最終話 何年、何十年かかっても。

 サーンズ大臣は、虚ろな目をしながらタイラントを見る。私は世にも不器用な義理母と義理息子を眺める。


「······陛下。私は······私は······」


 サーンズさんの肩が微かに震えている。私は縄から解いてもらった両手で、彼女の両手を握り微笑んだ。


「······サーンズさん。大丈夫です。愛していると伝えるのに、遅いと言う事はありません」


 私は以前、ネフィトさんに伝えた同じ言葉をサーンズさんにも届けた。サーンズさんは私の顔を見た後に一度だけ顔を俯け、タイラントを見上げる。


「······陛下。私は貴方の乳母をさせて頂いた頃より、貴方の事を······」


 サーンズさんの両目から涙が溢れ始めた。私は彼女の背中を優しく押す。サーンズさんは、タイラントを抱きしめた。


「タイラント!! ずっと! ずっと貴方の事を愛していました!!」


「······サーンズ」


 タイラントの表情が変わり始めた。幼い頃から自分を見守ってくれた親のような存在。その相手からの初めての愛の言葉。


 その言葉に、タイラントの心は確実に揺れている。私はそう確信した。その時、私達の後ろからネフィトさんの叫び声が聞こえた。


「私もだタイラント!! お前が生まれて時からずっと、ずっとお前を愛していた!!」


 義父が涙を流しながら、タイラントに想いを伝える。それは義理の両親の、何十年分の想いだった。


「······ネフィト」


 無表情、無感情と言う仮面を捨て去ったタイラントに、私は涙声で伝える。


「タイラント。貴方は愛されているのよ。こんなにも素敵な人達に」


「······娘」


 ······その時だった。一筋の涙が、タイラントの紅い両目から溢れた。それを見た時、私の心臓は止まるかと思うくらいに締め付けられた。


 それは、タイラントの凍てついた心が溶けた瞬間だった。私は感極まって泣いてしまいそうになった。


 だが、神様は私の感傷を許さなかった。何者かが私を担ぎ上げ素早く去っていく。こ、こいつはさっきサーンズさんに短剣を投げた奴!


 あの後また壁面に隠れ、この機を伺っていたんだ! 私を担いだ暗殺者はタイラント達から対極に位置する外縁部に移動した。


 そこには、私が噛み付いた暗殺者が立っている場所だった。私は戦況を把握しようと首を動かし中央を見る。


 先刻より交戦中だった五人の暗殺者は、ザンカル達に全て倒されていた。タイラント側は六人。暗殺者側は残り二人。


 どう見てもタイラント達が圧倒的に有利だ


 ······って私が捕まらなければ!!


「······大した連中だ。この国の国王は魔王候補の一人と聞いていたが、部下達も並の腕では無いな」


 私が噛み付いた暗殺者が忌々しげに口を開く。タイラントが今にもこちらに走ってきそうな勢いで前に歩み出る。


「その娘をこちらに返せ! さすればお前達二人は見逃してやる!」


「国王直々の言葉とは光栄だ。だが我々の任務遂行は絶対でね。この小娘とサーンズ大臣の交換を要求する」


 わ、私とサーンズさんの交換!? なんて汚い奴らなのよ!


「······陛下。全ては私が撒いた種。私が赴きます」


 サーンズさんが歩き始めた時、タイラントがそれを制した。


「サーンズ。それは無用だ。私の大事な者達は、誰一人として犠牲にせぬ」


 怒りの表情を見せたタイラントは、腰から魔法石の杖を握り黒い光の鞭を出現させる。あ、あれは以前一度見た、漆黒の鞭!?


 で、でも魔法石の杖は未完成品と言っていたわ。そのせいか、漆黒の鞭は頼りなさそうに消えかかっていた。


「娘。そのまま動くな。私が一撃でそ奴らを屠って見せる」


 は、はい? その消えそうな不完全な鞭で? 同時に二人を倒す? いやいやご冗談を国王様。


 絶対無理。無理だから止めよう? と、言うか絶対止めて! 私に当たったらどうすんのよこの馬鹿!


