第128話 令和元年9月11日(水)「友だちのこと」高木すみれ
どうして、あたしはこんなところにいるのだろう?
テーブルを挟んで、あたしの目の前には厳しい表情でこちらを睨みつけているおじさんとおばさんがいる。
結愛さんの両親だ。
少し薄めの頭髪に厳めしい顔付きの父親。
細面で神経質そうな雰囲気の母親。
結愛さんは父親似だなあと現実逃避している場合ではない。
「あ、あたしは、ゆ、結愛さんの、く、クラスメイトの、た、高木と申します」
緊張しまくりでまともに話すこともできない。
しどろもどろになり、ちゃんと言えたかどうかも定かではなかった。
しかし、こんなあたしに愛想のひとつも見せず、ふたりの表情は1ミリたりと緩まない。
こんなに怖そうな大人の前面に立たされるのは、14年近いあたしの人生の中でも初めてかもしれない。
逃げ出せるものなら、逃げてしまいたかった。
こんな目に遭うなんて、まったく考えていなかったのに……。
一昨日、あたしの勧めで、結愛さんと楓さんがそれぞれの家庭の事情について日野さんに相談した。
厳しい親のせいで、週末の合宿に参加できないかもしれないというものだ。
日野さんはふたりの両親と話してくれると言った。
ただし、ひとつだけ条件を付けた。
それは、ふたりを助けるのはあくまでもふたりの友だちであるあたしだというものだ。
そして、日野さんは自分の友だちであるあたしを手助けすると言った。
確かにふたりと日野さんの間の接点は、学級委員という日野さんの役割しかない。
友だちであればまだしも、家のことにまで日野さんの立場で関わるのはやり過ぎだと考えたのだろう。
言われてみれば、そうだよなと分かる。
しかし、こんな展開は予想していなかった。
ここで、無理です、ふたりは本当の友だちじゃありませんなんて言えない。
凍り付くあたしに、日野さんはニッコリと微笑んで「協力するから」と言ってくれた。
でも、欲しい言葉は「私にすべて任せて」だったのに……。
事前の打ち合わせや準備を重ね、今日の夜にふたりの家を訪問することになった。
それぞれの保護者が居る時間ということで、夜の8時過ぎからとなり、ひとりで出歩くのは危ないからと日野さんが迎えに来てくれた。
親からこんな時間に出歩くなと引き留められることを期待したけど、行く理由を話すと頑張りなさいと応援された。
分かっていたよ、そんな親だって。
むしろお母さんなんて日野さんに会えることをウキウキと楽しみにしていた。
日野さんがあたしの叔母の黎さんに協力を仰いだことがあり、そこから彼女の噂をいろいろと聞いているようだ。
実際に日野さんを見ると「この子、宝塚に入らないかしら」なんてあたしに耳打ちしていた。
最初に訪問したのが結愛さんの自宅だった。
両親が出迎えてくれたが、玄関先で追い返されそうな気配さえあった。
あたしはふたりの顔を見て、家に上がるのも嫌だと感じたのに、日野さんはかなり強引に上がり込んだ。
その結果、こうして渋面のふたりの前に、あたしは日野さんと並んで座っている。
「こ、こちらは、学級委員の日野さんです……」
あたしの言葉は最初から小声だったけど、最後は聞き取れないくらい尻つぼみになった。
本当はもう少しあたしが話すことになっていたのに、もはや限界だった。
涙目で日野さんを見ると、彼女はチラッとあたしを見て、小さく頷いた。
「初めまして。結愛さんのクラスメイトの日野です。夜分に申し訳ありませんが、お話を聞いていただきたくて参りました」
日野さんは臆する様子が微塵もない。
「最初にこちらをご覧ください。担任の小野田先生の書状と、合宿に協力してくださる松田さんのご両親からのお手紙です」
二通の封筒をテーブルの上に差し出す。
先に父親が目を通し、読み終わったものを母親が読んでいる。
この長い沈黙の時間も、あたしの胃はキリキリと痛んだ。
「いかがでしょうか」と日野さんはとても落ち着いた声で話す。
しかし、父親の方は手紙を読み終えて不機嫌さが増したようだった。
「宿泊についてはそれぞれのご家庭の方針がおありでしょうから、ご家族でよく話し合っていただければと思います」
