第62話 令和元年7月7日(日)「雨の七夕」日々木陽稲

 今日は朝、雨だったのでジョギングはお休みした。

 可恋はひとりで朝の稽古に行き、わたしは泊まった可恋の家で昨日の模試の復習。

 それから朝ご飯の準備をしながら、可恋のお母さんの陽子先生とお喋りをする。


 今日は純ちゃんがいないけど、日曜の朝のこの時間は3人で過ごす貴重な時間だ。

 そして、陽子先生はよく可恋の昔話を話してくれる。

 可恋に悪いなあと思うものの、可恋ならこういう話をされることも予想しているだろう。

 可恋がお母さんを口止めできるかどうかはともかく、わたしが陽子先生のお話を聞ける環境をそのままにしているのだから、わたしはありがたく拝聴する。


 陽子先生は今日もお仕事。


「仕事と趣味の区別がないからね」と笑う。


 わたしもそんな風にお仕事できたらいいな。


 陽子先生はわたしにとって憧れの大人になっている。

 会って2ヶ月ほどしか経ってないけど、普段はとても親しみやすいのに、時折いかにも可恋の母親といった頭の良さや格好良さを見せてくれる。

 その幅の広さはわたしの知る大人の中でも群を抜いている。


 そんな陽子先生が出掛け際に真面目な顔でわたしに語った。


「陽稲ちゃんからは、可恋は何でもできるように見えるかもしれない。でも、まだ中学生で未熟なところはたくさんあるの。あの子は私や他の大人の言うことは聞かないかもしれないけど、陽稲ちゃんの言うことなら聞くでしょう。貴女に期待してるわ」


 ニコリと笑顔を向けると陽子先生は出掛けて行った。


 わたしは……。


 そう、わたしは……。


 ぼんやりと陽子先生の言葉を考えていると、可恋が帰ってきた。




 昼になって晴れ間が出て来た。


「晴れてきたのに、夜はまた雨だって」


「そっか、その前に送ってくね」


「もー、そこは七夕なのに雨なんて残念だって言ってくれないと」


 わたしの八つ当たりに、昼食をテーブルに並べる可恋が苦笑した。


「七夕なのに雨なんて残念だなあ」


 可恋が棒読みで言った。


「でも、雲の上の出来事なんだから雨なんて関係ないよね」


「ひぃなが言ったんでしょ」


 ふたりで笑い合う。


 ひとしきり笑って、ようやく収まり、さあ食べようとしたら、可恋が世間話のように言った。


「私、臨玲に行くね」


「え?」


 可恋は食事を始めたが、わたしは箸を持ったまま固まっていた。


「わたしのため……だよね?」


 可恋はさも当然といった顔で頷く。


「可恋ならもっとレベルの高い高校に行けるよね?」


「そうね」


 何を言えばいいか分からない。

 嬉しい気持ちはあるけど、それ以上に複雑な感情が渦巻いている。


「料理が冷めちゃうわ。あとでいくらでも質問に答えてあげるから先に食べちゃおう」


 わたしは頷いて食べ始める。

 しかし、考えることに集中したせいで料理の味はまったく記憶に残らなかった。


 食べ終わり、可恋が淹れてくれたお茶を飲んで一服する。

 今日は私がすると言った可恋が昼食の片付けを済ませて戻って来た。


「考え、まとまった?」


「可恋は……、可恋はもっと良い高校に行くべきだと思う」


 わたしは多分、相当思い詰めた顔をしていたと思う。


「良い高校って?」


 可恋は相変わらず淡々としたままだ。


「偏差値が高くて、進学率も高くて、評判も良くて……」


「ひぃなは高校で何をするつもり?」


「それは……勉強したり、友だちを作ったり、いろんな体験をしたり……」


「勉強以外はどこでもそう変わらなくない?」


「それはそうかもしれないけど、勉強がいちばん大事なんじゃないの」


「良い高校は、優れたカリキュラムがあったり、教師陣、設備などの質が高かったりすると思う。それ以上に、そこに集まる生徒が優秀で切磋琢磨できる環境が大きいと思うけどね」


 わたしは頷く。


「ただ、ひぃなのことに関係なく、わたしはそういう高校への進学はあまり望んでいないのよ。超難関私学は別かもしれないけど、似たような生徒が集まって、ひたすら良い大学に進学するために日々を過ごすというのはね」


 可恋はそこで一度息を吐くと目を細めた。


「私は長生きしたいと思ってるけど、人生設計はとりあえず二十歳までなの。さすがに二十歳で死ぬとは思いたくない。でも、八十歳、百歳というのは現実的じゃない。だから、勉強を最優先で三年も過ごす気はこれっぽっちもない」


「でも、それなら、もっと自分のために時間を使う方がいいじゃない」


 ……わたしのためじゃなく。


「私も少し前まではそう思ってたけどね。ひぃなと出会って、人は人と交わることで喜びや幸せを感じる生き物なんだと知ったよ」


 そんなことを言われたら、何も言い返せないじゃない。

 わたしは両手で顔を覆い、落ち着こうとする。


「ひぃなからは、私が何でもできるように見えるかもしれない。でも、学生のうちは優秀と言ってもらえても、社会に出て実力を発揮できるかは未知数だと思ってる。激務は無理だし、一芸に秀でている訳でもないし。良い高校、良い大学というレールではなく、私の力を生かせる場を探すために高校に行くつもりなの」


 わたしは……。


 そう、わたしは……。


「母も、人との出会いは何ものにも代えがたい宝物だから大切にしなさいと背中を押してくれたわ」


 可恋の言葉にわたしは顔を上げ、叫ぶように想いを伝える。


「わたし、もっともっと頑張って可恋に大切に思ってもらうのに相応しい人間になるね! いまは可恋に守ってもらうばかりだけど、いつか肩を並べられるようになるよ! 絶対成長して、がっかりさせないから!」

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