第104話 令和元年8月18日(日)「組み手」日野可恋
昨夜はひぃなとその姉の華菜さんに案内されて、彼女たちの親戚の家に行った。
キャシーはもちろん同行し、ひぃなの小学生の従姉妹たちに怖がられていた。
しかし、言葉は通じないのにいつの間にか仲良くなっていた。
精神年齢が近いせいなんだろうな。
夕食をご馳走になった後、わたし、ひぃな、キャシーの三人は歩いて数分のところにあるひぃなの祖父の家に行き、そこで宿泊した。
主にキャシーが騒々しかったが、いまは独り暮らしだからとお祖父さんには歓迎してもらった。
広い部屋に布団を敷いて、三人仲良く寝ることになった。
旅行中ということもあり、キャシーとひぃなはいつもよりテンションが高く、夜更かししていたようだ。
私はいつものように夜9時に寝て朝5時に起きた。
当然、ふたりを叩き起こした。
ひぃなは今日の午後の便で神奈川へ帰る。
私も帰りたかったが、キャシーの目的は今日の組み手の試合なのでそうもいかない。
大会終了後に帰京する手もあったが、キャシーが思い通りに動いてくれると思えずもう1泊することにした。
朝、華菜さんのお弁当をもらって、私とキャシーは会場に向かう。
ひぃなも行きたがったが、華菜さんに出発まで従姉妹たちの相手をしてあげるように言われ、最後はその言葉に従った。
どうせ明日には会えるんだからと慰めたが、「夏休みはあと1週間しかないんだよ!」とひぃなは悲嘆に暮れていた。
札幌の学校は明日から二学期が始まるそうだし、学校が始まっても毎日会えるのだから気にすることないのにと思うのだが、ひぃなは夏休みの残りにやっておきたいことをひとつひとつ挙げて、全部やり切るには時間がないと口を尖らせる。
私は、気が済むまでうちに泊まっていいからという提案をして機嫌を直してもらった。
全中の会場は組み手の試合だからか昨日よりも盛況な感じがする。
素人目にも分かりやすいからね、組み手は。
「本当は学校のみんなと一緒じゃないとダメなんですが、特別に許可してもらいました」と結さんは笑顔で言った。
LINEでは伝えていたが、私も「準優勝おめでとうございます」と改めて祝福する。
そして、「舞さんも中一の時は優勝を逃しましたよね」と彼女の姉を引き合いに出した。
「はい、でも、姉は2年から連覇しました。わたしもこれからそういう目で見られると思います。日野さんが出場すれば勝てるとは思いませんが……」と結さんに言われ、私は無言で肩をすくめた。
ふたりの会話の流れをぶち切るように、キャシーは『誰が強いんだ?』と組み手の試合に意識を引き戻してくれた。
私は組み手の選手の情報には疎いので、『知らない』と答え、『知ってますか?』と結さんに尋ねる。
彼女は何人かの名前を挙げてくれた。
私はトーナメント表にその名前をメモしておいた。
無名の凄い選手が出て来れば面白いのにくらいの感覚で見ることにする。
形と同じで、広い会場に8面のコートを作り同時進行で競技が進行する。
形と違い、対戦相手との実力差で優劣が決まるので、遠目ではぱっと見で実力を測るのは難しい。
「以前、キャシーさんが言ってましたが、日野さんは組み手も強いんですよね?」
「子どもの頃からやってますからね」と無難に答える。
キャシーは試合に集中してるので、日本語で会話していても何も言ってこない。
「姉は高校まではかなり真剣に組み手にも取り組んでいました。とても強かったです。組み手に進んでいても日本のトップクラスになれたと思っています」
「見てみたかったですね」とかなり本気で言った。
現役の女子選手の中で、私は彼女の形にもっとも興味を抱いている。
私とは取り組み方というか、形に対するアプローチが異なるので彼女のやり方を採り入れようとは思わないが、それでもその本質に迫りたいという思いはある。
組み手での戦い方を見れば、少しは参考になるかもしれない。
「内輪の大会のものですが、高校時代の映像があります。一度、うちの道場へいらしてください。お見せします」と誘われ、「是非お願いします」と私は飛びついた。
「わたしは組み手は全然ダメです。形の向上に必要だとは理解しているのですが……」
初心者なら殴られる恐怖から組み手ができないケースもあるだろうが、彼女は幼い頃から両親に鍛えられた空手界のエリートだ。
「殴ることが嫌ですか?」と尋ねると、「分かりますか」と認めた。
組み手は力の優劣がはっきりと出るため、それが優越感や劣等感に繋がりやすい。
形も対戦形式だが、審判の評価が基準なのでそういう意識は薄い。
強さは傲慢さにも繋がりやすい。
一方、人間関係にまでそれが及ぶことで対等な関係を作りにくくなったりする。
