第10話 令和元年5月16日(木)「中間テスト前日」高木すみれ

 明日は中間テストだというのに、あたしは教室内のクラスメイトたちを観察していた。休み時間中のいま、多くの生徒たちが勉強している。ノートや教科書を片手に話している生徒もいる。なかでも、日野さんの周りには多くの人が集まっている。


 あたしのクラスメイトの観察は趣味のようなもので、マンガのネタ探しであったり、人間観察であったり、保身目的でクラスの空気を察するためだったりする。あたしは自他共に認めるオタクだし、クラス内ヒエラルキーなんてものがあるなら最底辺に位置している。だからこそ教室内の空気には敏感で、自分の身を守るための手は打っておきたいと考えている。


 連休明け早々に、ちょっとした出来事があった。笠井さんが千草さんをみんなが見ている前で揶揄した。「勉強アピールして、そんなに学級委員になりたいんだ」って。


 千草さんが担任の小野田先生に学級委員の選定のことで聞きに行ったという噂はあたしも聞いていた。小野田先生の一存で日野さんが学級委員に選ばれたけど、1年生の時に学級委員をしていた自分の方が相応しいと思っているんじゃないかという推測混じりの噂だった。


 このクラスでは千草さんは特定のグループに属さず、休み時間は勉強していることが多いし、放課後も塾があると言って早々に帰宅している。付き合いの悪さから他の女子たちも積極的には声を掛けなくなった。不良という噂の絶えない麓さんとともに、このクラスで浮いている女子となっている。


 一方の笠井さんは松田さんのグループのメンバーで、クラス内ヒエラルキーのトップに立つような位置にいる。自分の男子受けの良さをよく知っている感じで、格下と思う相手を小馬鹿にした発言も多い。女子からは好かれてはいないが、松田さんにうまく取り入っている。松田さんはオシャレだし、自分がクラスの中心であることを当然と考えているような人。でも、真面目だし、決して上から目線にはなったりしない。女子からも男子からも信頼が厚い。実際、笠井さんの発言を言い過ぎだってすぐに窘めていた。


 その後、笠井さんと一部の男子たちが千草さんの陰口で盛り上がるところを何度か見かけた。本人の前ではなく、コソコソ話していたのでまだきな臭い感じってだけで済んでいた。日々木さんが千草さんと話している場面も見かけた。日々木さんはみんなから「特別」に見られている。可愛くて、優しくて、誰とでも等しく接してくれるというだけでなく、卒業した3年生たちから「日々木さんに手を出すな」とお達しが下ったという噂まであった。笠井さんといえど、日々木さんを敵には回したくないだろう。


 今週に入って、月曜日に日野さんから「休み時間に勉強を聞きに来て欲しいんだけど頼めるかな?」と不思議な依頼をされた。断る理由もなく、むしろ渡りに船と聞きに行った。何と言ってもあのノートの持ち主だ。今では他のクラスにも彼女は勉強ができると広まっている。教え方もとても上手くて、休み時間のたびに行こうかと思ったほどだった。


 日野さんはあたしに教えた後で、他のクラスメイトたちに「学級委員だから、分からないことがあれば聞きに来てね。私で良ければ教えるから」と爽やかな笑顔で言った。「テスト頑張ろうね」という彼女の呼びかけ以降、教室内の空気はテスト勉強を重視するものに変わった。比較的真面目な生徒が多いクラスということもあって、勉強することに否定的なムードは消えたと思う。それから男女問わず日野さんに教えてもらおうという生徒が押しかけるようになった。


「あああ……早く、テスト終わって欲しいね」


「ほんと、それ。ゲーム禁止でスマホ取り上げられてるんだよ」


「ひどいよねー、ありえないでしょ」


「うちは毒親だから大変よ。結愛が羨ましいわ」


「高木さんはどうなの?」


 森尾さんと伊東さんの会話を聞くとはなしに聞いていたら、話を振られた。


「んー、うちはテストの結果でお小遣いが増減する感じ」


「うわー、それだとあたしお小遣いなくなりそう」と森尾さんが笑っている。


「でも、高木さんは日野さんから勉強教えてもらってるよね。いいよねー」


「伊東さんも聞きに行けば教えてくれるよ」という言葉は飲み込んだ。このふたりはあたしと同じ美術部所属でオタク。あたしが「コミュ力あるオタク」を自称して積極的に他の人たちと話しているのとは違い、オタクコミュニティの外に出て行くことができないタイプだ。日野さんに勉強を教わりに行くというのはハードルが高すぎるだろう。