「案ずるな娘。だが念の為、もしもの時の為に伝えておこう。以前、お前が最後まで聞かなかった話の続きだ」


 も、もしもの時ってどういう意味よ、この馬鹿魔族! あんたやっぱり私に鞭が当たるかもしれないと思ってんでしょ!!


 しかもあの時の話の続き!? 今生の別れの言葉にするつもりかこの阿呆!!


「······どこまで話したかな。確か娘。お前のくせ毛······」


「くせ毛と顔と身体の事を言ったら、二度と許さないわよタイラント」


 私は充血した両目で、全身から殺気を放出しタイラントを睨んだ。


「そ、そうだな。その後の話だ」


 タイラントは額から汗を流し、九死に一生を得た。


「娘。お前に初めて会った時言われた。魔族は人間を殺してはならないと。それは私にとって、青天の霹靂と言っていい一言だった」


 タイラントは懐かしそうな目をして、穏やかに私に語りかける。


「娘。お前は私に親が子に注ぐ愛情を教えてくれた。料理の美味しさを教えてくれた。人の手の、唇の温もりを教えてくれた」


 タイラントの一言一言が、私の弱々しい涙腺を壊して行く。


「魔族と人間が共に手を携える可能性を教えてくれた。誕生日の意味を教えてくれた。······そして、両親が私を愛していたと教えてくれた」


 タイラントが優しく微笑む。これが。この顔が。タイラントの本来の顔なんだ。


「······リリーカ。お前にはまだ多くの事を教えてもらいたい。私の傍にいてくれ」


 私は自分の耳を疑った。それは、タイラントが私の名を初めて呼んだ瞬間だった。


 二人の暗殺者達が急に動き出した。二人はサーンズさんに猛然と駆け出す。私を盾にしてサーンズさんを狙う気だ!


「わざわざ距離を詰めてくれて助かるぞ。実を言うと少々自信が無かったのでな」


 タイラントが漆黒の鞭を振るった。黒く光る鞭は意思を持つ蛇のように蛇行し、二人の暗殺者達を切り刻んだ。


 宙に投げ飛ばされた私を、タイラントが両腕で抱き止めてくれた。


「無事かリリーカ!?」


 破顔するタイラントの頬を、私は思いっきり殴った。


「命の恩人に何をするかこの馬鹿者!」


 私はタイラントの腕から降り立ち、金髪魔族を睨み返す。


「馬鹿者はどっちよ! やっぱり私に当たる可能性があったんじゃない! と、言うか? あんな話、公衆の面前で言わないでよ馬鹿!」


「え? 皆の前では言ってはいけないのか?」


 真顔で答えるタイラントを見て私は思った。私がこの城に来た理由が分かったわ。教育よ。


 この金髪寝癖馬鹿魔族には教育が必要なのよ! 私はその為にコイツと出会ったのよ! 教育してやる!


 何年、何十年かかっても。この馬鹿をまともな魔族に教育してやるわ!!


「ちっ、なんとかは犬も食わないって奴か?」


「拗ねないのザンカル。やけ酒ならこれから付き合うわよ。リケイも一緒にどう?」


「いいですね。行きましょう。ザンカル殿。シースン殿」


 私はタイラントと怒鳴り合い、周囲の会話は一切聞こえて無かった。塔の最上部では、少し湿った風が吹いていた。


 それは、初夏の香りがする風だった。冬の終わりに訪れたこの城には、夏の季節の足音が微かに聞こえ始めていた。


「感謝の口づけはしないのかリリーカ!?」


「こ、こんな所でする訳ないでしょ! この馬鹿魔族!!」


 私達は互いの手を重ね、怒鳴り合いながら歩いていた。でも。どんなに罵り合っても。どんなに喧嘩しても。私とタイラントは、繋いだ手を決して離さなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青天の霹靂は、村娘の一言から @tosa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