第47話 令和元年6月22日(土)「買い物」日々木陽稲
さほど強い雨ではなかったので、昼から可恋と買い物に出掛ける。
いかにも梅雨という暗い雲が空を覆う。
わたしにとってその雲は太陽と紫外線を遮ってくれるありがたい存在だった。
とはいえ、日焼け止めのクリームはしっかり塗らなくちゃいけないけどね。
「本当に体調は大丈夫?」
「平気だって」
「買い物に行って疲れたりしない?」
「身体は問題ないよ。メンタルもひぃなと一緒なら癒やされるから」
わたしの心配を可恋が笑い飛ばす。
ただファッション関係の買い物だとわたしが夢中になって周りを疲れさせてしまうことがあるので自重が必要だ。
以前一緒に行ったショッピングモールが目的地だ。
その時はバスを利用したけど、今日は自転車で行く。
天候を見て、可恋は心配そうな顔をしていた。
でも、小雨だし、強い日差しの中を走るより気持ちが良さそうだ。
滑りやすい路面にだけ注意しておけば大丈夫だろう。
可恋の自転車は買ったばかりなので、それが濡れることの方がわたしには気になった。
黒いフレームでスポーティ。
可恋に良く似合っている。
レインジャケットを着て出発の準備を整えた。
それに引き換えわたしの自転車はお姉ちゃんのお下がりのママチャリ。
サイズも子どもサイズで、可恋と並ぶと相当に見劣りする。
これまではそんなに乗る機会がないからと気にしていなかった。
しかし、見た目が良くないというのはわたしにとって死活問題だ。
ポンチョタイプのレインコートは可愛いんだけどね。
「わたしも自転車欲しいなあ」
「ひぃなも体力がついてきたし、ちょっと遠出するのも面白そうだね」
可恋とサイクリングかあ。
それは楽しそうだ。
「夏は辛いから、秋になってからだろうけど」
「そうだねえ」とわたしは頷いた。
体力的にも紫外線的にも夏場は無理だろう。
冬は可恋の体調が心配だし、行くとしたら秋。
それまでに自転車をどうするか考えておこう。
ショッピングモールはそこそこ混んでいた。
試験開けだし、前の時のように誰かと出くわさないかキョロキョロあたりを見回す。
幸い、知った顔はいなかった。
「可恋、水着はどうするの?」
学校で水泳の授業が間もなく始まる。
可恋の成長の著しさを知る身としては聞かずにはいられなかった。
「私、プールは入れないから」
可恋が淡々と答える。
「もしかして泳げない?」
可恋は頷いて、「ひぃなが溺れても私じゃ助けられないから、安藤さんがいてくれて助かるわ」と微笑む。
「じゃあ、海水浴もダメだよね?」
「そうだね。ひぃなは行くの?」
「海は無理。どれだけ日焼け止めを塗っても焼け死ぬとしか思えないから」
でも、憧れみたいなものはあるよね。
夏の浜辺でパラソルの下で、みたいな光景を。
「ひと夏に一度か二度、屋内プールには行ってる。お姉ちゃんや純ちゃんと」
わたしの場合、浮いているだけという感じだけど、それでも泳ぐのは嫌いじゃない。
「筋力がついてきたから、少しはちゃんと泳げるんじゃないかな」
可恋にそう言ってもらえて、学校の水泳の授業が少し楽しみになった。
「ひぃなは水着買わないの?」
「去年のがまだ着れるから……」
「あー、まあ、でも、流行もあるし……」と可恋が言葉を濁す。
実際、どうしよう。
可恋と一緒にプールに行けないのなら、この夏はプールへ行くかどうか分からなくなった。
夏休み中は”じいじ”の家で過ごす時間が長いし、いとこたちとはプールにあまり行きたくないし……。
新しい水着は欲しいし、着てみたいんだけどね。
「新しい水着を買って、可恋の家で着て過ごすってのはどう?」
「ごめん、意味が分からない」
せっかく素晴らしいアイディアを思い付いたのに、可恋にすげなく返された。
これなら可恋の水着姿が拝めたかもしれないのに。
結局、水着売り場には寄らずに夏物の衣類を見て回る。
可恋の買い物は非常に計画的だ。
どんな服がどれくらい必要か常に頭に入っている。
そして、その中で自分なりの基準に合格するものを買うという感じだ。
買う必要がないものは気にも留めない。
価格、素材、メーカー、洗濯方法など細かくチェックして買っている。
「可恋の買い方だと似たようなものばっかりになっちゃわない?」
