第110話 令和元年8月24日(土)「お宅訪問」高木すみれ

 門の造りからして周りの住宅との違いを感じる。

 決して派手ではないし、中学生のあたしではどこがどうと説明するのが難しい。

 でも、何か重々しさというか高級そうだなって雰囲気がある。

 インターホンを押すだけで緊張してしまう。

 お手伝いさんとかが出て来たらどうしようと思ったけど、出てくれたのは松田さんだった。

 ガチャと鍵が外れる音がして扉が開く。

 初めて訪問する松田さんの家にあたしの心臓はバクバクものだ。


 敷地は他の家より気持ち広いくらい。

 門から玄関までの間の小さな庭も、目立って高そうなものが置かれている訳ではない。

 松田さんがお金持ちという先入観があるのは確かだけど、その庭はよく手入れされ、あるべきものがそこにあるという感覚を抱いた。

 マンガだとお金持ちを記号的に表す場合、家の大きさや広さ、高級そうな家具などで表現するが、本当はこういう品の良さこそ人の心に印象づけるんだろうなと思った。


 玄関の前に立つと、すぐに松田さんが中からドアを開けてくれた。


「いらっしゃい。わざわざ来てくださってありがとうございます」


 お嬢様らしい服装の松田さんが丁寧に挨拶してくれた。


「こんにちは。こちらこそお招きいただきありがとうございます」とあたしはお辞儀する。


「どうぞお入りください」と言われて玄関に入る。


 あたしの家は賃貸マンションなので門や庭がなくて比較できなかったが、玄関を見てその違いに気付いた。

 うちの玄関には靴箱の他に傘立てなど様々なものがごっちゃになって置かれている。

 掃除はしていても玄関だから仕方ないよねという感じで汚れたところはあるし、そこそこ古い建物なので壁紙なんかもすすけた感じは否めない。

 それに比べるのが失礼なくらい、隅々まで手が行き届いている感じがするし、無駄なものがひとつもない。

 この家も決して新築という訳じゃないのに、清潔感があり古びた感じはまったくしない。

 日野さんのマンションは新しくて広くて現代的で圧倒される部分があるけど、この家はそれとは違ったベクトルで、凄いところに来ちゃった感が漂う。


 あたしは気後れする気持ちを振り払うように手土産を差し出す。


「これ、みんなで食べてください」


「あら、気を使わなくていいのに」と松田さんが恐縮して見せた。


 実は叔母の黎さんにお金持ちの家に行くといったら、手土産を持っていくといいよとアドバイスしてもらった。

 それだけでなく、しっかり観察して今後の作画に生かせばいいとその手土産代を出してくれると言う。

 手ぶらだったら本当に縮こまってしまったと思うだけに、このアドバイスには大感謝だ。


 値段を聞くのが怖いスリッパを出してもらい、それを履いて奥に進む。

 重厚感のある手すりがついた階段を上がった先の部屋に案内された。

 中には笠井さんたちがいて、見慣れた顔ぶれに少し落ち着くことができた。

 その部屋はカーペット敷きで、クッションとテーブルが置かれている。

 中学生の女子6人が入っても狭さを感じさせない部屋で、家具は少なく、松田さん自身の部屋ではなさそうだった。

 あたしは気になって、「ここって何の部屋なんですか?」と聞いてしまった。


「わたしの部屋だとさすがにこれだけの人数では狭く感じてしまうので、みんなが集まった時に使う部屋という感じでしょうか」と松田さんが答えてくれるが、つまり、明確な用途のない部屋ってことだよね。


