終章 1

 終章


 医務室に逆戻りしたエイリルだが、昏睡状態に陥ったわけではなく、翌朝普通に目を覚ました。そして、特別に面会を許可された兵士長に事情を説明した後、医者にしこたま怒られた。今度無茶をしたら強制的に眠らせると真顔で宣言されたので、これ以上怒らせないようにしようと、エイリルは言われたように大人しく横になっていた。

 面会は禁止、そのほか疲れるようなことはすべて禁止を言い渡され、殆ど一日中寝ているしかできなかったので、無茶をした罰なのかもしれないと考えるほど、今まで生きてきた中で一番退屈な三日間だった。

 今日、ようやく部屋に戻っていいとのお許しが出て、今後の指示を仰ごうとラストの元を訪れている。

「もう大丈夫なの?」

「はい、おかげさまで。もう平気だって言っても引き留められちゃって。三日ずっと寝てばかりいたので、昨夜なんて眠れなくて困りました」

 冗談めかして言えば、ラストはくすりと笑った。いつもは執務机を挟んで立ったまま話すのだが、エイリルの体調を気遣ってか、今は応接テーブルでお互い座って向かい合っている。

「戻っていいと許可を出した日にあの騒ぎでは、医者も用心深くなるでしょう。大きな怪我がなくて本当に良かったわ。お見舞いに行ったら追い返されてしまって」

「すみません。ありがとうございます」

 案じてくれるラストの気持ちが素直に嬉しい。心配をかけてしまったのを詫びる気持ちも込めて、エイリルは深く頭を下げた。

「兵士長から大体は聞いているわ。でも、リルちゃんからも聞きたいの。……話してくれる? 四日前、何があったのか」

 覚悟はしていたので、エイリルは小さく頷いた。記憶を探りながら説明する。

「わたしは、兵舎に戻ろうとしていました。お医者様にゆっくり歩くことから始めろと言われたので、散歩がてら遠回りをして……途中で、周りが騒がしかったので、近くにいた文官さんに何かあったのか訊いたんです。そしたら、逆賊の……、女が、見張りを殺して逃げた、と……エラのことだと思いました。それで、捜しに……」

 一旦言葉を切り、エイリルは息をついた。シルエラから投げつけられた言葉は、当分忘れられそうにない。

(エラ……わたしのこと、本当に嫌いだったんだ……)

 エイリルは誰かの機嫌を取ろうとしたつもりも、媚びたつもりもなかった。しかしシルエラにはそう見えていたのだろう。他人におもねるようなことは一切しない、誇り高い彼女には許せないほど腹立たしかったに違いない。

(気付かなかった……全然)

 どうして自分はいつもこうなのだろうと思う。己のことしか見えず、他人に配慮することができない。周りのことを考えて動いているとつもりでも、所詮つもりでしかなく、ただの自己満足だった。

「エラは……陛下を、しいたてまつろうとしていたそうです。でも、毎回わたしが邪魔をするので、先にわたしを始末しようと、エラもわたしを捜していたみたいです」

「なるほど、だから陛下の前にあなたを襲ったのね。―――他には何か言っていなかった?」

「……陛下の暗殺に成功したら、ヴェストリ公が結婚してくれると……約束して貰ったと言っていました」

 ラストは目を見開き、小さく息をつくと痛ましげにかぶりを振った。

「それが動機だったのね……」

「エラは、本気でした。陛下を弑することができたら、領主様の妻になれると本気で信じていた……」

 一体何人殺めたのだろうと考えると、喉が詰まるような気がする。エイリルの知る限りでも、エメラインや医者、見張りなど、片手では足りない。もしかすると、もっと手に掛けているかも知れない。ヴェストリ公と結婚する、ただそれだけのために。

(……わたしも同じね)

 エイリルが近衛兵見習いに入ったのは、国民権欲しさだ。だから、シルエラの気持ちがわかってしまう。彼女もきっと、領主の妻の座を、何を置いても手に入れたいと思ってしまったのだ。

(必要とされたかった……いてもいいって、言って欲しかった)

 親を亡くし、引き取られた先で要らないと言われ、それから怖くなってしまった。

 自分はこれまで、要らないと言われたくない一心で生きていたのかも知れないと、エイリルは今更になって考える。

 誰かに必要とされた覚えはない。いてもいなくてもいい、情けで置いて貰っているだけの―――

「ありがとう、ようやく繋がった気がするわ。辛い話をさせてしまってごめんなさい」

 ラストの声で我に返り、エイリルはゆるゆると首を左右に振った。

「いいえ……エラは、本当の理由を話さないと思いますから……」

「そうね。ヴェストリ公も、未だに何も喋らないというわ」

 ヴェストリ公と国王が対峙していた場に居合わせたエイリルは、図らずもヴェストリ公の意図を知ってしまった。だがこれば、他人の口から―――殆ど無関係のエイリルの口から語られていいものではないだろう。

「あの、マリアさんは無事なんでしょうか」

「マリア? あら、誰も教えてあげなかったのね。薄情だこと」

 わたしも含めてだけれど、とラストは苦笑する。

「マリアは無事よ。諜報員だったというのはもう知っている?」

「はい。エラの監視のために近衛兵見習いの振りをしていたと、副長から聞きました」

「ええ。エマと一緒に医務室へ行かせたのもそのため。シルエラは薄々気付いていたみたいね。だから、医務室で真っ先にマリアを始末しようとしたらしいの。エマは、それを庇って死んでしまったとマリアが話してくれたわ」

「そうですか……」

「ところでリルちゃん、運動は医者に止められているの?」

 がらりと話題が変わって、エイリルは目を瞬いた。

「は? は、はい。お医者様には、当分は歩くくらいにしておけと言われました。当分の間は毎日医務室へ様子を見せにくるようにと」

「そう、じゃあ訓練の許可が下りるまでは座学を中心にしましょうか」

「え」

 思いがけないことを言われてエイリルは目を瞬いた。ラストはにこりと微笑む。

「大祭の準備で遅れていたから丁度いいわね。今日は兵舎でゆっくりお休みなさい。明日から再開しましょう」

「……はい、ありがとうございます」

 エイリルが返事をすると、話は終わりだとばかりにラストが立ち上がった。エイリルもそれに倣い、気もそぞろに挨拶をして執務室を出る。

(復帰させて貰えるのは嬉しいけど……座学が続くなんて)

 近衛兵として、様々な知識が必要不可欠であることは理解している。だが、それで座学が楽しくなるかと言えば別の話だ。本を読むのは、キルツのおかげで嫌いではなくなったが、興味のあること以外は殆ど頭に入ってこないのが困りものである。

 こうなったら全力で休んで少しでも回復を早め、医者から訓練の許可を貰おうと、エイリルは兵舎へ向かった。

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