第82話 令和元年7月27日(土)「ファッションショー」日野可恋
晴れてくれてよかった。
夏だから暑さは仕方ないが、台風が迫る中、関東にはさほど影響を及ぼさずに済んでホッとした。
今日は東京で開催されるファッションショーの見学に行く。
無名のデザイナーが集まって行われ、Web上でしか宣伝されていない小規模なものだ。
それでも主催の方の熱意に触れ、クラス全員での見学に協力してもらう過程でこのショーにかける意気込みを知ると、天候による中止にならなくて本当に良かったと思う。
なんとかクラスメイト全員の参加にこぎ着けた。
夏休み中とはいえ、各自予定もあっただろうし、交通費や入場料などの負担もある中でよく集まってくれたと思う。
中にはちょっと強く参加を促したケースもあるが、それはそれ。
集合場所には安藤さんを除く2年1組の全員が集まった。
安藤さんは水泳の合宿中なので、現地での集合となった。
午後の練習が休みだったことは幸いだった。
クラスメイト以外の参加者もいる。
引率の責任者である藤原先生。
引率の補助として、ひぃなのお父さん、私の母の教え子である女子大生ふたり、私が通う道場に所属する若い女性ふたり、そして、キャシーだ。
事前に班分けしてあり、そこに引率役が付く形で移動中のトラブルを避けることにした。
最大のトラブルメーカーと予想されるキャシーは私とひぃなで相手をすることになる。
もちろん連れて行きたくはなかったのだが、TDLに連れて行かなかったので今回は絶対に行くと息巻いていた。
道場にも引率の手伝いを頼んだ手前、キャシーの面倒を見るしかなかった。
クラスメイトには始めにキャシーの相手はしないように言ってある。
どうせ英語でまくし立てるしかしないので、相手にしようがないのだが。
今回は引率者が多いので、他の生徒のことはすべて任せて、キャシーに目を光らせるだけに専念した。
ひぃなには不評だったが、生徒は制服着用を義務づけた。
引率の負担を軽減する目的だ。
ひぃなは折角のファッションショーだからと気合いを入れていたが、彼女が張り切ると予想の斜め上に向かうことがあるので、これで良かったと思う。
キャシーは暑さを理由にタンクトップにショートパンツという出で立ちでやって来た。
あまりに扇情的で、冷え対策に持って来ていた私のジャージを着せたが、暑いと言って隙あらば脱ごうとするので気を抜けない。
キャシーはクラスメイトたちに話し掛けて会話ができないと分かると、私とひぃなの元に戻って来た。
普段の高いテンションが今日は更にハイになっている。
電車の中でも大声で話し、少しでも興味があるものを見つけると騒ぎ出す。
身振り手振りも大きく、感情も露わで、よく疲れないものだ。
それなのに私がちょっとでもキャシーの話を聞き流すと『ちゃんと聞いて』と言い出すので油断もできない。
迷惑そうな視線はあっても、180 cmを越える黒人のキャシーに注意をする人は現れずに会場の最寄り駅にたどり着いた。
点呼を取っていると、安藤さんが美少女を連れてやって来た。
「こんにちは。和泉真樹です。安藤選手の後輩の中1です。よろしくお願いします」
ペコリとお辞儀をする。
和泉さんは私と同じくらいの身長で、顔はアイドルっぽい。
私は彼女の引き締まった筋肉に目が行ったが、男子からはざわめきの声が上がっていた。
肩まで届く髪をかき上げて、「わたしもファッションに興味があって、安藤先輩に無理を言って付いてきました」と笑顔を見せた。
私は急いでもう1席確保できるか確認し、用意できると聞いてお願いした。
「いけるって。私は日野可恋。このクラスの学級委員で、今回の見学の責任者みたいな感じ。よろしくね」
「ありがとうございます!」と再びペコリとお辞儀をして、嬉しそうに安藤さんの腕を掴む。
「こんにちは。わたしは日々木陽稲で、安藤……純ちゃんの幼なじみなの。よろしく」
ひぃなが和泉さんに負けない笑顔で挨拶すると、「お噂はうかがっています」と三度ペコリとする。
私は安藤さんから話を聞いていることに驚いた。
『キャシー・フランクリンよ。よろしく』とキャシーが割って入る。