「高木さんがお土産を持って来てくれたので、休憩にしましょう。準備してきますね」と松田さんが言って部屋を出て行った。


 須賀さんが「ここにどうぞ」とクッションを整えて座る場所を教えてくれる。

 そこに座ると、ようやくひとつのミッションを達成した気分になった。


「わたし、美咲の家に何度も来たけど、お土産なんて持って来たことなかったよ」と須賀さんが言うと、「中学生なんだし、そんなもんでしょ」と笠井さんが鼻で笑う。


「お金持ちの家と聞いていたので、緊張しました」と正直に告白すると、「緊張するよね」と須賀さんが同意してくれる。


「アタシはもう慣れたよ」と笠井さんが誇らしげに言うと、「でも、優奈はここだといつもよりおとなしい」と田辺さんがツッコミを入れた。


 笠井さんは「そんなことない!」と否定するが、あたしは田辺さんがツッコんだことに驚いた。

 普段無口な田辺さんもそんなことするんだなって。


「金持ちって言うと日野のところも凄いんでしょ?」と笠井さんが聞いてくる。


「リビングがものすごく広いですね」とあたしが答えると、この前の会議の後に一緒に行った須賀さんと田辺さんが頷く。


「オープンキッチンでダイニングとリビングが一緒になっているので、学校の教室より広いですから」と説明すると、「へー」と笠井さんがニヤニヤしている。


「そんなに広いならクラスの全員で突撃しようぜ」と笠井さんが言い出したが、あの日野さんがそれを許すとは思えない。


 あたしは力なくあははと乾いた笑いをするだけだった。


 松田さんが、品の良い女性と共に戻って来た。

 松田さんはあたしが持参したケーキを皿に取り分けて載せたトレイを持っている。

 うしろの女性はティーポットとカップをキャスター付きの台ごと持って来た。

 後で聞いた話だが、荷物の運搬用のエレベーターがあるらしい。

 松田さんは「母です」と紹介してくれた。


「よくいらしてくださいました。ごゆっくりおくつろぎください」ととても丁寧に挨拶してもらった。


 あたしは慌ててクッションの上で正座になる。

 他の子たちは慣れているのか足は崩したままだった。


「そんなに固くならなくていいですよ」と松田さんに言われたが、「あ、はい」と答えるものの足は崩せなかった。


 松田さんがトレイをテーブルの上に置くと、須賀さんと田辺さんが手分けしてみんなの前にケーキを並べた。

 松田さんのお母さん……お母様と呼ぶのが相応しい女性が丁寧に紅茶を淹れてくれる。

 日野さんもよく紅茶を飲んでいた。

 お金持ちにはやはり紅茶が似合う。


「いまの中学生はよくできた子ばかりね。また遊びにいらしてね。そして、学校のことなどおばさんに教えてくださると嬉しいわ」と松田さんのお母様は上品な態度のまま部屋を出て行った。


