第144話 令和元年9月27日(金)「救いを求めて」原田朱雀

「なんかヤな空気だよね」


 昼休みにいつものように家庭科室に逃げ込んだ。

 特に何かされるという訳ではないが、教室の空気が嫌なのだ。


「太陽は厚い雲に覆われ、冷たい風が吹きすさんでいるよ」


 ちーちゃんは現実の天候を言っている訳ではない。

 いまは晴れと曇りの中間くらいだが、厚い雲は見えないし、気温も秋の過ごしやすい快適な温度だ。

 クラスのいまの雰囲気を言葉にしたのだろう。


 教室の扉がノックされた。

 誰か部員が顔を見せたのかなと思ったら、なんと日々木先輩の愛らしいお姿がそこにあった。

 あたしは驚いて立ち上がり、慌ててドアのところまで駆け出した。


「いいかな?」と日々木先輩が神々しいお言葉を発した。


「どうぞ、どうぞ、お入りください」


 あたしは媚びへつらうように何度もお辞儀をして挨拶する。

 この手芸部創設の大恩人である日々木先輩はふたりの生徒を伴って家庭科室に入って来た。


 あたしは3人に椅子を勧め、あたしとちーちゃんも同じ大きな机に座る。

 授業では班単位で使う机なので6人掛けだ。

 日々木先輩の隣りに目つきの怖い日野先輩、もうひとりは初めて見る顔だった。

 わたしは日々木先輩の対面に座り、隣りにちーちゃんが座った。

 初対面の人が美術部の二年生だと自己紹介したので、なんの話かピンときた。


「話しにくいことがあれば無理に言わなくていいので、昨日のことについて聞いてもいいかな?」と日野先輩があたしたちに言った。


「構いません。どんなことが知りたいんですか?」と恐る恐る答えると、日々木先輩がほんわかとした笑顔で「教室の中はどんな雰囲気なのかな?」と言った。


 その笑顔がなければ、猛然と毒を吐いていたかもしれない。

 いろいろと溜め込んでいたことがあったから。

 でも、日々木先輩の笑顔を曇らせる訳にはいかないと気を引き締めて答えることにした。


「かなり悪いです。もともと良くはなかったですけど、さすがに今日はピリピリしています」


「良くなかったってどんな感じだったの?」と日野先輩。


「男子も女子も、半分くらいが好き勝手して、残りの半分が肩身の狭い状態になってます。特に、男女数人はいじめられていて、中学って最低だなって思いました」


「小学校じゃなかったの?」と日々木先輩に問われ、「なかったって訳じゃないですが、中学になってからは陰湿な感じがします」とあたしは答えた。


「陰湿ってどんな感じ?」と日野先輩。


「男子は小突かれたりハブられたり、ですかね。女子はからかわれたり、ものを隠されたりって感じです」


 その後、クラス内の人間関係について細かく質問された。

 男子は詳しくないので、答えたのは女子のことだ。


 うちのクラスには8人の大きなグループが存在している。

 数にものを言わせ、クラス内のことは彼女たちの思いのままだ。

 文化祭でお化け屋敷をすることになったが、準備作業を他の子たちに押しつけ、自分たちは楽な脅かし役や案内係を独占した。


「ただ、彼女たちのリーダー格の久藤さんはイジメには加担していないんですよ」とあたしが言うと、日野先輩が目を細めた。


 久藤さんと小西さんを除く6人がグループ外の子に絡んでいる印象だ。

 小西さんは一度キレて男子をボコボコにしたって聞いたけど、普段は自ら手を下すことはしない。

 今回のトラブルは内水さんが主犯と言われているが、彼女が主導したというより調子に乗りすぎただけで、あたしからすれば全員同罪に思えてしまう。

 この6人の、イジメをすることでなんとか結束力を保っているような感じがもの凄く嫌だった。


「中学がこんなところだと知っていれば、無理をしてでも私学に行けばよかったと思ってしまいます」と泣き言を述べると、「私学だからイジメがないと決まった訳じゃないでしょ?」と日野先輩が淡々と言う。


「それは、そうですけど……」


「だいたい、いまの2年にはそんなイジメはないわよ」


「え? そうなんですか」とあたしは驚いた。


 どのクラスも似たようなものだと思っていた。


「1年の時は問題児がいて、転校する子が出たって聞いているけど、2年になってからは大きな問題は起きてないしね」


 日野先輩がそう話すと、なぜか日々木先輩が誇らしげな顔をした。

 きっと日々木先輩のご威光にいじめっ子がひれ伏したに違いない。


「羨ましいです!」と率直にあたしは言った。


「イジメの最大の要因は担任の指導力不足なんでしょうけど、今回の事件をきっかけに何らかの手は打つんじゃないかしら」という日野先輩の言葉にあたしは安堵の表情を見せる。


 すると、一転して日野先輩が厳しい顔をした。


「でも、イジメは見て見ぬ振りをしている子も同罪だからね」


 グサッと来る一言だった。


「ひどい時はすーちゃんは止めてる」とそれまで黙っていたちーちゃんが庇ってくれた。


 今回は他の教室へ移動中に起きたことなので、あたしたちは現場に居合わせなかった。

 見ていたら止められたという自信はない。


「でも、こんなところで愚痴を零していても何も変わらないわよ」と日野先輩は正論で畳みかける。


「あたしに何ができますか?」とあたしは勢いに任せて聞いてしまう。


 あのグループの中心である久藤さんや小西さんは得体の知れない怖さがあって近付きたくない。

 いじめている6人はひとりひとりはたいしたことがなくても、6人集まると数の力に負けてしまう。


「そうね、まずは友だちになることかな。特に、いじめられているふたりと。それができれば、グループに入っていない子たちとも」


 いじめグループと戦えと言われれば無理だと怖じ気づくが、これならあたしにもできそうではある。

 ただ……。


「美術部の山口さんは向こうがオッケーしてくれれば仲良くなりたいと思います。昼休みもここに避難してもらってもいいと思います」と美術部の先輩をチラッと見てからあたしは言った。