父親はフンと鼻を鳴らす。
「夕食会は参加をご検討してくだされば幸いです」
「バカバカしい」とようやく父親が口を開く。
「うちのことはうちで決める。他人からとやかく言われる筋合いはない」と言う父親の声はかなり大きく、ほとんど怒鳴り声のようなものだ。
あたしは身がすくみ、両手をギュッと握り締めた。
日野さんが黙っているからか、なおも言葉を続けた。
「子どもに使いをさせるなんて、うちをバカにしてるのか。何様のつもりだ。何が子どものことを考えろ、だ。子どもなんか、ろくなことしか考えない。そんなことも分からんとは」
父親はますます興奮した口調で話す。
「こんな親がいるからいまどきの若い連中はダメなんだ。まともに育てることもできんのか。愚かな風潮に乗って自由にさせるからクズのようなガキしかおらんのだ。外泊? 娘をそんなにふしだらにしたいのか」
「他所の家の教育方針に口を出すのはいかがかと存じますが」
「何だと!」
調子良く話していたところに水を差され、ぶち切れたように怒鳴った。
日野さんは平然としている。
横で、あたしはガクガクと震えていた。
ひとりだったら声を上げて泣いていただろう。
「ガキが、知った口をきくな!」
「怒鳴ることしかできない大人が何を知っているのですか?」
日野さんはうっすらと微笑みを浮かべているように見えた。
バカにされたことが分かった結愛さんの父親はガタガタと怒りに身を震わせている。
日野さんは至って冷静な口調だし、時々見せる怖い目付きもしていない。
それなのに父親は歯を食いしばるような顔で日野さんを睨みつけるだけだ。
一触即発の空気を破ったのは「あなた!」という悲鳴に近い声だった。
悲鳴の主だった母親が、慌てて体勢を崩した父親に駆け寄り、身体を支える。
日野さんは何もしていない。
父親の方が勝手に頭に血を上らせて、よろめいたようだ。
「今日はこれで失礼します」と日野さんが立ち上がった。
結愛さんの両親は無言で日野さんを見ている。
部屋から出て行く日野さんを、あたしは急いで追い掛ける。
日野さんもそれ以上喋らずに玄関で靴を履いて外に出た。
あたしもそれに続く。
外は蒸し暑く感じた。
そこで初めて、家の中は冷房が効いていたのだと気が付いた。
「あんなに怒らせていいんですか?」と家の外で待っていてくれた日野さんに話し掛けた。
「よくないね」と日野さんは苦笑する。
あたしは唖然としてしまい、言葉が出て来ない。
日野さんのことだからこれも計算のうちだと思っていた。
「明日は高木さんひとりで行ってね」と更に爆弾を落とす。
「む、む、無理ですよ!」
さすがに今度は言い返した。
「たぶん会ってはくれないと思うけどね」
日野さんの言葉にあたしは少しホッとする。
そうだよね、門前払いされるに決まっているよね。
「会えなかったら仕方ないね。会えたら、謝っておいて」
ちょっと他人事のように話す日野さんに、「これで大丈夫なんですか?」と尋ねる。
あたしの心配を他所に「どうだろう」と心もとない返事だ。
「どんなに正論を説いたって、人の考えは変わらないよ」と日野さんはあっさりと言い切った。
「柔軟な思考の持ち主なら始めからこんなことになってないしね」と苦笑したあと、「森尾さんのご両親も大人相手なら体裁を繕って譲歩したかもしれない。何も解決はしないけど、それもひとつの選択肢ではあったんだ」と日野さんは眉間に皺を寄せた。
「大人はもう変わらないと諦めるしかない。でも、子どもはどうかなと思ったの」と言って息を大きく吐き、「森尾さんは出て来なかったね」と呟いた。
それはあたしも気になっていた。
当然、家にいたはずだ。
親から出て来るなと言われていたのかもしれないが、自分の問題なのに関わろうとしないように見えてしまう。
「これからどうするんですか?」と聞くと、「向こう次第だね」と日野さんは素っ気なく答えた。
「親が頑なになるか、周囲の視線を気にして少し折れるかどうか。森尾さんがこの状況でだんまりを決め込むか、変えようと努力するのかどうか。あとは高木さんに任せるよ」