「そうだね」
だから、わたしは可恋が自分では選びそうにない服を勧めるのだけど全然首を縦に振らない。
以前から可恋にはいろんな服を着せたいと思っているのに、なかなかチャンスがない。
一方、わたしの服の選び方は可恋とは真逆だ。
気に入った服との出会い、それがわたしにとっての全てだ。
出会えば買うし、出会わなければ買わない。
ただそれだけ。
行きつけのブティックだと顔見知りの店員さんからお勧めを教えてもらったり、情報交換したりと会話を楽しむのも買い物の醍醐味だ。
わたしの買い物中は可恋は横に立ち、エスコートしてくれたりする。
別々に買い物した方が効率的だけど、可恋は決してわたしの側を離れない。
「陽稲ちゃん、久しぶりだね」
かなり大きな声で呼びかけられた。
日に焼けた女の子がわたしに手を振っている。
「都古ちゃん!」
宇野都古、1年の時のクラスメイトだ。
「珍しいところで会うね」
フードコートなら分かるけど、婦人服売り場で会ったことに驚いた。
わたしの知る都古ちゃんはオシャレには気を使わないタイプだ。
いまも髪はボサボサだし、服装もTシャツにハーフパンツだった。
「部活が休みで、家でゴロゴロしてたら、追い出されたんだよー。それで、服買ってきなさいって、お金はもらったんだけどさー」
うんうんとわたしは頷く。
「家出たら、走りたくなって、ここまで走ってきたんだよー」
「ごめん、意味が分からないんだけど」
「えー、走り出したくならない?」
「わたしは陸上部じゃないから」
そう言うと都古ちゃんは納得してくれた。
陸上部ってみんなそうなの?
「服は買わないの?」
都古ちゃんは手ぶらだ。
「それがさー、服がいっぱいありすぎてどれを買ったらいいか全然分かんなくて」
都古ちゃんらしい。
わたしは笑みを零した。
可恋を見上げると、頷いてくれた。
「少し手伝うよ。どんな服が欲しいの?」
「あー! ごめん、デート中?」
都古ちゃんが大声で叫ぶ。
どう答えようか迷っていると、「今日は純ちゃんは一緒じゃないんだね」と話が飛んだ。
「純ちゃんはスイミングスクールがあるから」
「そっか……いいなあ。最近部活の時間が短くなったって聞いて。前は土日も必ず部活あったのに、今は大会とかじゃないとどっちかは休みだし」
「宇野さんも地域のスポーツクラブに入ったら?」
それまで黙っていた可恋が口を挟んだ。
都古ちゃんのことを紹介していなかったのに、可恋は知っているようだ。
「スポーツクラブかあ……」
「陸上を真剣にやりたいならそういう選択肢もあるよ。色々と調べてみれば? 必要なら協力するよ」
わたしは詳しく知らないけど、都古ちゃんは県大会で好成績を上げたからと表彰されたこともあった。
「お前、いい奴だな」
「お前じゃなくて、日野可恋ね」
「可恋……可恋って、もしかして女か?」
さっきデートと言われた時に気付くべきだった。
冗談だとばかり思っていたけど、都古ちゃんは可恋を男だと思っていたのか。
確かに可恋はショートの黒髪で中性的な雰囲気はある。
服装もレインジャケットにスキニーパンツだからパッと見には男性に間違われそうだ。
中学生の女子にしては背も高く、声も低い。
いまは胸元も目立たないので、わたしと並ぶと男女のカップルに見えそうだ。
もしかして今日会った店員さんの中にも勘違いした人がいたかもしれない。
いつもより温かい目で見る人がいたから不思議に思ってたんだよね……。
「生物学的には女だね」と可恋が苦笑する。
「じゃあ、可恋ちゃんか」と都古ちゃんは悪びれることなく言った。
「同級生にちゃん付けされるのは嫌だから、呼び捨てにして。宇野さんは都古ちゃんって呼ばれるのがいいの?」
「好きに呼んでくれていいよ、可恋」
都古ちゃんが「可恋」と呼ぶのを聞いて少し心がざわついた。
これまで可恋と呼ぶのはわたしと可恋のお母さんだけだった。
可恋がわたしを「ひぃな」と呼ぶように、わたしも何か特別な呼び方を考えようかな。
可恋が都古ちゃんから買う服と使える金額を聞き出してわたしに言った。
「お金の管理は私がするから、ひぃなは服を選んで」
「任せて、可恋」
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