第104.5話 令和元年8月18日(日)「組み手」神瀬結

 日野さんの言葉でわたしに刺さったのは「気付き」だった。


 わたしは二週間前に日野さんと初めて会って刺激を受けた。

 それはたぶん「気付き」と呼べるものだった。

 他の人に言われたのなら心に響かなかったかもしれない。

 感動的な形の演武を見せてくれた彼女の言葉だからこそ、わたしの心に届いたのだと思う。


 常に姉と比べてくる周囲からの視線に嫌気がさしていた。

 日野さんから言われた、見て欲しい人のために全力を尽くすというアドバイスはそんな感情を吹っ切るきっかけになった。

 プレッシャーがまったくなくなった訳ではないが、全中では全力を出し切れたと思う。


 なにより、日野さんに見てもらえたことが嬉しかった。

 決勝戦はインターネットでライブ中継されるので、そこまで残れば見てもらえると考えていた。

 それがわざわざ札幌まで見に来てくれたのだ。

 わたしの応援だけが目的ではないだろうが、わたしにとっては姉と並んでいちばん見て欲しい人に見てもらえた。


 今日は周囲に無理を言って短時間ながら日野さんと一緒に観戦できた。

 そして、日野さんの「気付き」という言葉に気付かされた。

 きっと「気付き」はどこにでも転がっている。

 でも、そこから「気付く」ためには何かのきっかけが必要だ。


 友だちといても「気付き」は得られない。

 本当は自力で気付かなければならないのかもしれないけど、普段の生活の中で自分にきっかけを与えてくれるものとは出会えない。

 姉なら、たぶん刺激を与えてくれると思う。

 しかし、姉は世界を飛び回り、自分の練習に明け暮れ、いまのわたしからは遠い存在だ。


 やっぱり日野さんしかいないと思って昼食後に戻ると、キャシーさんから稽古に誘われた。

 いつもなら行きたいと思っても無理だと諦めていただろう。

 わたしは思い切って参加を決意し、それを実現するため周囲にお願いして回った。

 心配する両親には姉が口添えしてくれた。

 表彰式が始まる直前になんとかすべての承諾を得て日野さんの元に行くことができた。


 わたしは中学1年生としては平均的な身長なので、頭半分くらい日野さんより背が低い。

 キャシーさんとは大人と子どもくらいの差がある。

 わたしは学校の制服だけど、日野さんとキャシーさんは大人っぽい私服で、雰囲気も含めて大学生くらいに見られてもおかしくない。


 タクシーで道場に向かう。

 日野さんが「キャシーはトラブルメーカーだからタクシーで行く」と説明した。

 道場に着くと、挨拶もそこそこに広間に案内される。

 なんと宴会の準備が整えられ、すでに多くの人が集まっていた。

 大人が多いが、中には中高生と思しき人もいた。


『キャシー、お酒を飲み過ぎないように見張っておいてね。酔い潰れたらキャシーの相手が少なくなるわよ』と日野さんが大きな声で言った。


 すぐに宴会が始まった。

 わたしは「え、いいの?」という感じで恐縮していたが、周りが食べなさいと勧めてくれる。

 日野さんから形の準優勝者だと紹介され、大勢から祝福してもらった。

 外国の方も多くて、日本語だけでなく英語も飛び交う宴会になっていた。

 キャシーさんは急いで食べ終わると、着替えるために駆け出して行った。

 彼女はすぐに戻って来て、外国人を中心に何人かのお酒を取り上げ、奥へ引っ張って行った。


「行かなくていいんですか?」と日野さんに聞くと、「慌てなくて大丈夫よ」と落ち着いた口調で返答された。


 ご馳走をいただき、一服した後で、更衣室を借りて空手着に着替える。

 道場ではキャシーさんが組み手の試合を行っていた。

 キャシーさんは大人相手でも身長やリーチの長さにはアドバンテージがある。

 しかし、攻撃はことごとく躱され、相手の攻めにバランスを崩されている。


 わたしを見つけたキャシーさんが「Come on!」と大声で呼んだ。

 息を整え、一礼して彼女の前に進み出る。

 対面すると彼女の大きさに圧倒される。

 様子を見ることなく、キャシーさんは突っ込んで来た。

 わたしは自分の身体の動きに任せて、蹴りを放つ。


「一本」といつの間にか審判役になっている日野さんが告げた。


『まだまだ』とキャシーさんは攻めを続ける。


 彼女はどれだけ攻撃を躱されても攻める気持ちを失わない。

 何度も倒れ、何度も負け、何度も悔しがるが、決して諦めない。

 単調な攻めに見えるが、少しずつ間合いやタイミングを変えている。

 わたしとの力の差は彼女も分かっているはずだ。

 それでも心が折れずに向かってくる。

 自分の弱さを突きつけられてなお、顔を上げ、前を向く。


「そろそろ交代しましょう」と日野さんに言われた。


 まだ平気ですと言おうとして、自分が疲れていることに気付く。

 キャシーさんは強くはない。

 だけど、普通の相手の数倍のスタミナが奪われていた。


「はい」と答え、日野さんにキャシーさんの相手を任せる。