「見捨てないでください」とあたしは叫ぶように言った。
あたしがあの両親と話すなんてできっこないし、結愛さんがやる気になるなんてあり得ない。
日野さんがいなければ、何一つ変えられないと思った。
だが、日野さんはとても厳しい視線をあたしに向けた。
「これは高木さんの問題でもあるの。あなたはどうしたいの? ふたりを助けたいと思わなければ、手を引きなさい」
結愛さんの家で見せたよりも遥かに冷たい口調だった。
あたしは何とか弁解しようとする。
「ごめんなさい。あたしはふたりを対等な友だちだと思っていなかったと思います。見下す気持ちがきっとあったんだと。友だちに見返りを求めちゃいけないと分かっていても、あのふたりだとそれが期待できなくて、いつもあたしが助けるばかりで貧乏くじを引いたなって思ってしまって……。いまだって、ふたりのせいでこんな思いをして、友だちと言えるのかどうか迷っています」
あたしは正直な気持ちを懺悔したつもりだった。
「そんなふたりの面倒事を私に押しつけようとした」
日野さんの鋭利な刃のような言葉にバッサリと斬られた気分だった。
あたしが友だちを助けると言ったから、日野さんは協力してくれた。
あたしのために尽力してくれた。
小野田先生や松田さんのご両親から手紙も書いてもらった。
あたしはついて来ただけで、すべての段取りは日野さんがやってくれた。
日野さんはあたしのためだから、そうしてくれたのに……。
ボロボロと涙が零れる。
コミュ力のあるオタクなんて自称して、結愛さんや楓さんを見下していたが、あたしの方が最低じゃないか。
あたしは本気でふたりを助ける気もなく、ただ日野さんに押しつけてそれで終わりと思っていた。
あたしは大馬鹿者だ。
結愛さんや楓さんに対しても、日野さんに対しても裏切っている。
あたしは立っていられず、座り込み、地面に手をついた。
涙だけでなく、鼻水も止まらない。
すすり泣きながら、「ごめんなさい」と何度も繰り返す。
日野さんの顔を見上げることはできず、じっと動かない足下を見ていた。
こんなに泣いたのはいつ以来だろうと思った頃にようやく少し落ち着いてきた。
涙は涸れ、瞼が腫れぼったい。
日野さんが手を貸して立たせてくれた。
白いレースのついたハンカチを貸してくれる。
涙と鼻水でグショグショの顔を拭うのは悪いと思い、慌てて自分のを出そうとしたのに、その前に顔に押しつけられてしまった。
洗って返さなきゃと思いながら目元をハンカチで拭く。
「あの……」とあたしは口を開いた。
どうしても言っておかなきゃいけないことがある。
日野さんは静かに聞いてくれる。
「あたしにできるかどうか分かりませんが、今回のことは……ふたりのことは全力でやります」
結愛さんの両親に会うのは怖い。
まだ会っていない楓さんの両親も。
ふたりの考えを変えることができるかどうかも分からない。
いままでも色々と頑張ってきてダメだったのだから。
そもそも、ふたりのことを友だちと思えるかどうかだって、よく分かっていない。
それでも、あたしが日野さんに頼ったのだから、最後までやれることをやるしかない。
日野さんの信用を失いたくなかった。
日野さんは「このままじゃ伊東さんの家に行けないから……」と肩をすくめ、「ここからだとうちが近いかな」と彼女のマンションに連れて行ってもらうことになった。
顔を洗えば少しはマシになるだろう。
でも、目の充血はすぐには治らない。
そう悩んでいるあたしに、「その目なら泣き落としに使えないかな」と日野さんは笑った。
††††† 登場人物紹介 †††††
高木すみれ:日野さんは結愛さんや楓さんと友だちになる気はないんですか?
日野可恋:ないよ。
高木すみれ:どうしてですか?
日野可恋:私にメリットがないじゃない。
高木すみれ:……メリット。
日野可恋:私がお願いしたら身を粉にして働いてくれる人じゃないと。高木さんは良い友だちだよ。
高木すみれ:……。
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