終章 2

     *     *     *


 昼間の兵舎は人気がなく、近衛兵用の棟は特にそうだ。とはいえ夜勤明けで寝ている者もいるだろうから、エイリルは足音を忍ばせて自分の部屋へ戻った。

「……?」

 部屋に近付くと、小さな人影がうろうろと歩いているのが見えた。エイリルが宛がわれている部屋の前を行ったりきたりしている。

 こんなところにいて大丈夫なのだろうかと、エイリルはそっと声をかけた。

「何やってるの?」

「っ!」

 びくりと肩を跳ねさせ、イオは勢いよく振り返った。

「う、後ろから急に声かけんな!」

「後ろから声かけるときは常に急だと思うけど……どうしたの、こんなとこで」

 尋ねれば、イオははっとしたような表情になって視線を彷徨さまよわせる。

「ええと、その……」

 少し待ってもイオから意味のある言葉が出てこなかったので、エイリルはまったく別のことを訊いてみた。

「イオくん、甘いもの好き?」

「え? ……まあ、嫌いじゃない……けど。なんで?」

「時間あるならお菓子食べていかない? お見舞いで貰ったのがたくさんあるの」

 仮死状態から息を吹き返したときに面会にきてくれた人々は皆、あれやこれやと差し入れを持ってきてくれた。それに気付いた医者が、医務室に許可なく食べ物を持ち込むなと怒り、受け取ってしまったものはまとめて部屋に運ばれたのだ。

「さ、入って」

「いや、おれは」

 渋るイオの背を押して部屋に入り、エイリルは小さなテーブルを示した。

「適当に座ってね。えっと、確かこっちがクッキーで、これがキャンディ……そっちは干し杏だったかな。あ、飲み物どうしよう。お茶貰ってこようか」

「い、いいよ、すぐ帰るから。そんなのんびりもしてられない」

「そう? じゃあ少し持って行って、一人じゃ食べきれないもの。傷んじゃうと勿体ないから、兵士さんたちに配ろうかと思ってたんだ」

 エイリルはクッキーの包みを手にテーブルに着き、立ったままのイオを座るよう促した。躊躇いがちに座ったイオの前に包みを開くと、様々な形のクッキーが零れ出る。

「わあ、綺麗。どうぞ、食べて」

「……いただきます」

 イオはおずおずと手を伸ばし、星形のクッキーを摘み上げて口に運んだ。エイリルもクッキーを食べながら尋ねる。

「怪我は平気?」

「自分で治した。あんたこそ、顔と首……」

 エイリルの頬には布が貼られ、喉には包帯が巻かれている。どちらも掠り傷なのだが、大袈裟に手当をされてしまった。

「そんなに大きな怪我じゃないの。ほっぺたを軽く擦り剥いて、喉は少し切られただけ。すぐ治るよ」

「……そっか」

 イオは安心したように頷く。心配して様子を見にきてくれたらしい。

「ありがとう」

「別に……おれが気になったからきただけだ」

 照れた様子でそっぽを向くイオを微笑ましく思い、しかしここで笑ったら怒られるだろうから、嬉しさで緩む頬を引き締めてエイリルは気になっていたことを尋ねた。

「イオくん、昨日のことなんだけど……助けにきてくれたのはどうして?」

「……へ?」

 質問がよほど意外だったらしく、イオはきょとんとした顔になった。そして襟元を探って服の下から何かを取り出す。

「これ……」

 イオが引っ張り出したのは、レゾリーヴでエイリルが露天商から値切って買った緑色の石だった。持っていてくれたのかと嬉しくなりながら、エイリルも首から外して掌にのせてみせる。

「呼鳴石だろ、これ」

「こめいせき? あ、買ったときにイオくん言ってたね」

 そのときは詳しく聞かなかったが、それがどうして助けにきてくれたことと繋がるのだろうとエイリルは首をかしげた。察したらしいイオが説明してくれる。

「呼鳴石って、もともと一つの石なんだ。大抵は二つに割って使う。なんか、結晶の並びが……おれも詳しいことはあんま知らないけど、簡単に言うとこう、元は丸をくっつけたような形をしてる」