 わたしは息を整え、回復を試みる。

 そして、視線は日野さんに向かう。

 日野さんはキャシーさんの動きを読み切っているように見える。

 1ヶ月稽古をつけたと聞いている。

 だから、手に取るように相手の動きが分かるのだろう。

 紙一重で避け、わずかな動きで仕留めている。

 これまでの稽古で消耗していたキャシーさんは、日野さん相手だと急激にスタミナを失ったように見えた。

 ついに、足がもつれて倒れた。

 起き上がって来れない。

 それを見て、わたしは前に出た。


『キャシーさん、代わってください』


 互いに一礼し、すぐさまわたしが仕掛けた。

 戦ってみないと力量は推し量れない。

 攻めの中で勝機を見出そうと思った。

 しかし、日野さんの表情には余裕があった。

 せめてこの余裕は失わせたいと思い、わたしは一気呵成に攻めた。


 力が尽きるまでに倒せるかどうかという攻撃だった。

 相手の反撃を許さない怒濤の攻め。

 でも、すべて避けられてしまえば終わりだ。

 そんな思いで挑んだのに、あっさりと反撃されてわたしは崩れ落ちた。


 当たり前だが、こちらの手の内が読まれていれば反撃されてしまう。

 わたしは日野さんの完璧な上段蹴りを避けようとしてバランスを崩し倒れた。

 このタイミングでの反撃は予測していなかった。


「大丈夫?」とわたしが起き上がれないのを心配した日野さんが声を掛けてくれる。


 なんとか立ち上がるが、力を使い果たし、フラフラだった。

 力の差を感じてガックリきた。

 そんな私に「結さんの空手はこれじゃないよね」と日野さんが言った。


 日野さんは立ち上がったキャシーさんを再び相手にし始めた。

 どれだけ負けても立ち向かっていくキャシーさんが羨ましく思えた。

 そして、日野さんの言葉の意味を考える。

 荒い息を吐きながら、わたしの空手って、と。


 わたしの空手はこうだと言えるものはまだない。

 そう思っていた。

 姉や日野さんと比べれば、未熟だから。

 ただ、姉と日野さんの空手の方向性の違いはわたしにもよく分かる。

 姉が目指すものが無我の境地なら、日野さんが目指すものはすべてを自分で支配することだろう。


 わたしには姉のような空手はできない。

 姉の形の演武は大好きだけど、それはわたしが到達できるものではない。

 これまで聞いた限りでは、日野さんも同じような気持ちなのかもしれない。

 わたしが日野さんの演武に強く惹かれたのも、そういうシンパシーを感じたからだろう。


 ならば。

 組み手でも形と同じように、日野さんのやり方を参考にすべきだ。

 組み手と形は空手の両輪と言われる。

 だが、実際はなかなかそれを実感することはない。

 組み手は実戦の中で鍛え上げられる。

 形はあくまで形であり、組み手とは切り離された感覚がある。

 まったくの無関係ではないが、両輪と呼べるほど両方に力を入れるという考えを持たない者がほとんどだろう。

 しかし、日野さんはそこを目指しているのかもしれない。


 改めて、日野さんの組み手を観察する。

 形は決められた動きをいかに完璧にやり遂げるかが目的だ。

 一方、組み手は相手がいて、その動きは予測できない。


 日野さんとキャシーさんの戦いを見ると、日野さんはキャシーさんをコントロールしようとしている。

 これは実力差があるからこそできることだ。

 思い返せば、わたしとの戦いでも誘導が行われていたかもしれない。

 わざと隙を作り、相手を誘導することは実戦でもありえる。

 日野さんの組み手はもっと詰め将棋的なものだろう。


 わたしは疲れた身体にむち打って、もう一度日野さんに挑んだ。

 日野さんは「一戦だけよ」と言って承諾してくれた。

 今回もわたしが先に仕掛けたが、それはわたしが日野さんを動かすためだ。

 いくつかの伏線を張った後、半歩距離を取る。

 警戒して日野さんが足を止めたところを狙って攻撃を繰り出した。


「良い攻めでしたよ」と日野さんが笑った。


 わたしの攻めは予測されていた。

 見事に躱され、わたしは負けた。

 でも、わたしは形と組み手の関係性に「気付き」を得た気がした。

 それはとても大きな収穫だった。




††††† 登場人物紹介 †††††


※※※ 空手は想像上の格闘技です。


神瀬こうのせ結・・・中学1年生。空手・形の選手。おしとやかな雰囲気だが、周囲からは意外とじゃじゃ馬と評されている。


日野可恋・・・中学2年生。空手・形の選手。清楚な雰囲気だが、魔王と呼ぶ者もいる。


キャシー・フランクリン・・・14歳。空手・組み手の選手。外見は大人、中身は5歳児と可恋から思われている。


神瀬こうのせ舞・・・大学生。空手・形の選手。寡黙で人を寄せ付けない雰囲気だが、歳の離れた妹のことは気にしている。

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