第50話 令和元年6月25日(火)「ウォーキング」須賀彩花

 10月の文化祭でうちのクラスはファッションショーをやることに決まった。

 ファッションショーだなんて、最初に聞いた時はとてもびっくりした。

 美咲や優奈は乗り気で、その楽しげな様子を見ているとわたしもやってみたいと思うようになった。

 女子は全員モデルとして参加するそうだ。

 わたしがモデルだなんてと思うけど、みんなやるんだし、歩くだけって言われると平気かなって感じがする。

 日々木さんがみんなのために服装をコーディネートしてくれるっていうのも楽しみだ。


 放課後は、文化祭実行委員会に出席する美咲を除くクラスの女子14人が教室に残った。

 監督役に副担任の藤原先生。

 机を廊下側に寄せて、教室の半分を空ける。


「笠井さん、来て」


 教壇に立つ日野さんに呼ばれ、優奈が教室の前に行く。

 日野さんは指でルートを示しながら「ちょっと歩いてくれる?」と優奈に頼んだ。

 窓際を教室の前から後ろに歩き、ターンして前に戻るというコースだ。

 優奈は少しめんどそうな顔をしたが、言われた通りに歩き始めた。


 女子のみんなが注目する。

 その視線を浴びて、優奈が軽やかに歩く。

 明らかにモデルの歩き方を意識しているのが分かる。

 優奈の背は平均くらいで、スタイルは良い。

 運動神経もそれなりにあって、キビキビした歩き方に見えた。

 折り返すところでは軽く手を振って笑顔を振りまいた。

 顔も可愛いし、華がある。


「次、安藤さん、同じように歩いてくれる?」


 モデル体型というには筋肉がつきすぎてゴツゴツしているが、非常に長身だ。

 オシャレなイメージは全然ないものの、姿勢が良いので格好よく見える。

 周りの視線を意識することなく、スタスタ歩き、サッとターンして戻って行った。


「違い、分かる?」


 日野さんがみんなに問い掛ける。

 体型や歩き方が違うのは分かるけど、何を問われているのかが分からない。

 他の子たちも押し黙っていた。

 日々木さんだけがニコニコと分かったような顔をしている。


「今度はふたり並んで歩いてみて。みんなは歩き方に注意して見てね」


 言われた通りに並んで歩く。

 優奈の歩き方は可愛いが、安藤さんに比べると普通というかビシッと決まった感じがしない。

 テレビなんかで見たことがあるファッションモデルの歩き方は安藤さんに近いということはわたしにも分かった。


「次、私が歩くね」


 ふたりが歩き終えると、日野さんがそう言ってひとりで歩き始めた。

 あーって納得する。

 これだよ、これがモデルの歩き方だよ。

 姿勢が良く、動きがシャープで、格好いい。

 これを見ると、優奈はもちろん安藤さんの歩き方さえ見劣りしてしまう。


「モデルウォーキングの技術はみんなに覚えてもらうんだけど、その前に知っておいてもらうことがあるの。やらなきゃいけないことって言った方がいいかな」


 教壇に戻った日野さんが落ち着いた声でみんなに言った。


「この歩き方をマスターするためには、体幹や足の筋肉がそれなりに必要なの。安藤さんなら問題ないけど、笠井さんだとまだ足りない感じね」


 優奈は一応ソフトテニス部に所属している。

 真面目な生徒はごく一部で、大半は遊び感覚なんて優奈は言っていたが、それでも他の生徒よりは運動しているはずだ。


「かなりスポーツに真面目に取り組んでいる生徒以外は筋力が足りていないのよ。特に女子はね」


 そういうものなのか。

 わたしは運動不足なので、筋力が足りていないのは間違いない。


「そこで、ウォーキングの練習と共に、筋トレもやってもらおうと思ってます」


 筋トレという言葉にみんなからえーっと不満の声が上がる。

 わたしも思わず声に出してしまった。


「週に2回、1回30分程度。やり続ければダイエットや美容効果もあり」


 日野さんがテレビショッピングのような笑顔を見せた。


「最初は習慣づけるために放課後に残ってみんなでやるけど、ある程度慣れれば各自家でやっていいから。どうせ1ヶ月後は夏休みだしね」


 そのくらいならいいかなという空気が流れる。


「プールの後とかキツくない?」と優奈。


「そこは調整する。要は習慣にすることだから」と日野さんが答えた。


 わたしもこれまで何度かジョギングや腹筋をしようと試みたことがある。

 もちろんすべて三日坊主に終わった。

 ひとりだとどうしても怠ける気持ちが出てしまう。

 みんなと一緒なら続けられるかもと思った。


「『筋肉は裏切らない』って言葉が流行ってるみたいだけど、そこまで言わなくても続けたらちゃんと成果は出るわ。報酬は、颯爽と歩けるようになること。どう、やってみない?」


