行事には興味がなかったのに、珍しくやる気を出した。
ハルカや運動部の子を誘って、彼女はクラスパートで主役として踊った。
本人は自信があったのかもしれないが、他の1年と比べても微妙な出来だった。
まして上級生のダンスと比べると、レベルが違いすぎる。
運動会が終わってからダンスのことを一言も話さないアサミに、こんな話題を持って来たところで相手にされる訳がない。
上級生のダンスはヤバかった。
見ていて鳥肌が立った。
わずか1年しか歳は違わないのに、なんでこんなに差があるのか不思議だ。
来年、あたしたちがこんなレベルのダンスを踊れるのか想像もつかない。
そもそもあたしはメンバーにも入れなかったので論外だけど、それでもダンス部という言葉には強く惹かれるものがあった。
移動教室に向かう時に、あたしたちはたまたま目の前にいたクラスメイトの女子をからかった。
美術部所属のおとなしい子で、よくオモチャにされている。
アサミは最初からオドオドしている子よりも、あたしたちのような普通の子が顔を引きつらせる姿を見るのが好きだと公言していた。
根っからのサドなのかもしれない。
あたしたちはアサミがいない時に、普段の鬱憤を晴らすかのようにグループ外の子をからかうことがあった。
ちなみに、ハルカはどうでもいいという顔でその様子を眺めているだけだ。
運動部の子の持ち物を隠した時に、その子の先輩が飛んできたことがあった。
それ以来、ターゲットはほぼふたりに絞られた。
ひとりはこの美術部の子で、もうひとりは部活に入っていないぼっちの女子だ。
ぼっちの方はムキになって反応してくるので、その子をいじるのがあたしの密かな愉しみになっていた。
あたしたちのひとりが美術部の子のノートを取り上げた。
彼女はノートによくイラストを描いている。
やはり今日も綺麗なイラストが描かれていた。
みんなは口々に「キモッ」と言ってからかう。
でも、彼女はじっと唇を噛み締めて耐えている。
そんな反応の薄さにあたしはイラッとして、イラストが描かれたページを彼女の目の前で握りつぶした。
少女の表情が醜く歪む。
それを見て、あたしはなぜか安心をした。
「やりすぎだ、バカ」とあたしはアサミに言われた。
午後の授業が急遽中止となり、ホームルームになった時だ。
昼休みにからかわれた子が泣きながら学校を出て行ったのが目撃されたそうだ。
授業がつぶれてラッキーなんて思っている場合ではなくなった。
ただふざけていただけなのに、あたしがイジメの加害者にされてしまう。
あの子に声を掛けてからかい始めたのも、ノートを奪ったのもあたしじゃないのに。
その場にいた仲間はきっとあたしに罪をなすりつけようとするだろう。
5時間目の終わり間際に担任が来た。
彼女が無事に見つかったと告げた。
教師として最低限の仕事だけしていますという感じの担任だが、今はいつもより真面目な顔をしているように見えた。
あたしが「魔法」という名前だといじめられるから「マホ」ということにしてくださいと真剣に頼んだ時、決まりだからの一言だけで片付けた教師だ。
終わりのホームルームでいじめに関するアンケートを書かされ、その後は特に注意されることもなく学校が終わった。
あたしは悪くない。
なのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。
苛立つ気持ちをこの教室の中で見せることはできない。
親にバレるんじゃないかという不安、このグループから切り捨てられるんじゃないかという恐怖、そして、鉾先すら分からない怒りのようなものがあたしの心の中で渦巻いていた。
逃げるように教室を出て、学校の正門前に来た時にアサミに呼び止められた。
「マホ、カラオケ行かない?」
場違いなほど何気ないセリフなのに、あたしの身体は凍り付いた。
アサミの笑顔は人の弱みにつけ込む悪魔の微笑みに見えた。
夏休みにアサミからカラオケに誘われたことがあった。
親に内緒で行くと、アサミとハルカ、同じグループの女子数人、それに見知らぬ男子5、6人がいた。
アサミは「今日は先輩たちのおごりよ」と笑った。
アサミとハルカが楽しげに歌う中で、あたしたちは男子に身体をベタベタと触られた。
身体を寄せられ、手を握られ、太股を撫でられ、あたしは恐怖に強張り、ガタガタと震えた。
それ以上のことはされなかったけど、二度とカラオケには行きたくないと思うようになった。
「嫌なの?」とアサミが詰め寄る。
「……行く」とあたしの喉から微かに声が出た。
今、このグループから追い出されたら生きていけない気がしていた。
アサミの笑顔が醜く歪んでいるように見える。
絶対に嫌なことが待ち受けている。
それが分かっていながら、あたしはアサミについて行く。
心の中で必死に助けを呼ぶが、それは誰にも届きはしない。
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