第39話 令和元年6月14日(金)「ひかり」三島泊里

「あー、ダルい……」


 1週間振りの学校。

 あたしは家を追い出されるように学校に行かされた。


 補導された直後、父親に怒鳴られ、母親に泣かれた。

 家の中はピリピリしていたものの、無理に学校に行けとは言われなかったので、自分の部屋でゴロゴロする生活をしていた。

 退屈じゃあるけど、学校に行かずに済むのは天国のようなものだった。

 しかし、ひかりが月曜から登校しているという話を聞いて、親はコロッと態度を変え、お前もサッサと学校に行けと言われるようになった。


 新しいスマホを買ってもらうことを交換条件にして、あたしは眠い目を擦りながら家を出た。

 1週間も学校に行かないと夜更かしが当たり前になっていた。

 急がないと遅刻だ。

 それでも、ひかりとの待ち合わせ場所で一度足を止めた。


 ひかりはいない。

 あたしが今日から学校に行くことを知らないのだから当然だろう。

 きっと先に行ったはずだ。

 あたしはひとつ息を吐くと学校へ歩き出した。


 これまで、ひかりはよくうちに遊びに来ていた。

 だから、来るかなと思っていた。

 スマホがないので、話をしようと思えば直接会うしかない。

 ひかりの家に行かなかったあたしが言うのもなんだけど、待っていたのにという気持ちはあった。


 学校が近付くにつれて、足取りが重くなってきた。

 ……ヤだなあ。

 でも、ここまで来て引き返すこともできず、校門をくぐる。

 チャイムが鳴り響く中、靴を履き替え、廊下を歩いた。


 すでにホームルームが始まっていた。

 教室の前の扉を開くと、一斉に視線が向けられた。

 怖じ気づいて、教室の中に入れない。

 教壇のところにいた小野田先生がゆっくりとやって来て、「いらっしゃい」と迎え入れてくれた。


 意を決して教室の中に入る。

 ポツンと開いている自分の席に急いで向かう。

 席に着くと、さっきまでの視線を感じなくてホッとした。


 休み時間になった。

 あたしはひかりの姿を目で追った。

 ひかりはあたしに目もくれずに、真っ直ぐ松田さんのところへ寄って行った。

 あたしのことを気にする素振りもなく、楽しそうに話している。


 ……何、それ。


 あたしは1年の時もひかりと同じクラスだからよく知っている。

 去年、ひかりをハブったのは松田さんや笠井さんだ。

 そのふたりと、なんで和気あいあいと喋ってるの?


 あたしは自分の失敗に気が付いた。

 ひかりってそういう子だった。

 ハブられたひかりにちょっと優しくしただけで、彼女はあたしにべったりだった。

 あたしのいない隙に、松田さんたちに優しくされてすっかり懐いている。

 ずっと続くと思っていたふたりの関係はこの1週間で消え去っていた。


 あたしは爪を噛む。

 これで、あたしはぼっちだ。


 あたしがひかりに気を取られている間に、日野さんと千草さんがやって来た。

 名前を呼ばれ、座ったままふたりを見上げる。


「私のグループに入らない?」と千草さんが言った。


 あたしのぼっち救済というお節介なのだろう。

 千草さんの他に塚本さんがいると教えられたが、何を話すのか思い浮かばないグループだ。


「しばらく試してみたら」と日野さんに言われ、渋々頷く。


 これまではクラスに居場所がなくても、合唱部があった。

 谷先生がいなくなれば、合唱部にあたしの居場所があるのかどうかも怪しい。

 ひかりは……その幸せそうな横顔を見て、これ以上考えることをやめた。




 千草さん――いや、春菜の提案で名前呼びをしようということになった。

 形から入るタイプなのだろう。

 明日香は休み時間のたびに他のクラスにいる彼氏のところへ行ってしまう。

 だから、ほとんどの時間が春菜とふたりきりだ。


 その春菜からは来週にある期末テストの心配をされた。

 あたしも油断してた。

 もともとひどい成績だったのに、1週間休んでかなりのピンチだ。

 あんな事件があったから仕方ないよねと軽く考えていたけど、その分は夏休みに補習があるんじゃないかと春菜に言われ青ざめた。


「私は日野さんほど教えるのは得意じゃないけど」と春菜は言うが、試験範囲の情報だけでなく、勉強のやり方などもアドバイスしてくれた。

 勉強なんて大嫌いだけど、追試や補習はそれ以上に嫌だ。

 春菜に励まされながら、その後の休み時間は勉強にあてることになった。


 いろいろあった学校での一日が終わった。

 これまでのひかりとふたりだけの日常とは大きく変わった。

 良いか悪いかは分かんないけど、しばらくはこれが続くだろう。


 放課後、あたしはひかりを呼び止めた。

 ひかりが振り向いてあたしを見る。

 無表情に見えるひかりの顔から、あたしは彼女の気持ちを読み取れない。


「泊里、ごめんね」


 あたしが口を開くより早く、ひかりがそう言った。

 教室に残る生徒から注目されていることに気付く。


「別に、謝ることじゃないし」


 あたしはそっぽを向いてそう答えた。


 言いたいことがあったはずなのに、頭が真っ白で言葉が出て来ない。


 落ち着こうと思ってゆっくりと息を吐く。

 ひかりはあたしの言葉を待っている。

 その顔を見ているうちにどうでもよくなった。


「悪い男に引っかかんなよ」


「何、それ」とひかりが笑う。


 あたしも笑い返す。

 ほんと、なんだよ、それ。

 ゲラゲラと笑っていると、心のもやもやが少しだけ晴れた気になる。


「またね」とひとしきり笑ったひかりが手を振って駆けていった。


「また」とあたしも手を振る。


 振り返らないひかりを見ながら、手を振り続ける。

 言いたいことはたくさんあるけど、いまはまだ……。


 そのうち話せることもあるはずだ。


 跳ねるポニーテールをあたしはずっと見ていた。

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