第16話 一人ぼっちで寂しく無かったの?
翌日に延期された私の講義は、またもや延期になった。タイラントが熱を出し寝込んだからだ。
三月の噴水の溜池は、金髪の魔族を寝込ませる程冷たかった。や、やっぱり私のせいよね。流石に後ろめたかったので、アイツにハチミツ入りの牛乳でも持って行こう。
私はハチミツと牛乳を分けて貰おうと食堂の厨房に入った。まだ夕食の時間には早かったせいか、厨房内は無人だった。
ど、どうしよう。勝手に食材庫を覗いたりしたら駄目よね。私が右往左往していると、厨房内にある個室から大声が聞こえた。
「誰かそこにいるのか? 鶏ガラスープの鍋を持ってこい!」
私はその声に飛び上がるように驚いた。あ、あの部屋は。確か料理長の個室厨房? ど、どうしよう? 私は釜戸に置いてある鍋を見て回った。
その中の一つに、澄んだ色をしたスープが入った鍋があった。こ、これかな? 非力な私は大量のスープが入った大鍋を必死に両手で抱え、なんとか個室厨房まで運んだ。
個室厨房の中央に小さい窓が開いていたので、そこに鍋を置いた。すると、窓の中から私を睨む人影があった。
「誰だお前は? 新入りか?」
個室厨房の中は薄暗く料理長の顔は鮮明に見えなかったが、かなり背が高そうな人だ。
「ち、違います。私はタイラントの客人でリリーカと申します。タイラントが風邪を引いたので、ハチミツ入り牛乳を持って行きたいのですが、分けて貰えますか?」
返答は無かった。その変わりに、料理長が釜戸にある鍋を指差した。あ、あの鍋も持って来いって事かしら?
私は釜戸に戻り、また重い大鍋を息を切らし運んだ。それを三回繰り返した後、窓には一つのグラスが置かれていた。
その湯気の香りは、ハチミツ入り牛乳だった。私がそれを受け取ると窓は閉められた。
「あ、ありがとうございました! 料理長さん」
目的の物を手に入れ、私はタイラントの部屋に向かった。すると部屋の扉の前で、黒髪メイドのカラミィが落ち着かない様子で立っていた。
「どうしたのカラミィ? なんで部屋に入らないの?」
「······メイドの私が、軽々しく国王の部屋に入れる訳がないでしょう。これだから世間知らずの人間は」
私の質問にカラミィは素っ気なく答える。そんな彼女の表情は何処か悔しそうに見えた。
「お見舞いにメイドも国王も関係ないでしょう。一緒に行きましょう」
「ちょ、ちょっと。何をするのよ!」
私はカラミィの手を掴み、扉をノックし部屋に入った。タイラントの部屋は広かったが、国王の部屋とは思えない程質素だった。
照明器具は特段高価そうに見えず。壁に絵画を飾る事も無く。床には絨毯も敷かれていなかった。
味気ない部屋。私はそう感じた。部屋の中央に普通のベッドが置かれており、部屋の主はそこで横になっていた。
「タイラント。部屋の外でカラミィが心配そうに立っていたわよ」
「よ、余計な事を言わないで!」
私達に気づいたのか、タイラントは半身を起こした。そして眠そうな紅い目でこちらを見る。
「タ、タイラント様。お休みの所お騒がせして申し訳ございません。な、何か必要な物はございますか?」
「うむ。今は大丈夫だカラミィ。後で構わんから着替えを持ってきてくれるか?」
「は、はい! 承知致しました」
カラミィは頬を赤らめ、それは幸せそうに部屋を出て行った。本当にこの金髪魔族の事が好きなのね。
「······娘。その手に持ったグラスは何だ?」
「お見舞いの品よ」
私はベッドの脇にあった椅子に腰掛け、ハチミツ入り牛乳をタイラントに渡した。タイラントは黙ってグラスに口をつける。
「どう? 美味しい?」
「······滋養はありそうだ」
相変わらずタイラントは無表情だった。でも、あの時何でコイツは苛立っていたのかしら?
「······ごめんね。タイラント。私のせいで風邪ひかせて」
「謝罪は不要だ。あの程度の事で体調を崩す私が軟弱なのだ」
ん? これって一応私を気遣っているのかな?
「こんな広い部屋で一人で寝てて寂しくならない?」
「どう言う意味だそれは?」
「風邪や病気の時って心細くなるから。誰かが側に居て欲しいって思うものよ」
「それは子供の話だろう。私は大人だ。心細くなど思わん」
言い終えると、タイラントはグラスに残ったハチミツ入り牛乳を飲み干した。
「······タイラントは、子供の頃から一人ぼっちで寂しく無かったの?」
「寂しく思う暇など無い。私は一日も早く国王になる為に、日々を過ごして来た」
「じゃあ、もし後継ぎじゃなかったら? 市井の子供だったら違った?」
「やめろ」
······まただ。またタイラントは苛立っているように見える。
「そんな仮定の話は無意味だ。私はこの国の王になる以外の道など教えられていない」
······私の目に、一人の少年が立っている姿が映っていた。その少年は、国と言う名の宝箱を両手で抱きしめて離そうとしない。
まるでその宝箱が、自分の存在意義の全てと言わんばかりに。少年は俯き、泣くことも寂しいと言う事も出来ないでいる。
《 遠い 遠い昔 片割れを探していた僕
僕を探していた君 求める姿は月夜に隠れ
太陽の光は その姿を陽炎に変える 》
······気付いた時、私はか細い声で歌っていた。私が子供の頃、母さんが枕元で口ずさんでくれた歌だ。
悲しい歌なのに、子供の私は何故かこの歌がお気に入りで何度も母さんに歌ってとせがんだ。
《 月日はあまりに永く流れ 僕は土に還る
月日は君を雲にして 空に浮かべる
僕は土から 君は空から
届かない手を伸ばし続ける 》
······母の歌が終る頃、子供の私はいつも眠りに落ちていた。でも、紅い目の少年は歌が終わっても眠りにつこうとしない。
少年は分かっているからだ。眠りから目を覚ましても。何度それを繰り返しても。自分は一人だと。
私の意識は突然空想から現実に舞い戻った。タイラントの抱える孤独の一端に触れた気がしたからだ。
それはとても冷たく、私の心臓を冷やしていく。私は急に怖くなり、それから逃れるように椅子から立ち上がった。
扉に向かって歩き出そうとした時、私の手首をタイラントが掴んだ。それは、昨日教室で私の手を掴んだ時と違い、痛みは伴わなかった。
タイラントは私と目を合わさず、無言だった。これも愛情の実験? 私はそう問い質そうとした。
でも、私は自分が思った事と別の行動をしてしまった。私も無言のまま、どうしてだか再び椅子に座ってしまった。
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