彼女は同世代の中では最強クラスだっただろうから贅沢な悩みと言えるが、本人にはかなり深刻なものだったのだろう。
「どうしても空手が強いか弱いかが人間関係の基準になってしまいますからね。私もこれまで同世代の空手の友人はいませんでした」
「日野さんもそうですか」
「ただ、最近は空手以外の友だちができたことであまり難しく考えなくてもいいのかなと思うようになりました。空手を通さない人間関係だって、打算や値踏みのようなものはありますし、まったく無償の尊い関係なんて現実にはないんじゃないかと。むしろそういうものがあっても、より深い大切な関係を築いていくことが大事だと思います」
思わず熱弁してしまい、私は照れて戦っている選手たちに目を向ける。
「組み手の話に戻すと、敵を倒す戦い方から人を守る戦い方に変えられないかと最近模索しています。大会に出場する前提がないのでできることですが。……ものの捉え方や気持ちの持ちようなどは小さな気付きから変わるのかもしれません」
ひぃなと過ごす日常は気付きの宝庫だ。
なんでもないことが彼女というフィルターを通すととても大切なことのように感じる。
その積み重ねで自分が変わったという実感がある。
それをすべて口にするのは気恥ずかしいのでかなり漠然とした言葉になった。
しかし、私の話を聞いて、結さんはじっと考え込んでいた。
私の言葉が彼女の気付きになるのなら、それはそれでいい。
結局、団体戦が始まったので彼女は学校の友人たちのところに戻って行った。
お昼になり華菜さんのお弁当を食べていると、さっさと食べ終わったキャシーが誰もいないコートを指差し、『エキシビションで私と戦え』と言い出した。
私がポカンとしていると、手を引っ張って行き出しかねない勢いだ。
『まだ食べてるところだし、空手着もない。そもそも許可がない』
『早く食え。このままの格好で平気だぞ。許可は……サキコに連絡しろ』
『自分で連絡しろ』と言うと『スマホを忘れて来た』とキャシーはふんぞり返って言う。
『貸す』と言ってスマホを掲げると、ようやくキャシーは黙り込んだ。
さすがのキャシーも師範代には無茶を言えないかと笑ったが、私はまだ軽く見られているということだ。
キャシーに上下関係をどうやって分からせようと悩んでいたら、結さんが明るい顔で戻って来た。
『ユイ、ちょうどいいところに来た。私とあそこで戦え』とキャシーは会場のコートを指差す。
『え? 何ですか?』と困惑するのも無理はない。
『武道館でエキシビションをやったから、真似したいみたい』と私は説明する。
それにしても、いかに小学生の大会とはいえ全国大会でエキシビションを実施し、そこに無名の私を出場させるとは師範代はとんでもない人だ。
まだまだあの人には太刀打ちできないかと肩を落とす。
なおも執拗に結さんに絡むキャシーには、『道場に戻ったら、キャシーが倒れるまで組み手の稽古をつけてもらうことになってるから、それまで我慢して』と言って黙らせる。
こうなることが予測できたから今日帰ることを諦めたのだ。
『ユイも来い!』とキャシーが言い、私が助け船を出そうとしたら、『わたしも行っていいんですか?』と結さんが乗り気になって聞いてきた。
『無理に札幌でやらなくても、キャシーは東京で暮らすので機会はいくらでもありますよ』と言っても、『この機会を逃したくありません』と結さんはきっぱりと言い切った。
『できれば、日野さんとも手合わせしたいです』とまで言われると断れない。
『こっちの都合はつくと思うので、結さんの方がオッケー出たらですね』と条件を示すと、『なんとかします!』と飛ぶように駆け出して行った。
††††† 登場人物紹介 †††††
※※※ 空手はフィクションです。
日野可恋・・・中学2年生。空手・形の選手。大会に出ないという信条を守るため、どう師範代に対抗するか思案中。
キャシー・フランクリン・・・14歳。空手・組み手の選手。空手歴は1ヶ月だが、レスリング経験と抜群の身体能力を誇る。
日々木陽稲・・・中学2年生。可恋の弱点にならないように、三谷先生に利用されないぞと意気込んでいる。
日々木華菜・・・高校1年生。日々木家でのホームパーティーに三谷先生が来たので面識はある。その際に、身体作りや英語のことで相談に乗るよと言ってもらった。
三谷早紀子・・・可恋の通う道場の師範代。選手としても一流の成績を残し、指導者としても高い実績を誇る。可恋を来年の全中に出場させる方法を思案中。
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