第14話 令和元年5月20日(月)「笠井優奈」千草春菜

「千草さん」


 名前を呼ばれ教壇までテストの答案を取りに行く。受け取ったプリントの右上には赤く96の数字。それだけ確認すると、特に隠すでもなく手に持って自分の席に戻る。


 中間テストの答案の返却に教室内がざわついている。喜ぶ声が多いのは例のノートのコピーの影響なのだろう。私は間違えたところを確認する。ひとつはケアレスミスで、もうひとつは唯一自信のなかった問題だった。100点を取れなくするための難問といった感じだったので、いま気にしても仕方がないと割り切る。


 顔を上げると、日野さんが答案を受け取るところだった。彼女は受け取ったものをすぐに二つ折りにして席に戻っていく。目を凝らして見ていたけど、点数は分からなかった。日野さんは次の日々木さんとすれ違い、微笑みを交わし合っている。私はこめかみが引きつるのを感じて、メガネを外してレンズを拭った。


「美咲ってガリガリ勉強してないのに成績良いよねえ」


 笠井さんの声が耳に飛び込んできた。甘ったるい牝犬のような声。その声を聞くと、先日彼女から言われた言葉が蘇る。


「勉強アピールしてそんなに学級委員になりたいの?」


 言われたことは間違ってはいなかった。勉強をアピールしているのは自覚していたし、学級委員になりたいという気持ちもないわけではない。ただ彼女の人を見下した声音や態度が不愉快だった。私は無視したが、その後も男子たちと陰口を叩いていることを知っている。


 私は1年生の時学級委員でクラスの中心にいた。そのクラスには麓たか良や小西恵といった不良がいた。彼女たちは我が物顔でやりたい放題だった。1学期にターゲットにされた子は夏休みに転校してしまい、2学期以降は不良グループ以外のクラスメイトが身を寄り添って耐えた。団結したことで仲間意識が高まったことが苦痛の毎日の中の救いだった。それなのに2年に進級すると、友だちたちとはクラスが分かれ、同じクラスになった女子は麓たか良だけだった。


 麓は他人の嫌がることを平気でするし、なにより平然と暴力を振るう。こちらが何もしていないのに、突然足を踏んだり、髪を引っ張ったりする。私は何度か不意打ちで脇を指で突かれて、うずくまって泣いたことがあった。


 2年になってもこの麓を警戒し続けなければならないのかと絶望的な気分になった。麓が暴れ始めたら、また私が中心となってクラスをまとめていかなければならないと思っていたのに、学級委員には日野さんが指名された。そして、なぜか麓はおとなしいままだった。気が付けば、私はこのクラスではグループに所属しない「ぼっち」になっていた。


 今でも1年の時の友だちとは仲が良いし、私には勉強ができるという自負もある。「ぼっち」だから何? と思う。それよりも日々木さんと仲良くなれていないことの方が不本意だった。


 日々木さんは天使や妖精のような愛らしい姿なのに、天真爛漫で誰とでも分け隔てなく接してくれる親しみやすさがある。誰もが彼女と仲良くなりたいと願っている。友だちとしては受け入れてくれる日々木さんだけど、それより親しくなる子はいなかった。幼なじみだという安藤さんは親友というよりも護衛役という印象が強かった。日々木さんと同じクラスになれたことは、この最悪のクラス分けでたったひとつの嬉しい出来事だった。けれど、彼女の隣りにいるのは私ではなくて日野さんだった。


 日野さんはスタイルが良いし、美人の部類に入る。病気に罹りやすいと言うけど、運動神経は良い。そして、ノート。「日々木さんのため」に作り、「みんなのため」にコピーを配った。ノートの出来の良さから勉強ができると広まり、気前の良さから好感度がアップした。クラス内にとどまらず、他のクラスでも話題になったほどだ。いまや日々木さんの隣りにいても当然という空気ができてしまった。


 私が日野さんに勝てるとすると、勉強か学級委員の経験くらいだ。笠井さんの言葉はそんな私の思いを直撃していた。これまで彼女と話した記憶がないくらい接点はなかった。ひと目見た時から男に媚びるタイプと思って敬遠していた。だから、彼女の指摘は偶然だろうと思っていた。


 昼休み、4組にいる友だちたちとお喋りして戻って来ると、教室の前に笠井さんがいた。こちらを見てニヤニヤしている。私は顔をしかめ、横を通り過ぎようとした。


「土曜にね、美咲たちとショッピングモールに行ったんだけど、そこで日々木さんに会ったの」


 私にだけ聞こえるような小声で私に話し掛けてくる。日々木さんの名前が出た瞬間、私は足を止めた。


「日々木さん、日野さんと一緒でね、できてるんじゃないかってくらい、ベタベタだったのよ」


 何が楽しいのかと思うくらいご機嫌な様子で話す。私はイライラと「それがどうしたの」と声を荒げる。


「日々木さん、嬉しそうにこれからお泊まりだって美咲に言ったんだって」


 私は頭に血が上るのを感じた。別にやましいことじゃないのに、女の子同士なんだからどうってことないはずなのに、胸が苦しくなってくる。無言で教室に入る。いつものように目は日々木さんを追ってしまう。彼女は振り向いて後ろの席の日野さんとお喋りしている。その笑顔に、自分の心臓が握りつぶされるような痛みを感じた。

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