「それより昨日のあのアニメ見た?」と話題を変える。特に好きなアニメじゃないけど、周りと合わせるためには見ておかなければいけない作品だった。たとえテスト前でもチェックは怠れない。


            ◆    ◆    ◆


 帰ろうと廊下に出ると、日野さんに呼びかけられた。


「高木さん、ちょっといい?」


「何ですか?」とあたしは日野さんに近付く。あたしはキャラ作りの一環として、オタクコミュニティの外の人相手には敬語で話すことにしている。日々木さんからは「タメで話してよ」と毎回のように言われるけど、キャラ作らないと怖いじゃないですか。


 日野さんは頬に手を当て少し思案すると、あたしの耳元で「これからうちで勉強会をするのだけど、高木さんもどう?」と囁いた。


「え! いいんですか?」


 あたしは驚いて聞き返したが、日野さんは笑って頷いた。もちろん一も二もなく誘いに乗った。勉強を教えてもらえるだけでも大きなメリットだし、日野さんや日々木さんと親しくなると保身という意味でもかなり価値がある。それに、あたしには野望もあった。そのためにはこのふたりとできるだけ仲良くなっておきたかった。


 あたしと日野さん、日々木さん、安藤さんの4人で下校する。日々木さんはいつもの人懐っこい笑顔で「よろしくね」と歓迎してくれた。安藤さんは無愛想にひとつ頷いただけだったけど、日々木さんは「純ちゃんはいつもこんなだから気にしないで」と笑う。


 学校の正門前に聳えるマンションに日野さんのお家があり、部屋に入るとリビングの広さに圧倒された。「広!」と思わず口に出すと、「ひぃなと同じ反応」と日野さんに笑われた。


 日野さんと日々木さんは連休前から親しげではあった。だけど、連休後はかなり親密で周囲にも親友アピールをしている感じだった。あたしはよくふたりの絵を描くが、最近は捗って仕方がない。勉強からの逃避という意味合いもあるけど、それだけじゃないんだよ。


 いかにも集合住宅という自分の家と比べて、同人活動で稼いでいる叔母のマンションは豪華だが、さらに上には上がいると実感する。そんな高級感漂うリビングに小さなテーブルとクッションを置いて座る。あたしがキョロキョロと辺りを見ているうちに、日野さんが部屋着に着替えて紅茶を淹れてくれた。ティーバッグじゃない紅茶というだけで高級感がしてしまうのはあたしが庶民ゆえだろう。


 安藤さんはひとりで黙々とノートに書いて覚えている。日野さんはあたしが分からないところを丁寧に教えてくれた。正直、授業より分かりやすいんですけど。日々木さんは特に勉強するでもなく、あたしと日野さんのやり取りを聞いていた。


「日々木さんは勉強しないんですか?」と聞くと、「高木さんの質問をわたしならどう答えるかって考えながら可恋の説明を聞くとすごく勉強になるんだよ」と微笑みながら教えてくれた。休み時間も同じ事をやっているそうだ。そういえば、あたしも叔母が他の人にマンガの描き方を教えているところを聞くと、そういうことかと納得することがあった。教える人が優秀だからなんだろうけど、なるほどなと感じた。


 あたしにとって今日の勉強会はゲームのボーナスステージのような感じだった。普通のステージなら頑張って頑張って入る経験値はわずかだったりするのに、ボーナスステージはちょっとのプレイで経験値がどっさり入る。勉強する時の重苦しさがなくて、分からないと言っても嫌な顔をされない。つまずきそうなところをひとつひとつ丁寧に確認してくれるので、納得感がすごくあった。勉強って楽しいと思ってしまうほどだ。


 こういう時間はあっという間に過ぎていく。明日がテスト本番という追い込みのタイミングでわざわざあたしを勉強会に誘ってくれた理由を帰り際に尋ねた。


「月曜に高木さんをダシに使ったでしょ。それなのに教えてあげる時間があまり取れなかったから、気にしてたのよ」と日野さんは教えてくれた。


「助かりました。ありがとうございます」とあたしは両手を合わせて日野さんを拝む。日々木さんも同じように拝んでいる。日野さんは「大げさよ」と笑う。


「テストが終わったら、高木さんの力を借りるかもしれないから」と急に真面目な顔になって日野さんが言った。


 あたしが驚くと、「クラスの雰囲気をよくしたいと思っているの」と日野さんが説明した。日々木さんも少し心配そうな顔で同意している。あたしは「分かりました」と頷いた。


「まずは明日のテストに集中して頑張りましょう」


 日野さんのその言葉に送られてあたしは勉強会を後にした。

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