第12話 令和元年5月18日(土)「ブラ」日野可恋

「可恋、ブラ合ってないよね?」


 ひぃなは無邪気な顔で「まずはランジェリーショップだね」と笑う。私は目を細めて、そんなひぃなを見る。


 中間テストが終わり、先週に続いて週末にひぃなが泊まりに来ることになった。お昼過ぎにひぃなの家まで迎えに行き、荷物をいったん私の家に置いた後、買い物に出掛ける。私の夏物の服を買うのが目的で、少し離れた場所にあるショッピングモールに向かうことになった。


 連休中にも母と買い物に行ったが、まだ足りない。ここ1年ほどで背が急激に伸びて、去年来ていた服のほとんどが着られなくなった。


「中学生になってから、ちゃんと測ってもらったんだけどね」と私は胸に手を当てながら言った。


「成長期だからね」とひぃなが羨ましさの混じった視線を送る。「1年もすればサイズ合わなくなるよね……」と言うひぃなのサイズが変わっているのかどうかは疑わしかった。


「すぐにサイズが合わなくなって、その時のより大きいのを使ってたんだけどね」


 ひぃながあんぐりと口を開けて固まっている。「そのうちひぃなも大きくなるよ」と棒読み口調で私は気休めを言った。ひぃなは今のままで十分可愛いのだから、気にすることないんだけどね。


「運動してると邪魔なんだけど」と私は本音を漏らす。まだ動かないひぃなに「ほら、行こう」と促し、「ひぃなはもっと食べないと。特に肉や魚ね」とアドバイスしておく。ひぃなはようやく立ち直り、「絶対大きくなるんだから」と呟いていた。


 ショッピングモールにはバスで向かう。ひぃなはいつも自転車で行くそうだが、私は引っ越しの際に自転車を持って来なかった。今の私には小さくて乗りにくかった。ここに来てからは乗るような機会はなかったけど、新しいのを一台買っていいかもしれない。


 そこはかなり大きなショッピングモールで、1階の吹き抜け部分は非常に開放感がある。土曜日だから中はかなり賑わっている。ひぃなが慣れた様子で案内してくれる。2階に上がり、早速ランジェリーショップに向かう。通販を利用することが多いので、下着に囲まれるのには気恥ずかしさを感じてしまう。一方、ひぃなは全く気にならないようで、楽しそうにキョロキョロ見て回っている。


 私は奥のスペースで綺麗な店員のお姉さんに計測してもらう。「スタイル良いですね」「無駄な脂肪がまったくないですね」などと声を掛けられるうちに、手際よくブラにぴったりと収められた。サイズがふたつも大きくなっていた。店員さんはブラの付け方や選び方、扱い方などを丁寧に教えてくれた。しかし、これ以上大きくならない方法は教えてくれなかった。


 ひぃなに新しいサイズを教えるとまたフリーズしてしまいそうだったので、すぐに「選ぶの手伝って」と背中を押す。ひぃなは目をキラキラさせながら、あれが良いこれが良いとアドバイスしてくれる。本当にファッションのことが好きなんだと伝わってくる。母との買い物とはまったく違う楽しさがあった。買い物自体の楽しさというものを初めて知ったかもしれない。


「いっぱい買ったね」とひぃなが笑う。


 思っていた以上に下着選びに時間をかけたので、フードコートで一休みすることにした。アイスを口にしながらひぃなは楽しそうにニコニコしている。


「サイズが合わなくなってたから、それは仕方ないんだけど……」と言いながら、私もアイスを囓る。「ノリと勢いで、着られないようなものを買ってないか心配」と苦笑する。顔が火照っているのにアイスを食べて初めて気付いたくらいだ。帰ったら確認しておかないとと頭の中にメモをする。


「ひぃなは買わなくてよかったの?」


「今日は可恋の買い物に集中する!」


 ひぃなによると、自分の服を買う時はたっぷり時間をかけるので、今日それをすると私の服を買う時間がなくなってしまうらしい。


「それより、可恋、冷たいもの平気なの?」と私のアイスを見て言った。普段私が冷たい物を飲まないことに気付いていたんだろう。「少しなら大丈夫だよ」と安心させるように微笑んだ。