 彼女はおとなしい感じの子だから、これまで接点があまりなかっただけで仲良くなるのはやぶさかではない。


「もうひとり、いじめられている子は……ちょっと問題があるというか……」とあたしの説明は歯切れが悪くなってしまう。


 しかし、先輩たちはあたしの言葉を辛抱強く待っている。


「悪意だけでなく善意でやったことに対しても、いちいち文句を言ってくるんです。一言余計っていうか、何にでもケチを付けるから誰も相手をしなくなって……。部活とかもやってないみたいだし、学校で絡んでくれるのはいじめグループだけじゃないかって。本人も態度が変わらないから嫌がってるのかどうかも分からなくて……」


「本人に聞いたの?」と日野先輩はあたしの言い訳を一刀両断した。


「いえ……」とあたしは口籠もる。


「その程度の手間も惜しんで、いまの環境を誰かが変えてくれるのを指をくわえて待っているつもり?」


 日野先輩はあたしの隣りにいるちーちゃんを見て、「あなたもよ」と冷たく言い放った。

 あたしは泣き出しそうになるのをグッと堪えていた。


「可恋の言葉は厳しいけど、ちゃんと話すことから始めなきゃいけないと思うの」


 日々木先輩は祈るように両手を胸の前で組んで、あたしを優しく諭してくれた。


「友だちにならなくても、その子がいまの状況が嫌なら協力できる部分はあるでしょう? いじめをしている子たちも話をすれば分かってもらえるんじゃないかと思うんだけど……」


 日々木先輩は憂い顔の中にも女神のような気高さがあった。


「あなたたちも気を付けてね。何かあればすぐに相談してね」と日々木先輩はあたしたちを気遣ってくれる。


「ふたりはできるだけ一緒にいること。目立つと向こうが仕掛けてくるかもしれない。ひとりだと狙われやすいからね」と日野先輩は脅すようなことを言ってきた。


 あたしはそれでも軽い気持ちで「そんなに危険ですか?」と尋ねた。

 ネチネチと悪口を言われるのは嫌だが、それだけならやり過ごせればいい。

 手芸の作品を取られたりするのは困るが、管理には気を使っている。


「目立てば、久藤さんが何か動くかもしれないわ。助けが間に合えばいいけど、自分の身は自分で守る意識がないと危ないわよ」


 あたしの予想を遥かに超えた言葉が日野さんから返って来た。

 そして、更に怖い言葉も……。


「動いてくれた方がこっちも手を出しやすいのだけどね」


 それには他の先輩たちも唖然としたようだ。


「あたしたち、無事で済みますか?」とあたしは聞いてしまう。


「生きていれば、やり直しは利くものよ」


 いやいやいや、全然無事で済んでないんですけど!


「本気ですか?」と聞けば、「冗談に聞こえる?」と返されてしまう。


「でもね、目立たなくても久藤さんの気分ひとつで危険な目に遭う可能性は排除できない。自分たちの身を守る方法はたくさんあって、そのための努力を惜しまないことがリスクを軽減できる唯一の道よ」


 そして、指折り数えながらその方法を教えてくれる。

 身体を鍛えて戦う術を身に付けること、危険を知らせる道具を持ち歩きその使い方を習熟すること、危ない場所に行かないこと、庇護してくれる相手を見つけること、周囲と信頼関係を築くこと……。

 すぐにできることもあれば、できないこともある。

 それでも意識を持つだけでも違うと言われた。


「危険は久藤さんだけに限らないわ。特に年頃の女の子はね」と言われると頷かざるをえない。


「ひぃなは、家の外では学校内を含めて絶対にひとりでは行動しないように気を付けているわ。私と知り合う前がやっていたことだけど、私はそれを徹底させた。最近は24時間監視しているくらいよ」


「え?」と驚くと、「冗談よ」と真顔で返された。


 日々木先輩まで驚いていたから、本当に冗談なのだろう。


 予鈴が鳴ったので、あたしたちは家庭科室をあとにする。


「今日は欠席なのよね?」と日野先輩に確認され、「いじめられた山口さんも、いじめの首謀者とされた内水さんも休んでいます」とあたしは答えた。


 何か考え込む日野先輩を見ていると、美術部の先輩があたしの前に来て、あたしの手を取った。


「山口さんのことよろしくね」


 たったそれだけの言葉なのに、心が揺さぶられる思いがした。

 そこに込められた気持ちがあたしの手を握る彼女の手の強さと温かさから伝わって来るように感じた。




††††† 登場人物紹介 †††††


原田朱雀・・・1年3組。千草からはすーちゃんと呼ばれている。手芸部部長。


鳥居千種・・・1年3組。朱雀からはちーちゃんと呼ばれいてる。朱雀の幼なじみで手芸部所属。美人だけど変わり者扱いされている。


日々木陽稲・・・2年1組。朱雀からは光の女神と崇められている。


日野可恋・・・2年1組。美人だが怖がられることも多い。陽稲からは笑顔をもっと練習しないとと言われている。


高木すみれ・・・2年1組。美術部。美術部の部員で実際にイラストやマンガを描くのは少数派だが、たまに描いたイラストを見せてくれる後輩の山口さんには親しみを感じていた。

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