 イオは両手を拳にしてくっつけて見せた。

「ふむふむ」

「双子石とか、色は石によってまちまちだけど、必ず二つの色があるから二色石とかって別名もある。それを割ると、二つになった石は引き合う性質がある。これ、よく見ると緑の部分と青の部分があるだろ?」

「うん、あるね。変わった色だと思ってた」

「この石は青い部分が動くんだ。対になる石のある方向に。ちなみに、三つ以上に割ると変色してる部分がなくなるらしい」

「へえー、不思議。そっか、それでわたしの居場所がわかったのね」

 納得して、しかし、それでも説明が付かないとエイリルは首を捻る。

「でも、助けにきてくれたのは? 場所はわかるけど、わたしが危ないっていうのもわかるの?」

「それは……、おれもただの伝説だと思ってたんだけど。呼鳴石には、片割れの石の持ち主の身に危険が迫ると、もう片割れが光るって言い伝えがあるんだ」

 エイリルは思わず石とイオとを見比べた。

「……本当だったのね。ということは……もしかして、物凄く高価?」

「……かなり」

「だからあのとき売り上げを心配してたの」

 エイリルは模造石だと思い、そのつもりで値切った。クロルもそれで売ってくれたので、彼も知らなかったのだろう。仕入れ先も知らなかったに違いない。

 エイリルの危機を察して突然光ったなら、イオはさぞかし驚いたことだろう。そういえば、中庭で死にかけたときも何かが光っていたと、エイリルは思い返す。きっと、イオの呼鳴石の光だったのだ。

 イオは頷き、服の下に石をしまった。何事かと思った、と呟く渋面がおかしくて、エイリルは笑おうとした。しかし、頬は強張るばかりで上手く動かない。―――エイリルを罵り、殺そうと向かってくるシルエラを思い出してしまった。

 イオが怪訝そうな顔になり、悟られないようにエイリルは急いで言葉を継いだ。

「また助けられちゃったね。ありがとう」

「礼を言われるようなことじゃない」

「そんなことないでしょ、わたしは……」

「おれは、あんたが死ぬのはいやだ。怪我するのもいやだ。だから、治したり、助けたりしたのはおれの意思だ」

 思いがけず強い口調で遮られて、エイリルは言葉を止めた。少しだけ視線を落としたイオは、何かに宣言するように言う。

「もし、あんたが死にたいって言っても……、おれは、生きて欲しいと思う」

「……うん」

 頷いた拍子に、太腿の上にぽつりと雫が落ちた。それはあとからあとから零れて染みを増やす。

「うん……ありがとう」

「え、あ、え? ど、どっか痛いのか? 大丈夫か?」

 突然泣き出したエイリルに驚いたか、イオは立ち上がっておろおろと両手を上下させた。エイリルは片手で涙を拭いながら、もう片方の手をイオへ伸ばす。

「な、何?」

 思わずと言ったふうに手を握るイオを、エイリルはぐいと引き寄せた。

「おわ!」

 よろめいて距離を縮めたイオに抱きつき、胸に顔を埋める。

「な、な、ななな?」

「ちょっとだけ……、貸して」

「……う、うん」

 頷き、イオは固まってしまった。それをいいことに、両腕に力を込める。

 一番仲が良かったと思っていた相手からずっと死を願われていた、存在を真っ向から否定されたということは、エイリルの中に深く突き刺さった。それどころか、シルエラはその傷を思い切り抉っていった。見ない振り、気付かないふりをしても傷を塞がらず、痛みで存在を主張してくる。

 イオの言葉は、その傷にとても滲みた。だが感じるのは痛みではなく、暖かさだ。生きていて欲しいと言われたのは初めてだ。ここにいてもいいと言われた気がした。たった一言で、胸の奥で凝っていた黒く重いものが解ける。まるで魔法のように。

(……わたしの、魔法使い)

 嬉しくても涙が出るものなのだと、初めて知った。これはきっと、止めなくてもいい涙だ。

 固まっていたイオがおずおずと頭を撫でてくれて、ますます泣けた。結局エイリルは、イオの胸が涙でぐしゃぐしゃになるまで、彼を解放することができなかった。




 了

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わたしの魔法使い 楸 茉夕 @nell_nell

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