 日野さんの言葉に心がグラリと揺れる。

 急に顔が綺麗になったり、胸が大きくなったりはしないと思うし、今更あまり期待できることじゃないけど、格好良く歩く姿は魅力的だし、自分でも手が届きそうな気がする。

 日野さんもそうだし、美咲も姿勢や仕草が素敵で、あんな風に自分もできたらと憧れることがあった。


 やってみてもいいかなって空気が広がる中で、日野さんがウォーキングの説明を始めた。


「まずは基本ね。細かいことはいまはいい。ポイントは3つ。そこだけ意識して。姿勢、歩幅、体重のかけ方ね」


 実演しながら教えてくれる。

 相変わらず教え方が的確で分かりやすい。

 いつの間にかみんなが食い入るように話を聞いている。


「では、ひとりひとり歩いてもらうね。ひぃな、安藤さん、撮影お願い」


 日々木さんと安藤さんがビデオカメラを構える。

 日々木さんは教室の後ろで正面から、安藤さんは寄せられた机の前で横から撮影する。

 わたしはちゃんと歩けるか緊張する。


「最初はうまくできなくて当然だから、まずは確認ね。やっていくうちに綺麗に歩けるようになるから大丈夫」


 最初に呼ばれたのは、また優奈だった。

 さっきと違いかなり真剣な面持ちで歩き始めた。

 言われたポイントを意識しているのがよく分かる。

 本当に見違えた歩き方になっていた。


「さすがね。良くなってる」


 日野さんが褒めると、「これでも運動部所属だから」と優奈が鼻を高くした。


「後で動画を確認して欲しいけど……」と日野さんがいくつかの注意点を伝える。

 優奈も納得したように頷いている。


 その後は流れ作業のように、名前が呼ばれ、歩いて終了という展開が続いた。

 優奈と違い明らかにまだまだというのが分かる歩き方ばかりだ。

 わたしも人のことは言えない。

 うまく歩けたという実感はなく、きっと動画を見たら頭を抱えるだろう。

 しかも、ほんのちょっと歩いただけなのに太ももの内側辺りに張りを感じた。

 日野さんの言う筋力不足のせいなんだろう。


「彩花、けっこう良かったよ」


 ガックリしていたら綾乃に声を掛けられた。


「綾乃はどう?」


「難しい」と綾乃が首を振った。


 確かに彼女の歩き方は、優奈が最初に歩いた時のような「普通」な感じだった。

 姿勢は悪くないけど、歩幅が小さく、スススーと流れるような歩き方に見えた。

 それを伝えると、「本当に難しい」とうなだれた。

 何でもそつなくこなす綾乃にしては珍しい。


「まだ初日だし、これから頑張ろうよ」と励ますと、少し前向きになったように「うん」と綾乃は頷いた。


 最後に呼ばれたのが麓さんだった。

 反抗的になることもなく、ちゃんとモデルを意識した歩き方をした。

 それが予想外にうまくできていてとても驚いた。


「麓さんは筋力も十分にあるから合格ね。運動会が終わるまでこの練習を免除するわ」


 麓さんは日野さんと少し言葉を交わし、教室から出て行った。


 全員終わったと思っていると、日野さんが「次、藤原先生」と言った。


 しかし、藤原先生は立ったまま動こうとしない。

 その眉間には皺が寄り、不快感を隠そうとしていない。

 それに気付いたクラスメイトたちが、ふたりの間の不穏な雰囲気に息を潜め始めた。

 さっきまであったざわめきは消え、教室は静けさに包まれる。


 それを破ったのは「ただいま戻りました」という美咲の声だった。


「委員会、ご苦労様」と日野さんが労うと、「まだやっていたんですね」と美咲が微笑んだ。

 教室にはホッとした空気が流れる。


「みんなに歩いてもらって、それを録画していたの。松田さんにも歩いてもらうね。その前に、藤原先生、お手本をお願いします」


 またピリピリしちゃうかと思ったけど、今度は藤原先生が折れた。

 不機嫌そうなオーラを発しながらも、藤原先生はウォーキングした。

 それはお世辞にもお手本と呼べるものではなかった。


 気まずい空気を消し去ったのはまたしても美咲だった。

 日野さんの説明を聞いてか聞かずか分からないが、クネクネと腰をくねらせて美咲は歩いた。

 お笑い芸人が過度に誇張して笑いを取るような歩き方だった。

 それはないでしょ! と思うのに、美咲の顔は大真面目だった。

 そんな美咲を見ているクラスメイトたちは、驚く顔、呆れる顔、青ざめる顔が並び、ニコニコと笑っているのは日々木さんだけだった。


 美咲のウォーキングが終わり、日野さんが疲れた顔で筋トレの説明をした。


「歩いて気付いた人もいると思うけど、意識して歩くだけでもトレーニングになるから。あと、体幹や足を鍛えるのにスクワットが有効なので次回からみんなでやります。スカートだとできないから、体操服に着替えてね」


