第68話 令和元年7月13日(土)「目の前の敵」山田小鳩
三連休の初日。
小雨の中、私は日野のマンションに来ている。
ここを訪問するのは二度目だ。
裕福さを感じさせる広々としたリビングに圧倒される。
それを態度に漏出させないために神経を使う必要があった。
「良くできていると思うよ。とても分かりやすいし」
私服姿の日々木が私の書いた文書を読んで感想を述べた。
服飾に疎遠な私では彼女のヒラヒラとした装いがどういったものかよく分からない。
可憐な彼女に良く似合っていることは確実だが、讃賞することは苦手なので言葉で伝達できない。
この文書はプリントとして来週の水曜日に開催される生徒会主催の全校集会で配布される予定のものだ。
スマホの利用法やSNS等インターネットでの注意事項を生徒視点で記載している。
生徒会が自主的にこうした所為を行うことは極めて稀であり、今後の生徒会活動の新たな規範となる可能性もある。
現在生徒会を挙げて取り組んでいるが、日程は非常に切迫している。
この文書も連休前に完成し、教師の了承を取り付ける予定だった。
「完成度は高いわ」
生徒会を多忙の極みに追いやった元凶が私の文書を評した。
一安心と思った私に日野は不穏な言葉を吐く。
「過不足なくよく書かれているから、平均的な中学生なら十分に理解できるでしょう。そうね、全校生徒の7割はこれで問題ないと思う。ただし、残り3割には十分に伝わらない可能性が高いわね。そして、本当に理解して欲しい相手はその3割の生徒なのよね」
私は苦労して書き上げた文書に目をやる。
「では、その3割に正しく伝達するには如何様に描写すればいい?」
「さあ」と日野は首を傾げる。
「こればっかりはね、分かる人には分からない人のつまずく場所って認識しにくいのよ。勉強のようにノウハウの蓄積があるものなら予測可能だったりするけど」
日野の無責任とも言える言葉に私は頷かざるを得なかった。
私も勉強を教えて欲しいと頼まれることがある。
しかし、私の説明が功を奏す機会はほとんどない。
以前出回った日野のノートに感心したが、あれを作成できる日野が判明できないのなら私に分かる道理がない。
「じゃあ、どうすればいいの?」
私の心情を代弁したかのように日々木が日野に質問した。
「蓄積がないなら蓄積するしかない。つまり、いろんな人に読んでもらって、つまずくところを確認していくことね。すべて理解してもらうのは難しくても、チェックポイントを作って大事なところだけでも理解してもらう表現を見つけないと」
日々木が日野の回答を聞いて、心配そうな視線を私に向けた。
「中にはとんでもない理解の仕方をする人もいるから、最終的には個別に当たるしかないけど、プリントで8割9割は目指したいところだね。夏休みにマンツーマンで指導できれば理想だけど」
日野が恐ろしいことを付け加えたので「助言感謝する」と私は彼女の言葉を遮った。
日々木は友人を紹介するよと笑顔で応援してくれたが、日野はまだ何か言いたそうに私を見ている。
全校生徒の1割としても生徒会メンバーだけで指導できる余力はない。
例年、夏休み中の生徒会活動はごく僅かだ。
今年は文化祭に絡む仕事が倍増した。
その上にこのスマホ・SNS関連の取り組みが加わり、生徒会メンバーのスケジュール管理が大変になっている。
そして、これらすべて日野が惹起したものだ。
「それじゃあ、こちらからの依頼なんだけど」
今日私が招聘された理由を日野が話し始めた。
文書への助言は日野の依頼との引き換えだったが、どう考えても割に合わない。
彼女の話は文化祭に積極的ではないクラスの存在とその対策だ。
そういうクラスの存在は生徒会でも確認している。
生徒会や文化祭実行委員会を通して注意する予定だったが、日野の提案は遠大なものだった。
「準備の様子をインスタに上げて、クラスごとに競わせるとかね。もちろん、鍵アカにして外部に流出させないようにしないといけない。生徒のSNS指導と連動できれば面白いわね」
「絶対に流出すると愚考するのだが」
「ヤバい画像じゃなかったら、何人かが頭を下げれば済むでしょ」
私は頭を抱えたくなる。
実際に流出が起きなくても、神経をすり減らしそうだ。
「撮影係を決めて、他の生徒も意識を徹底する。失敗したら今後スマホの持ち込みやSNSの使用が厳しく学校から指導されるという意識付けをしたいのよ」
日野の目的は理解できるが、施行するのは容易ではない。
「文化祭で頑張った生徒を各クラスの投票で決めるというアイディアもある。表向きは名誉だけだけど、ひぃなに頭を撫でてもらうという副賞をつけるわ」
「何よ、それ」と日々木が反応する。
「大丈夫。2年1組は私が選ばれるようにするから」
いや、全然大丈夫じゃないだろ。
「すぐに夏休みだし、文化祭の準備は運動会が終わってから本格化するので、そのタイミングで色々とモチベーションを高める仕組みを増やしていきたいと思ってるの」
「増やすって……」
日野の言葉に私が呆然と呟くと「生徒会から提案してくれてもいいのよ」と笑顔を向けられた。
そんな余裕はないと首を振る私に日野は追い打ちをかけるように新たな提案を追加する。
「外部からの来訪者へのアンケートを投票形式にするとか、そうね、近隣の中学校に見学してもらうのもいいわね」
「待て。生徒会ではキャパシティオーバーだ!」
慌てたせいで普段の口調が乱れてしまった。
しかし、実際に生徒会の容量を超過するのは確実だ。
「足りないなら増やせばいいじゃない」
日野は至極簡単そうに述べる。
「面倒な仕事を欣喜雀躍とやってくれる生徒がいるものか」
「そりゃ喜んで面倒事をやる人はいないでしょ。でも、ちょっとした仕事の協力ならやってくれる生徒はいるはずよ」
「それはそうだが……」
「ちょっとした仕事でも感謝を示し、それが文化祭などにどう関わってくるか伝えることで納得感を引き出す。その積み重ねで、小鳩さんのように自己評価を高めたり、コミュニケーションとして繋がりを作っていったりすることもできるんじゃないかな」
私のように、か。
私はコミュニケーションは苦手だが、自分の力を試したくて生徒会に入った。
いまもコミュニケーションは苦手だが、充実した日々を送っている。
「あとは、餌で釣るとか、弱みを握ったりだとか……」
日野が冗談とも本気ともつかぬ言葉を続ける。
良い話が台無しだ。
「私も自分ひとりでできることなんて、たかがしれてると思い知らされた。小鳩さんも全部自分でやろうとするんじゃなくて、他人に助けてもらうことを覚えないとね。大丈夫、協力してくれる子はいるわよ」
「わたしは小鳩ちゃんのために協力するからね。困ったらいつでも言ってね」
日野の言葉を受けて、日々木がすぐに申し出てくれた。
日々木には助けてもらってばかりだ。
いざとなれば、このふたりが助けてくれるだろう。
このふたりならば、どんな事態も乗り越えられそうだ。
「私は見返りが必要だけどね」
日野の言葉に、そもそもすべてお前の提案だろうと言い返しそうになったが、「その時は取り計ってくれ」と私は胸を張って答えた。
††††† 登場人物紹介 †††††
山田小鳩・・・2年生。生徒会の中心メンバー。独特の喋り方でキャラ付けしているが、日野の前では乱れがち。
日々木陽稲・・・2年1組。小鳩とは1年時のクラスメイト。可恋に振り回される小鳩を心配している。
日野可恋・・・2年1組。頭が良くて責任感の強い子は好き。
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