第70話 令和元年7月15日(月)「アルバイト」日々木華菜

 三連休の最終日。

 どんよりした天気と夏らしからぬ肌寒さが続いて、この三連休で友だちと遊びに行く予定があったのは1日だけだった。

 連日こんな天候ではそういう話も盛り上がらない。

 海の日だっていうのに、海水浴に行こうなんて話題はこの夏一度も出て来ていないよ。


「もしお暇でしたらアルバイトをしてみませんか?」


 朝、いつもより遅くまでベッドでゴロゴロしていたわたしに、妹の友だちである可恋ちゃんから電話が掛かってきた。

 妹のヒナはこの三連休ずっと彼女の家に泊まりに行っている。

 おそらくいまも可恋ちゃんの側にいるだろう。


「どんなバイト?」


「駅前の定食屋さんを知っていますか? 雑貨屋の隣りの」


「あー、赤い看板の店よね?」


「そうです。そこの店主のおじさんが今朝の稽古で右腕を骨折してしまって」


「えー、大変じゃない」


「骨折といっても程度は軽いのですが、さすがに今日は無理しないようにとみんなで止めました。しかし、仕入れが済んでいるからと……。バイトの人が三連休中は旅行だそうで、今日だけ華菜さんに手伝ってもらえないかと思いまして」


「わたしで大丈夫かな?」


「休日なのでお客さんはそれほど多くないらしいです。お昼の2時までで、アルバイト代その他はお店に来てもらってから相談となります。私とひぃなもいまからお手伝いとしてうかがいます」