 トレーニングを行う曜日は体育のある日だけど、水泳の時も体操服を忘れないように気を付けないと。


「今日はお疲れ様。次は金曜ね。無理な人は連絡をお願い。私、日々木さん、松田さんあたりによろしく。ただし、家でちゃんとスクワットをやるようにね」


「スクワットってしゃがむだけでいいの?」


 ある程度どんなものかイメージはできる。

 でも、ちゃんとやったことがあったかどうか記憶にない。

 そこで、つい声に出して聞いてしまった。


「そうね、いくつか気を付けることもあるし、休む人の家に押しかけて指導してあげてもいいわよ」


 日野さんが笑う。

 冗談なのか本気なのか分からない。

 わたしは休んだりサボったりしないように気を付けようと心から思った。




「ねえ、ねえ、ちょっといい?」


 机を並べ直し、みんなが帰り支度をする中で優奈が日野さんに声を掛けた。


「二の腕のたるみが気になるんだけど、良いトレーニングない?」


 半袖の制服からスラリと伸びる優奈の二の腕のどこにたるみがあるのかと思ってしまうが、本人は気になるのだろう。


「笠井さんの場合は、筋力不足じゃなくて姿勢の問題かな」


 日野さんが優奈の背に手を当て背筋を伸ばす。


「姿勢が悪いとリンパの流れが悪くなるって言うから」


「そうなんだ。でも、この姿勢を保つのってかなりしんどいよね」


「そこで体幹が大事になってくるのよ。まあ慣れもあるんだけどね」


 ふたりの話を聞きながら、わたしも背筋を伸ばそうとする。

 確かにこの姿勢を保つのは大変だ。


「わたしは合唱部だけど、優奈より鍛えてるよ」と得意げにひかりが言った。


 言葉通りひかりは優奈よりも姿勢が良い。

 ウォーキングでもかなり美しい歩き方をしていた。


「渡瀬さんは筋力も足りている感じだし、あとは歩く技術をマスターすれば合格ね」


「やったー!」


「でも、油断すると筋力は落ちちゃうから気を付けてね」


 正式かどうかは知らないけど、ひかりは合唱部を辞めた。

 文化祭はまだ先なので、筋力の維持は大変だろう。

 それを意識してか、優奈がソフトテニス部に入らないかとひかりを誘っている。


 わたしは日野さんに声を掛けたそうにしている綾乃に「聞いてみれば」と囁いた。


「私はどうしたらいい?」


「田辺さんは筋力不足だね」と日野さんが答えた。


「ひぃなは1ヶ月くらい前まで、いまの田辺さんよりも筋力不足だったんだけど、この1ヶ月間筋トレと食事の改善でかなりマシになったよ」


「ほらっ」と言って日野さんの横にいた日々木さんが自分のスカートをまくり上げた。

 あまりにも大胆だったのでみんな唖然としてしまう。


「こら」と日野さんから頭を叩かれ、下着が見えないところまでスカートの裾を下げた。

 その太ももは中学生とは思えない細さだ。


「これでもマシになったんだよ。前は骨と皮って感じだったから」


 これより細かったのかと呆然としてしまう。

 でも、これ以上細いと健康的には見えないよね。


「太りたくない、痩せたい、綺麗になりたい、そういう気持ちが悪い訳じゃない。でも、その前提に健康な身体があってこそだって気付いて欲しいな。適度な食事と適度な運動は生きる上でもっとも基本的なことだから」


 日野さんの言葉から切実な思いが伝わってきた。


「人は時に心身のバランスが崩れてうまく自分をコントロールできない時もある。そういう時は専門家、お医者さんに診てもらうといい。ひとりで抱え込まないようにね」


 えっ、綾乃ってそんなに深刻に悩んでいたの? って綾乃を見つめると、日野さんが唐突に話題を変えた。


「須賀さんは目が良いね」


「!?」


 慌てて日野さんを見る。


「他の人の歩き方をよく見て、自分の動きに取り入れようとしているのが分かったよ」


 日野さんに褒められて舞い上がりそうになる。


「その能力を生かすも殺すも、筋力が必要だけどね」


 結局はそこか。

 しかし、前向きな気持ちになれた。


「わたしはどうでした?」


 美咲が質問した。


「遅れての参加だったしね。……笠井さんたちのアドバイスを聞いて頑張ってね」


 日野さんは横を向いたまま答えた。

 もしかして、日野さんは匙を投げた? と思ったけど、まずはわたしたちでやれるところまでやらないと。

 美咲や綾乃にはいつも助けられている。

 こういう時こそ、頑張らないと。

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