 あたしはようやく足を崩す。

 それを見て、「そんなに緊張しなくても」と松田さんが苦笑するが、「わたしも緊張するよ」と須賀さんがあたしの肩を持ってくれて、笠井さんまで「アタシも」と同意した。

 あれほど上品だとどんな言葉を使っていいかさえ分からなくなりそうだ。

 日々木さんならすぐに仲良くなるだろうけど。

 松田さんは田辺さんに「そうなの?」と尋ね、彼女が頷くのを見て、頬に手を当て困った顔になる。

 キラキラと目を輝かせてケーキを見つめる渡瀬さん以外は同じ意見だったので、あたしだけじゃないと思いホッとした。


 松田さんが気を取り直して、「冷めてもいけないわね。いただきましょう」と言った。

 渡瀬さんだけでなく、他の子たちもすぐにフォークに手を伸ばす。

 ネットで調べて、隣町まで自転車で買いに行ったケーキだ。

 あたしも食べたことがないが、見た目は素晴らしい。


「美味しい!」という声が上がってから、あたしも口に運んだ。


 甘すぎず、しっとりとした口当たりで、とても上品な味だと感じた。

 松田さんの家への手土産にはピッタリだ。

 紅茶ともよく合い、思わず笑みが零れてしまう。

 松田さんも「素敵なケーキですね」と褒めてくれて、その後ひとしきりこのケーキの話題で盛り上がった。


 みんなが食べ終わってから、松田さんが今日の本題を口にした。


「昨日もお話ししましたが、画像をもっと増やした方がいいという意見が出ています。わたしもそう思います」


 当初の予定では画像の使用は5、6枚くらいだった。

 松田さんはA4用紙2枚に画像や文章を配置した構成の案を見せてくれる。

 あたしはそれに目を通したあと、鞄からノートパソコンとB4の用紙を取り出した。


「日野さんと電話で話したんですが、B4用紙1枚に両面印刷することになりました。紙はこれではなくもっといい紙を使います」とあたしは説明する。


 これでも同人界の大御所の叔母とベテランの母がいるので、紙や印刷関係には詳しいと自負している。

 作画用に、パソコンだけでなくプリンタ等の周辺機器もそれなりのものを揃えてもらった。

 日野さんからはコンビニでのコピー代相当の費用をちゃんと支払うと言われているので、あたしも気合いを入れて取り組もうと思っている。


 ノートパソコンを立ち上げ、予定の構成を表示する。

 B4用紙を二つ折りにした想定で、表紙、中の見開き、裏表紙とした。

 表紙にはファッションショーの大きなロゴとポスター用に描くイラストのラフ画を載せる予定だ。

 見開きに多くの画像を、写真をばらまいたように並べて、キャプションを付けてもらう。

 裏表紙はスケジュール表に書いてもらった文章を組み込もうと思う。


「こんな感じでどうでしょうか?」とあたしはノートパソコンの画面をみんなに見せる。


「素晴らしいですわ」と松田さんが手放しで絶賛してくれた。


「さすがオタク」と笠井さんが言ったが、特に悪意があるようには感じず、純粋に褒め言葉として使ったようだ。


 須賀さんや田辺さんも褒めてくれたので、この案で行くことになった。

 画像の選択と、どこにどう並べるかをみんなに考えてもらう。

 使う画像の候補はかなり絞られていたので、比較的短時間で決めることができた。

 笠井さんのセンスの良さが目立っていた。

 続いて、キャプション用の言葉を手書きしてもらう。

 これをあとでキャプチャして、透過処理後に画像の上に貼り付ければ、見映えがするだろう。


 日野さんにパンフレット作りを命じられた時にはどうなることかと頭を抱えた。

 しかし、松田さんたちとの共同作業になったことでスムーズに完成しそうだ。

 文章を書いたり、画像を選んだりといったあたしが苦手な作業を任せられたのが大きかった。

 その分、自分の得意分野で全力が出せた。

 このあたりの日野さんの采配は見事だ。


 完成の目処が立ち、作業から雑談へ移っていく。

 そこで話題となったのが、表紙に使うラフ画のことだった。

 この前の火曜日に日野さんと日々木さんにモデルになってもらったことを話すと、みんなが興味津々といった感じで食い付いてきた。

 あたしは日野さんの名誉と自分の命のために口を滑らさないように気を使ったが、時間ができたら自分も描いて欲しいなんてリクエストが出て来て、あたしとしてもとても嬉しい気持ちになった。

 写真とは違う絵の良さを感じてもらえたらいいなとあたしは願った。




††††† 登場人物紹介 †††††


高木すみれ・・・2年1組。マンガの作画能力はプロ並み。本人の志望は絵描き。日野さんと日々木さんの側にいればいろんな体験ができると喜んでいる。


松田美咲・・・2年1組。お嬢様。親からは見聞を広めるように期待されている。


笠井優奈・・・2年1組。夏休みの宿題はなんとか間に合いそう。ギリギリにはなったが、自力でやり遂げた。


須賀彩花・・・2年1組。手土産を持ってきたり、パソコンを使えたり、絵を描けたりと高木さんは凄いなあと感心することしきり。自分も頑張らないとと最近は前向きになった。


田辺綾乃・・・2年1組。美咲のグループから抜けることを考えていたが、最近は彩花がいるのでこのままでいいかと思っている。


渡瀬ひかり・・・2年1組。写すの頑張ったから文化祭の合唱の参加は問題ないよね?


日野可恋・・・2年1組。いまは母の稼ぎがかなりあるけど、決して裕福って訳でもないよ。父からの養育費のお蔭で高い買い物もしてはいるけど。


日々木陽稲・・・2年1組。お父さんが仕事より家族優先の人だし、うちもそんなにお金持ちじゃないけどね。”じいじ”は資産家だけど、遺産は息子にはやらないって宣言しているし。

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