第42話 令和元年6月17日(月)「勉強」千草春菜
「この式からこっちの式にエックスを代入すれば解けるでしょ?」
「うん」
私の説明に泊里が頷く。
「じゃあ、この問題を解けるよね? やってみて」
私は参考書の問題を解いてもらう。
しかし、泊里の手は動かない。
頭を抱えたくなる気持ちをグッとこらえる。
私は勉強を教えるのが下手だ。
いままで勉強ができる子だと周囲から見られていたから、教える機会は少なくなかった。
説明すれば「分かった」と言ってもらえる。
でも、同じような質問を繰り返されたり、分かったことを前提にその先に進んでも実は分かっていなかったりというケースが多かった。
それなりにできる子が相手なら、教え方が下手でもそこからヒントを見つけて自分で解決してくれる。
1年の時は友だちの中に伝え方が上手い子がいて、その子のお蔭で私でもなんとかなった。
しかし、今は泊里とマンツーマンで、しかも、彼女はかなり成績が悪い。
先週の金曜日に事件後初めて泊里が登校した。
打ち合わせ通りに私が声を掛けようとしたら、日野さんから「勉強を教えてあげて」と言われた。
期末テストまで1週間を切っていたし、これまで接点がなかった相手だったからちょうど良い話題だと思って頷いた。
追試や補習の可能性を指摘すると泊里はかなりの危機感を持ってくれたので、勉強を通してお互いの関係をうまく作ることができた。
問題は私がうまく教えられないことだった。
泊里にあらためて一から連立方程式について説明する。
真剣に聞いてくれるのに、どこが分かっていないのかが私には分からない。
泊里の「分かった」の言葉にもう一度問題を解いてもらうが、明らかに間違った解法を見て私は途方に暮れた。
次の休み時間、私は日野さんのところへ急いだ。
日野さんは中間テストの時と同じようにクラスメイトからの質問に答えている。
試験まであと二日と迫り、先程の休み時間も彼女の周りに人が集まっていた。
他の子もいたけど、日野さんは優先的に対応してくれた。
「これを覚えてもらって」
コピーした紙を渡された。
20枚くらいあって、教科が上に大きく書かれ、単語とその説明文が並んでいる。
ざっと見ると、9教科分あった。
取り上げられている単語は基本中の基本といった感じで、わざわざその言葉を取り上げるのかと思ってしまう。
1枚の紙に20語ほどあって、横に丁寧な解説が書かれていた。
「これを覚えるの?」
もっと覚えなければならない用語があるように思う。
「ちゃんと分かっていたら、削っていって。三島さんだと、この単語を覚えるだけで時間切れになると思うけど」
日野さんはチラッと泊里に目をやってからそう言った。
いくらあと二日しかないと言っても、もう少しはできると思う。
「あと、これも」ともう1枚渡された。
計算問題がずらっと並んでいる。
数学……ではなく、算数の問題だった。
三桁程度の足し算から、四則計算、分数や小数の計算、カッコがついて計算の順番を問うようなものもある。
「確認用だけど、分かってないようなら数学は捨てた方がいいと思う」
かなりショックな言葉だった。
「勉強する習慣がない子は、基本的に自宅でひとりでは勉強できないから」
「え?」
「集中力が続かなかったり、どう勉強していいか分からなかったりするの」
「そうなの?」
「彼女に土日どれくらい勉強したか聞いてみたらいい」
金曜日に「勉強しなくちゃ」と焦っていたし、今日も勉強する意欲はあると感じている。
金曜日の帰り際には私のノートのコピーも渡した。
勉強していないなんて考えられない。
「今後のことはともかく、試験まで時間がないから休み時間にできるだけつきあってあげて。自分の勉強する時間が削られるので、千草さんには悪いと思うけど」
私は首を横に振り、「平気。任せて」と答えた。
日野さんはクラスメイトに自分の時間を割いているのだから、私ができないはずがない。
泊里のところへ戻ってプリントを見せた。
単語だけ見せて、口で説明してもらう。
まったく分からない言葉はほとんどなかったが、大半はうろ覚えで、きちんと理解していると思えたものは三分の一にも満たなかった。
これでは試験勉強以前の問題だ。
「泊里、土日って勉強した?」
「勉強しようとは思ったんだよ。でもね、新しいスマホ買ってもらって、アプリとかダウンロードしてたら土日終わっててさ……」
泊里に悪気はないようだ。
日野さんの言う通りなのだろう。
家で勉強すれば、この程度の量はすぐに覚えられそうなのに。
彼女を突き放すのは簡単だ。
勉強勉強と言えば、むしろ彼女の方から離れていくかもしれない。
彼女に勉強を教えようとすれば、テストのたびにこんな脱力感を覚えることになるだろう。
まあ、でも、去年の苦しみに比べればこの程度と思う。
1年の時は麓たか良たちの暴力やいじめから、みんなで寄り添い耐えていた。
事件を起こしたとはいえ、泊里と麓では大きく違う。
泊里に勉強を教えることになったのも何かの縁だ。
先のことはともかく、この期末テストは全力で付き合おうと思った。
「せっかくだから、名前で呼び合ってみたら?」とは、泊里をグループに入れた時に日々木さんが提案してくれたことだった。
泊里の気持ちがそれで変わればいいかなと思って実行してみたけど、それ以上に私の方が影響を受けたかもしれない。
「ほら、泊里。先生が来るまでにひとつでも単語を覚えよう」
名前で呼ぶことで、去年の世話焼きだった自分が蘇ってくる。
それは悪い気分ではなかった。
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