 婦人服のエリアに戻ると、松田さんたちとばったり出会った。


「あ、日々木さん」と松田さんが嬉しそうに駆け寄ってくる。それを追うように、笠井さん、須賀さん、田辺さんの3人がやって来る。いつも学校で一緒にいるグループの面々だ。テスト明けの休日に友だち同士でお買い物というのはありがちだし、鉢合わせしてもおかしくはない。


 私服姿を初めて見たけど、松田さんにはセンスの良さを感じた。ひぃなが「品があって似合ってるね」と褒め、松田さんは当然という顔で頷いている。どのアイテムも高級感があり、中学生には着こなしが難しそうなのにうまくまとめている。育ちの良さが感じられた。ひぃなもだけど、私立に行ってないのが不思議な子だ。


 その横に立つ笠井さんは松田さんとは対称的で、中学生向けのファッション雑誌の表紙を飾りそうな服装だ。メイクを含めて、自分をどう見せればいいかをよく知っているように見える。ひぃなではなく、私の方をちらちらと見ているのが気になるが、特に話し掛けてくるでもなかった。


 須賀さんは4人の中では平均的な中学生に近いと言えるだろう。オシャレを頑張ろうとしているのは感じられるが、中学生のお小遣いでできることは知れている。周りのレベルが高いので必死に背伸びしようとしているように見えてしまう。


 田辺さんは少しユニークな服装で、目を引く。強く主張するという感じではないのに、松田さんや笠井さんに負けない独自性がある。飄々とした彼女自身の個性に見合った服装だろう。


 これだけ個性の強いメンバーに囲まれてもひぃなの服装がいちばん印象的だ。ワンピースの重ね着に春物のストールで、複雑そうなのに軽やかという真似のできないコーディネートになっている。そのひぃなに「あちらに素敵なワンピースがあったの」と言って松田さんが連れて行こうとする。ひぃなは私に視線を送り、私が頷くのを見て松田さんと須賀さんの後を追った。田辺さんはふらふらと別の方角へ歩いて行き、私と笠井さんがあとに残された。


「美咲って日々木さんのことが好きみたいね」と笠井さんが話し掛けてきた。美咲とは松田さんのことだ。私は「そうね」と返す。


「日野さんは、日々木さんとよく遊んだりするの?」


「そうね」


「日々木さんのこと好きなの?」


「そうね」


「そうねしか言えないの?」


「そうね」


 さすがに笠井さんはムスッとした顔をして黙り込んだ。それでもすぐにニヤニヤとした笑みを浮かべて話し掛けてくる。


「アタシが日々木さん取っちゃっていい?」


 私が少し目を細めてじっと笠井さんの目を見ると、「怖っ! 冗談よ、冗談」と笑う。


 それからしばらく沈黙が続く。けれど、私も笠井さんもその場を動かない。


 松田さんとひぃなが話ながら戻って来た。その後を須賀さんが歩いている。松田さんは楽しそうだ。ブランドの名をあげて、次はそこへ行こうと笠井さんに言う。笠井さんは私を見た後、松田さんに近付いていく。松田さんがその店の方へと歩き出し、笠井さんと須賀さんは付いて行くが、ひぃなは私のところへやって来た。


「日々木さんは来ないの?」とそれに気付いた松田さんが尋ねる。


「わたしは可恋と買い物中だから、またね」とひぃなが言って肩をすくめた。松田さんが私を見た。今日、松田さんは一度も私を見ていなかった。初めて私に声を掛ける。「日野さんは一緒に来ないの?」


「ごめん」と私が言うと、「そう」と松田さんは呟き、ひぃなの方を向いて「じゃあ、またね」と微笑んだ。松田さんは一度も振り返らずに去っていき、それに声を掛ける笠井さんは何度もこちらを振り返った。須賀さんと、いつの間にか戻っていた田辺さんがその後に続く。


 ひぃなは少し困った顔をしたけど、私は笑顔で「買い物、続けよう」と促した。ひぃなもすぐに気持ちを切り替えて笑顔になり「どんな服を買うの?」と聞いてくる。私の答えはひとつしかない。


「動きやすい服」


「えー、何それ」とひぃなが驚く。


「私が服を選ぶ時の条件は、回し蹴りができるかどうかなの」


 ひぃなが絶句している。


「明日、回し蹴り、見せてあげるね」


 私はそう言ってウインクした。

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