第18話 どう? 美味しい?
料理長は長身だった。大柄なザンカルよりも背が高い。肩までの黒髪を後ろで結び、白い前掛けをつけていた。
そして顔だ! 切れ長のまつ毛。高い鼻に形のいい唇。細い輪郭は正に貴公子に見えた。年齢は二十代後半位だろうか? な、なんて格好いい人なの!?
私の頭の中で鐘が鳴り始めた。誰かが天使にラッパを吹かせベルを鳴らせている! ま、まずいわ。このままだと落ちてしまう!
一目惚れと言う名の恋の沼に!! 私の視線が料理長の首から下に移った時、私は再び凍りついた。
料理長の肩から、ある筈が無い三本目と四本目の腕が生えていた。私の心の中の天使達は、手にしていたラッパやベルを地獄の口に放り投げ、どこかに遁走して行った。
「······この前の娘か。それが終ったら皿洗いだ! 早くしろ!」
「は、はい! 今すぐやります!」
私は個室調理場を飛び出し、洗い場で無我夢中で皿洗いをした。か、考えるな! 今見た事は忘れるのよリリーカ!
私の記憶力なら大丈夫! 大抵の事は忘れられるわ! 自信があるもん! 私は自分を説得しながらも思い出してしまう。
······あ、あの人。腕が四本あったわよね。洗い場が片付いた頃、昼食の仕込みは終わり料理人達は休憩に入り厨房は無人になった。
料理長ただ一人を除いて。私は厨房から脱出しようとした時、個室調理場から声がした。
「昼食が終ったら夕食の準備だ。遅れるなよ」
わ、私はいつの間に厨房の雑用係になったの? 料理長のあの姿に怯え、私は返事を出来ずにいた。
「······俺の姿が気味悪いか。ならここには近づくな」
料理長の声はどこか沈んだように聞こえた。私は恐る恐る個室調理場に近づいて行った。
「あ、あの。料理長は、昔から腕が四本あるんですか?」
私は個室調理場の窓越しに聞いてみた。かなり間を置いてから料理長の返答があった。
「馬鹿かお前は。ある日突然、腕が生える奴などいるか。四手一族。魔族の中でも希少な部類の一族だ」
ま、魔族って色々な一族があるのね。そしてその姿形は様々なんだわ。私は今迄、人間と魔族の違いは耳が尖っているかどうか。それだけだった。
「あ、あの。私は普通の人間なので、料理長の姿は怖かったです。でも、料理長の作るお料理は本当に美味しいと思っています。だがら、また手伝いに来ますね」
私は個室調理場に一礼をして、厨房からお暇しようとした。
「······俺の名はカーゼルだ。人間の娘。お前の名は?」
「リ、リリーカです。カーゼルさん」
カーゼルと名乗った料理長は、少し躊躇いがちな声色で私に頼み事を言う。
「笑いキノコで三人欠員が出ちまった。連中が復帰する迄、手伝いを頼めるか?」
「は、はい! 私で良ければ喜んで」
こうして私は、調理場臨時雑用係に任命された。多少戸惑ったけど、何か仕事があるのは毎日に張りがあって良い事だわ。
私は昼も夜も調理場で雑用係をこなした。最後の洗い物を片付けた頃、カーゼルさんも居なくなり、厨房は私一人になっていた。
「娘。講義を放棄してこんな所にいたのか」
厨房に突然、寝癖国王タイラントが現れた。私は前掛けで濡れた手を拭きながら思った。講義なんてすっかり忘れていたわ。
「ま、まだタイラントだって体調が万全じゃないでしょ? 具合はどうなの?」
するとタイラントは厨房内を見回す。
「溜まった政務が忙しく食事は摂っていない。何か食せる物はあるか?」
た、食べる物? 私も周囲を見たがもう食堂は閉鎖の時間で食べる物などある筈が無かった。
「無いか。ならば良い」
あっさりと諦めるタイラントを見て、私にある考えが浮かんだ。
「豪華な物じゃなくてもいい? タイラント」
金髪の魔族は黙って頷く。幸い釜戸にはまだ火が残っでいた。私は薪を足し、鉄鍋に水と豆を入れた。
「娘。何だそれは?」
「豆スープよ。私料理は苦手なんだけど、この豆スープは不思議と美味しく作れるの」
「とにかく火を通して味をつけろ。口に出来る物なら何でも良い」
偉そうに注文をつけるタイラントに私は憤慨する。じゃあ自分で作りなさいよ! この王様気取りの金髪魔族! あ。気取りじゃなく本当の王様だった。こいつ。
釜戸の強い火力で豆は煮立って来た。香辛料を入れ、後はひたすら煮込んで行く。人気のない調理場でスープが煮立つ音だけが聞こえていた。
······昨日、なぜ私の手を握り離さなかったのか。その理由を問いたかったが、この静寂の中で口を開く事が何故だか躊躇われた。
そうしている内に、豆はいい具合に柔らかくなった。
「はいどうぞ。リリーカ特製の豆スープよ」
私はスープを器によそい、タイラントに渡した。タイラントは黙ってスープを口に運んだ。
「······どう? 美味しい?」
「······悪くは無い」
タイラントは豆スープをあっという間に飲み干した。空の器を私に差し出した。お、お替りって事?
結局タイラントは三杯の豆スープを完食した。そんなにお腹を空かしていたのかな? タイラントは手にした空の器をじっと見つめている。
「どうしたのタイラント?」
「······初めてだ。料理を美味いと感じたのは」
言い終えるとタイラントは突然立ち上がった。な、何?
「······お前だ娘。お前が私の前に現れてから、何かがおかしくなった」
私を見るタイラントの表情は、いつもの無感情のそれでは無かった。それは、まるで何かに怯えているかのようだった。
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