『和泉真樹です。水泳をやっています。よろしくです。キャシーさんは何かスポーツをしてるんですか?』とたどたどしいながらも英語で話した。
しかし、キャシーは相変わらずのマシンガントークで、すぐに和泉さんは困った表情を浮かべた。
『何度も言うけど、キャシーの英語は早口だし、スラングが多いから伝わらないのよ。会話をする気があるのなら、相手のことをもっと考えなさい』
『カレンやヒーナはすぐに話せるようになったじゃないか』
『そう言うのなら、あなたが日本語を話せるようになればいいでしょ』
私とキャシーの言い争いに『仲良くしないとダメ』とひぃなが間に入って治めてくれる。
別にケンカをしてるつもりはないが、英語だとどうしても感情的に見えてしまう。
和泉さんや他のクラスメイトまで驚いた顔でこちらを見ていた。
「そろそろ行きましょうか」
まだ会場入りもしてないのに、私は少し疲れた顔でそう声を掛けた。
会場に到着し、これまでこの見学についての打ち合わせに協力してくれた担当者に連絡する。
すぐに出て来てくれた。
醍醐さんというこの女性と実際に会うのはこれが初めてだった。
これまでは電話やメールなどでやり取りをしていたからだ。
ショーの主催者とは一度だけ事前にお会いした。
その時は藤原先生やひぃなも一緒で、こちらの趣旨を伝えた。
そこで連絡役として紹介されたのが醍醐さんだった。
醍醐さんは小柄でメガネを掛け、パッと見は普通のOLさんだ。
アラサーと聞いたが、それよりも若く見える。
ショーのメインスタッフのひとりで、広報などを担当していると聞いていた。
「日野です。今日はよろしくお願いします」
「醍醐です。みなさんを歓迎します。……それにしても、凄いメンバーですね。今時の中学生ってこんなに凄いの?」
凄いかどうかは分からないが、イレギュラーなメンバーが加わっていることを説明する。
「モデルが足りないから、何人かいますぐ出て欲しいくらいよ」と本音ともつかぬことを醍醐さんが言った。
会場内はまだ慌ただしく、準備の真っ最中という感じだった。
団体での入場なので少し早めに到着したからだ。
みんなには席に着いて待ってもらい、私は藤原先生とひぃなと楽屋まで挨拶に行く。
そこに当然の顔でキャシーがついて来る。
置いていく訳にもいかないので、許さざるを得ない。
楽屋は会場内以上に喧噪に満ちていた。
開演の準備にみなが目まぐるしく動き回っている。
主催の女性も準備に忙しく、簡単な挨拶だけで済ませた。
代わりに醍醐さんからプロのモデルの方を紹介された。
「本庄サツキです。よろしく。君たち中学生だって?」
身長は私より少し高いくらい。
身体は細く、手足は長い。
いかにもなモデル体型だ。
しかし、そんな外見以上に、人を惹きつけるような魅力を感じる女性だった。
「日野可恋です。よろしくお願いします。こちらの日々木陽稲は同級生、こちらのキャシー・フランクリンは同じ学校ではありませんが、同じ年齢です」
『キャシーよ。あなた、とても素敵ね!』と私が言い終えないうちにキャシーが話し始めた。
『ありがとう。あなたも素敵よ。どう? モデルにならない?』と本庄さんが綺麗な英語でキャシーに話し掛けた。
『ワタシは強くなりたいの。世界最強になったら、モデルをやってみても良いわね』
『生意気なことを言わないの。キャシーが考えるほどモデルは簡単じゃないと思うわ』
私はキャシーをたしなめた後、『ですよね?』と本庄さんに確認する。
『そうね。でも、君たちなら簡単に世界を目指せるかもしれないわよ』と笑顔で語った。
「あ、あの、日々木陽稲です。よろしくお願いします。わたしはファッションデザイナー志望です」
珍しくひぃなが緊張を露わにする。
私は励ますようにひぃなの肩に手を置いた。
本庄さんは腰をかがめてひぃなの目の高さに合わせ、「モデルには興味ないの?」と聞いた。
「わたしはこんな体型ですし、自分を見てもらうより、自分の思い描いた服を着てもらってみんなを楽しませたいと考えています」
「しっかりとした夢があるんだね。頑張って」と本庄さんは優しい笑顔でひぃなを応援した。
