第29話 令和元年6月4日(火)「キャンプ」日々木陽稲

 バスの車窓から見える風景は、見慣れた市街地ではなく山の緑が目につくようになってきた。

 わたしにとっては長期休暇の度に訪れる北関東の”じいじ”の家の周辺で馴染みの景色だ。


 太陽は時折顔をのぞかせる程度で、気温も少し蒸し暑く感じるくらい。

 それでも紫外線対策に、日焼け止めクリームを塗りまくり、長袖のジャージを着込んで顔もタオルで守っている。

 わたしの白い肌は日の光に弱く、すぐに赤く染まり、油断すると水ぶくれになる。


 窓側には純ちゃんに座ってもらい、日除け代わりにしている。

 通路側の隣りに座る可恋は「水分補給」と言ってペットボトルを差し出してくれた。


 二泊三日の野外学習。

 キャンプに向かうバスの中は、高揚した生徒たちのざわめきで騒がしい。


「可恋は乗り物酔いは平気なの?」


「平気。でも、長時間の移動は苦手かな。疲れやすいから。ひぃなは?」


「最近はマシになったけど、子どもの頃はしょっちゅう酔ってた。酔い止めの薬は持って来たけど、少し不安」


「昨夜はちゃんと寝た?」と可恋がからかうように聞いてきた。


「寝たよー。子どもじゃないんだから、ドキドキして眠れなかったってことは、ほんのちょっとしかなかったし」


「あったんだ」と可恋が笑う。


「誰だってちょっとくらいはあるよね?」と左右に座る純ちゃんと可恋の顔を見る。

 純ちゃんは小首を傾げ、可恋も首を振る。

 このふたりが特別なんだよ。


「そういえば、可恋はいつも夜9時に寝るけど、キャンプだともっと遅くなるでしょ。平気なの?」


「仕方ないね。まあ2日くらいなら大丈夫」


「朝5時に起きたりしない?」


「どうだろ。目を覚ましちゃうかもしれないけど、さすがに迷惑だって分かるから」と苦笑する。


「それよりも金曜日に普通に学校があることが信じられないよね」と可恋が嘆いた。

 キャンプは火水木の三日間で、金曜日は休みじゃない。

 すぐに土日が来るものの、確かに辛いかも。


「もしかして、サボる気?」


 わたしが怒った顔をしてみせると、可恋はニヤニヤと笑いながら肩をすくめた。

 可恋がちょっとしたズルを平気ですることに最近気付いた。

 可恋の場合、免疫力が著しく低いという障害があるため周りも大目に見てくれる。

 1日2日休んだところで学業その他にまったく影響しないという実力があるから、ズルと分かっても文句を言えないんだけど。


「そうだね、今回のキャンプでの私の働きを見て、休んでいいかどうかひぃなが決めて」と可恋が言った。

 このキャンプで何かが起きそうだと言って可恋は対策を立てている。

 その大部分をわたしは教えてもらっていない。

 わたしが知ると顔に出るからと言われている。

 それはわたしも自覚している。


「キャンプが終わったら、全部教えてね」


「話せることはすべて話すよ」


 わたしにできることは可恋を信じること。

 わたしは「約束だよ」と言って可恋と手を繋いだ。




 キャンプ場では、先生たちの指示に従うばかりでやらされている感じが強かった。

 ようやくキャンプらしくなってきたのは、班ごとに分かれて夕食のカレー作りを始めてからだ。

 可恋は他の班のサポート役としてあちらこちらを見回っている。

 だから、わたしがカレー作りの指揮をする。

 このためにお姉ちゃんからコツをいっぱい聞いてきた。


「そこ、ナイフの持ち方、気を付けて!」


 純ちゃんも男子の3人も料理に慣れてないので危なっかしい。

 その上、キッチンで作るのとは様々な違いがあって、わたしも大苦戦だ。

 自分のことでさえ満足にできないのに、他人に教えながらなんてとてもできない。

 可恋からは具を小さめにカットしておけば大きな失敗にはならないからとだけ言われていた。

 しかし、それさえできない子が複数いるとは予想していなかった。


「どう、順調?」


 可恋が見回りに来てくれた。

 他の班は可恋や先生たちがかなり手を出していた。