「分かった。親から許可もらってすぐに向かうね!」


 アルバイト。

 高校生になったからには一度はやってみたいと思っていた。

 オシャレなお店のウエイトレスみたいなのに憧れていたけど、初めてだしこういうのもありかなと思う。

 ヒナや可恋ちゃんがいるというのも心強い。

 そして、何よりわたしの料理の腕が生かせるなら最高だ。

 わたしは急いで着替えて、両親の元に向かった。




 小雨が降り、人通りが少ない駅前のその店はまだシャッターが降りていた。

 わたしが可恋ちゃんに連絡を入れると、店の横の路地からヒナが現れた。


「おはよー、お姉ちゃん。来てくれて、ありがとう。今日ヒマだって言ってたから」


「おはよう、ヒナ。うん、ちょうど良かったよ」


 笑顔で挨拶を交わし、ヒナに案内されて勝手口から店に入る。

 テーブル席が6つのよくある定食屋さんだ。

 そのテーブルのひとつに50代くらいのおじさんとおばさんが座って、可恋ちゃんと話していた。

 おじさんの右腕にはギブスが見える。


「おはようございます。日々木華菜です。今日はよろしくお願いします」


 努めて明るく挨拶をして頭を下げる。


「華菜ちゃんね。今日は来てくれてありがとうね」とおばさんが人なつこい笑顔で歓迎してくれる。


「来てくださってありがとうございます」と可恋ちゃんが立ち上がって綺麗なお辞儀をした。


 わたしは「精一杯頑張ります」と気合いを込めて言った。


 おじさんに案内され奥に行く。

 暗い倉庫のようなところに箱に入った野菜などの食材が積んであった。


「これを厨房まで運んでくれ」


 わたしと一緒に来た可恋ちゃんがその箱を持ち上げる。

 わたしも箱のひとつを持ち上げようとするが、重い。

 可恋ちゃんは箱を持ったままわたしを待ってくれているが、わたしは持ち上げるのに四苦八苦する。

 可恋ちゃんが持っていた箱を下ろし、持ち方や持ち上げ方を指導してくれる。

 これでなんとか持つことに成功したが、運ぶのも一苦労だ。

 厨房の決められた場所にそれを置き、可恋ちゃんはすぐに次を運ぶために移動していく。

 わたしは息を整えてからようやく倉庫へ戻る。

 厨房の外にはもう可恋ちゃんが箱を抱えて戻って来ていて、体力の差を思い知らされた。


 食材運びが一段落した。

 運んだ量は可恋ちゃんの半分以下だった。

 それでも明日は筋肉痛間違いなしという感じだった。

 次は大きな鍋に水を入れ、コンロに乗せる。

 それだけでも力仕事だ。

 家では多くても六人前くらいだったし、力仕事はお父さんに任せることが多い。

 野菜を洗ったり、切ったり、下ごしらえしたりとひとつひとつの作業は難なく行えるのに、量が半端ないのですぐに身体の節々に痛みを感じるようになった。


 気が付けば、開店の時間になっていた。

 こんなことで大丈夫なのかと不安になる。

 下準備の仕事が多いので考えている時間もない。

 目の前のことをやっているうちに初めてのお客さんが来た。


 おばさんがオーダーを取り、それを厨房に伝える。

 緊張しているけど、おじさんが後ろから指示する通りにわたしは動く。

 料理はすぐに完成し、それを綺麗に並べて出す。

 おばさんがそれをお客さんに運ぶ。

 初めて料理を作った時のように、ドキドキしてしまう。

 可恋ちゃんが「見てていいよ」と言ってくれたので、こっそりと観察していた。

 美味しいと言って感動にむせび泣く、なんてマンガのようなシーンはなく、普通に食べてくれている。

 それを見て、わたしはホッとして少し肩の力が抜けた。


 お昼が近付くにつれて、お客さんが増えてきた。

 当然、厨房も慌ただしくなる。

 わたしはひたすらおじさんの言葉に従うだけだ。

 余計なことを考える余裕もない。

 ただ丁寧に言われたことをきっちりとやり切ろうと心がけた。

 可恋ちゃんはサポート役として、力仕事や洗い物などをやってくれた。


 昼を過ぎるとお客さんも減り、2時前には賄いとして好きなものを注文するように言われた。

 5人分を作り終えると厨房の仕事も終了だ。

 店の扉には休店中の札がかけられ、ひとつのテーブルを囲んで昼食を食べることになった。


「いただきます」とおばさんの声に唱和する。


 味見はしていたけど、こうして食べてみるとなんだか不思議な感じがした。

 自分が作ったものなのに、自分が作ったものではないような感じ。

 まあ、わたしは指示された通りに作っただけだしね。


「美味しいわ。よくできてるじゃない」とおばさんが褒めてくれる。


 ヒナも美味しい美味しいと言ってくれるし、可恋ちゃんも「おいしいです」と微笑む。

 しかし、わたしが気になっていたのはおじさんの言葉だった。

 おじさんは器用に左手で箸を持って食べている。


「お嬢ちゃんは筋が良いな」


「筋ですか?」


「料理でも空手でも要はいかにシンプルにやるかってこった。余計な事に囚われず、いちばん大切なものを追い求める。それを突き詰めていけば高みを目指せるはずだ」


 せっかくのおじさんの言葉なのにピンと来ない。

 褒められているようなのは分かるんだけど。


「料理だと、いちばん大切なもの、つまり食べてもらう人に喜んでもらうことを追い求めて、余計な事、つまり自分の腕を誇ったり、他人と比べたり、見栄えに気を使いすぎたりといったことをしないって話ね」


 可恋ちゃんがかみ砕いて説明してくれた。

 わたしは「なるほど」と納得する。

 わたしの場合、余計な事をする余裕がなかっただけなんだけどね。


「この人、空手だと見栄えにこだわるからケガばっかりしてるのよ」とおばさんが笑う。


「これはな、名誉の負傷なんだ」とおじさんが反論するが、「そうですね、腕を誇りすぎましたね」と可恋ちゃんが追い打ちをかけた。


 テーブルが笑いに包まれる。

 わたしはようやく自分が少しは役立ったのかなと思えるようになった。


 食事が終わると、おばさんから封筒を渡された。


「え、こんなに? 多すぎませんか?」と中を確認してわたしは驚いた。


「急だったし、よく働いてくれたっていうのもあるんだけど、可恋ちゃんや陽稲ちゃんは中学生でバイト禁止だからって受け取ってくれなかったのよ。だから、あの子達に何か買ってあげてね」


「分かりました。ありがとうございます」


 わたしが頭を下げていると、可恋ちゃんが近付いてきて夜のことを聞いてきた。

 今日はこれで閉店する予定だったけど、おじさんの気が変わってわたしが続けるなら夜も開けるそうだ。

 夕方5時から8時まで。

 わたしはもちろん「やらせてください!」と即答した。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木華菜・・・高校1年生。趣味は料理。将来の夢は調理師、パティシエ、栄養士など。


日野可恋・・・中学2年生。毎朝空手の稽古に通っている。料理は一通りできるが、人に言われた通りにやるのは苦手。


日々木陽稲・・・中学2年生。パッと見で小学生の彼女を働かせるのはマズいので、レジに座ってニコニコしているだけだった。

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