「そろそろ準備お願いします」と本庄さんが呼ばれ、私たちも席に戻る。
入場した時には殺風景に見えた空間が、音や光で飾り立てられ刺激的なものに変わっていた。
ショーが始まる。
大音響とともに開始が宣言された。
きらびやかな夢の舞台に真っ先に登場したのは本庄さんだった。
観客席はいつの間にか埋まっていて、その視線を本庄さんが一身に浴びている。
楽屋で見た時よりも、大きく、強く、格好良く見えた。
着ているのは大胆で奇抜で個性的な服。
私では何とも説明しようのない服だけど、この舞台で本庄さんが着ているとただの服に見えてしまう。
良いか悪いかは分からないが、モデルの力量に服が負けているように思えてしまった。
ランウェイを歩く本庄さんが圧倒的すぎた。
私の目は彼女に釘付けになった。
隣りのひぃなも、さっきまでうるさかったキャシーも、ただひとりの女性を食い入るように見つめていた。
本庄さんに続いて、ドンドンとモデルが登場する。
魅力的な服を引き立てるモデルはいたが、本庄さんのようなモデルは他にいなかった。
中には素人と思わせるモデルもいて、醍醐さんの言ったモデル不足は本当だったのかと思った。
本庄さんが出て来るたびに会場のテンションが上がるのを感じたが、それ以外がダメだった訳ではない。
生で見るショーは音と光の演出で魅惑的なものだった。
女子はもちろん、男子も退屈そうな顔をしている子がいなくて私は安堵した。
事前に楽しみ方を解説した冊子を配り、10回音読するようにきつく言った成果だったかもしれないが。
ショーが終わり、非日常の世界が元の日常の世界へと戻った。
混雑を避けるため、他の生徒にはまだ席で待ってもらい、開演前に楽屋に行ったメンバーでもう一度挨拶に向かう。
キャシーは興奮が冷めやらず、『エキサイティングだ』と何度も叫んでいる。
ひぃなは少し目を潤ませていた。
「ひぃな、大丈夫?」と私がひぃなに声を掛けると、「素敵だったよね。私たちのショーもこんな風にできるといいね」と感動を隠さなかった。
さすがに中学校の文化祭でこのレベルの十分の一ですら難しいと思うが、いまは夢を壊さなくてもいいだろう。
サンタを信じる子どもに言うように、「きっとできるよ。頑張ろう」と私は頭をかきながら答えた。
楽屋は開演前と同じような慌ただしさだった。
醍醐さんによると、撤収作業を急がないといけないらしい。
それでも、スタッフの方々のやり遂げた充実感が伝わってくる。
「どうだった?」と醍醐さんに問われ、「素晴らしかったです。クラスメイトも感動したと言ってました。みんな想像以上だったと思います。私もです」と私が代表して答えた。
感想文の提出を生徒全員に義務付け、そのコピーを醍醐さんに送ることになっている。
みんなの反応を見た限りでは良い感想が集まりそうだ。
「中学生たち、喜んでくれたって!」と醍醐さんが他のスタッフたちに声を掛けた。
楽屋に歓声が上がり、他のスタッフたちも私たちのところに来ては感謝の言葉や激励の言葉を掛けてくれる。
キャシーはハイタッチをして回っているし、ひぃなは頭を撫でられまくっている。
最後に本庄さんがやって来て、「君たちの成功を祈るよ」と言ってくれた。
私は胸を張って「精一杯頑張ります」と答えた。
††††† 登場人物紹介 †††††
日野可恋・・・中学2年生。10月の文化祭でファッションショーをすることを提案し、その実現に邁進中。
日々木陽稲・・・中学2年生。夢はファッションデザイナー。
キャシー・フランクリン・・・14歳。空手を習うマイペースアメリカ人。
藤原みどり・・・可恋や陽稲のクラスの副担任。大卒3年目でまだ若い。
安藤純・・・中学2年生。水泳選手として期待されている。無口。
和泉真樹・・・中学1年生。水泳選手として成功し、アイドルに転身することをかなり本気で狙っている。
醍醐かなえ・・・OLとデザイナーの二足のわらじをはく。仕事は有能で周囲の信頼も厚い。
本庄サツキ・・・プロのモデル。今回は恩のある主催者の女性に頼まれて参加した。
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