 わたしもちょっと手伝って欲しいと思っているものの言えないでいる。


「頑張ってはいるよ……」


 わたしの言葉を聞き流し、可恋は進行具合を確認している。


「まずまずだね」と可恋が言った。

 カレーは煮込み始めている。

 今は男子が中心となって飯ごうの準備中だ。


「少し日差しがあるね。クリーム塗ってあげる」と言ってくれた。

 木立の陰に連れて行かれて、可恋はわたしの汗をタオルで拭ってくれる。

 わたしは持っていた水筒を取り出したけど、可恋に「こっちを」と言われ、スポーツドリンクを手渡された。

 それを飲み、クリームを塗ってもらうと、肩の力が抜けた感じがした。


「ひぃなって、谷先生のことどう思う?」と可恋に唐突に聞かれた。


「え?」と驚いたけど、「うーん、あんまり好きじゃない」と本音をさらけ出した。


「そっか」と頷く可恋に「どうしてそんなこと聞くの?」と尋ねる。

 でも、「ちょっと聞いてみただけ」とはぐらかされた。


 谷先生は音楽を担当する若い女性教師だ。

 合唱部の顧問で、1年の合唱大会では各クラスの指導もしていた。

 美人でスタイルが良く、男子からは人気がある。

 一方、一部の女子からはかなり嫌われている。

 気に入った生徒を贔屓するというのが表向きの理由だが、「女臭さ」――女を武器にしたり、女であることを殊更にアピールしたりという態度に拒絶反応を起こす女子が少なからずいる。

 わたしの場合は相手の敵意を感じて、近付きたくないと思ってしまうのだけど。


「キャンプは火加減が難しいから、カレーを焦がさないようにね」


 可恋が話題を変えた。

 わたしもそれに付き合う。


「分かった。他に注意することは?」


「カレーで失敗するとしたら、いちばん多いのはご飯の炊き加減だろうね。カレーの方はカレー粉の力でなんとかなるものだから」


「ご飯か……」とわたしは男子が飯ごうを火にくべ始めた様子を見る。

 火加減や時間などはしおりに書いてあるけど、書いてある通りにする難しさをここまでで十分に理解した。

 可恋からコツを聞いて、男子たちのところに向かう。


「私は他の班を見てくるから、頑張ってね」と可恋が手を振った。


「うん」とわたしも手を振り返す。

 可恋にひどい物を食べさせるわけにはいかない。

 カレーを男子に任せ、わたしと純ちゃんで飯ごうを見守る。


 吹きこぼれてきたら、フタに石を乗せて、火を弱める。

 たき火だからどのくらいが弱火なのかよく分からない。

 キッチンタイマーで時間を計る。

 匂いや音で判断できるってお姉ちゃんに教えてもらっていたが、やり慣れてないので判断に迷う。

 可恋に頼りたい気持ちでいっぱいになる。

 もういいよね? と心の中で可恋に尋ねて、飯ごうを新聞紙の上に降ろす。

 大丈夫か心配だけど、信じるしかない。


 あっちこっちからカレーの美味しそうな匂いが漂ってくる。

 他の班も苦戦しているように見えたのに、どこも大成功に思ってしまう。

 純ちゃんのお腹が鳴った。

 わたしの方が顔を赤らめる。

 可恋が戻って来た。


「鍋をひっくり返すところがなくて助かった」と笑う。


「可恋、疲れてる?」と聞くと「ちょっとね」と少し疲れた表情で答えた。


 ここで「美味しいカレーを食べて元気を出してね」と言えればよかったのだけど、その自信はない。

 ご飯をよそい、カレーをかける。

 可恋に手渡す。

 全員に行き渡った頃、松田さんが立ち上がり、「それでは食べましょう。いただきます」と言い、みんなも「いただきます」と唱和する。


 わたしは恐る恐るひとくち食べた。

 少し粉っぽい気もしたけど、ちゃんとカレーだった。

 ご飯も普通に炊けていた。


「どう?」と可恋に聞く。


「美味しいよ。上出来」と可恋がにっこりと笑う。


 わたしは可恋の笑顔にホッとして、笑顔を返した。

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