五章 2-2

 ぽんと軽くエイリルの肩を叩いてロヴァルは立ち上がる。

「あんま思い詰めるな。本調子じゃないんだからな、ちゃんと休めよ」

「……はい。ありがとうございました」

 片手を閃かせながらロヴァルが出て行き、入れ違いのように初老の医者が入ってきた。

「具合はどうだね。まったく、次から次へと……近衛隊は遠慮という言葉を知らんのか」

「体調は変わりなく。―――みんな、驚いてるんだと思います。死人が生き返ったから」

「そりゃ私も驚いたがね。仮死状態という言葉は知っておったが、初めて見たよ。運が良かったね」

 先程までロヴァルが座っていた椅子に腰掛け、医者はエイリルの脈を見た。口を開けさせて覗き込み、瞼を捲り、横になるよう促して、腹部を触診した後に一つ頷く。

「異常なし。今日はもう面会は終わりだ。ゆっくり休みなさい。明日一日様子を見て、大丈夫そうなら戻っていいから」

「はい、ありがとうございます」

 言い置いて医者は出て行った。エイリルがいるのは個室である。見習いという身分で個室という破格の扱いなのは、息を吹き返したという特殊な状態だからだろう。白で統一された室内は、一人でいることも相俟あいまって広く感じる。

(……寝ちゃおう)

 とにかく身体を休めろということで、無意味に歩くのはもってのほか、読書なども禁止されている。まだ日は高いがやることが何もないので、エイリルは頭から毛布を被った。眠ってしまえば、余計なことを考えずに済むだろう。



 同日深夜、エイリルはごろごろと寝返りを打っていた。

 昼間に寝てしまったせいか、夜中にふと目を覚ましたら目が冴えてしまって寝付けない。昨日、一昨日は明るいうちから眠っていても夜も眠ることができたので、体力が回復してきているのだと思えば喜ばしいが、まだ夜明けは遠そうである。

 寝返りにも飽いたエイリルは、思い切って起き上がった。そろそろと寝台から足を下ろして室内履きに爪先を入れる。見つかったら大目玉だろうが、今は医者も助手も帰ってしまった。見回りにさえ気を付ければ大丈夫だろう。

 足音を立てないように移動して静かにカーテンを開けると、無数の星々が輝く中に少しだけ欠けた月がぽかりと浮かんでいた。空気が澄んでいるのか月光が明るく、本も読めてしまいそうだ。

 美しい光景に無意識にため息が出て、そういえば星空を見上げたのはいつぶりだっただろうと思う。最近は訓練などで疲れて、夜はすぐに寝てしまっていた。

 どれくらいそうしていただろうか、扉がきしむ音がしてエイリルは振り返った。ゆっくりとノブが回り、細く開く。見回りにしては挙動がおかしい。

(何……?)

 見つめていると扉はじりじりと動いて開き切り、四角い闇を形作った。しかしそこから誰も出てこない。

「どなた……?」

 幽霊でも出たのだろうかと恐る恐る声をかければ、闇の中で何かが動く気配がした。どうやら幽霊ではなさそうなので、もう一度呼びかける。

「何かご用ですか?」

 再び動く気配がして、人影が月明かりの中に姿を現した。エイリルは目を見開く。

「イオくん!」

 おずおずと部屋に入ってきたイオは、後ろ手に扉を閉めた。駆け寄ろうとすると、片手で止められる。

「……まだ本調子じゃないんだろ」

「ううん、もう大分。明日一日様子を見て、大丈夫そうなら兵舎に戻っていいって」

 イオが心配そうな顔をするので、エイリルは寝台に腰掛けた。イオは躊躇いがちに近付いてくる。

「起きてていいのか?」

「昼間殆ど寝てたから、目が冴えちゃって。退屈してたの」

 冗談めかして言えば、イオは複雑そうな顔になった。エイリルは彼に笑みを向ける。

「イオくんには二回も助けられちゃったね。本当にありがとう」

 足を止め、椅子には座らずにイオはかぶりを振った。

「おれは……別に」

「別にじゃないでしょ。イオくんいなかったら、わたし死んでたんだよ? 一回死んだようなものだし」

 口にすれば急に実感が湧いてきて、エイリルはふるりと身体を震えさせた。ロヴァルが言っていたように、今頃は墓の下でもおかしくなかったのだ。そう考えると、途端に怖くなる。生きていて本当に良かった。

「でも……あんた、仮死から生き返ったせいで、化け物とか不死者とか言われて……」

「え、そんなこと言われてるの?」

 さすがに面と向かって不死者などと言ってくる者はいない。気にするなと片手を振る。

「冗談半分でしょ。それにね、死んじゃうよりも化け物呼ばわりの方がずっとまし」

 イオははっとしたようにエイリルを見て、すぐに顔を伏せた。

「……死んでしまったんだと、思った。傷は塞いだけど、あんたは目を覚まさなくて……間に合わなかったんだと……おれのせいで」

「違うよ、イオくんのせいじゃない。わたしは、見習いだけど近衛兵だもの。陛下をお守りするのが仕事よ」

「いいや、おれが一人で行けば良かったんだ。あんたに甘えて……結果、あんな……」

「わたしは生きてる。イオくんのおかげだよ」

「だから、そもそもあの場所に行かなければ」

 途中でやめ、イオは再びかぶりを振った。俯いたまま独白のように言う。

「息を吹き返したって、信じられなかった。あののとき……あんたは、確かに……」

 語尾が揺れて、イオは唇を引き結んだ。何かを堪えるような沈黙の後に、吐息のように落とされる。

「……よかった」

 エイリルは手を伸ばし、震えているイオの手に触れた。彼はびくりと竦んだが、逃げられなかったので、両手をとって額をつける。この少年にはなんの責もとがもないのに、どれだけ己を責めたのだろうかと思うと、胸が痛む。

「イオくんはわたしの命の恩人。神様でも運でもなく、君が助けてくれたの」

 運が良かったと医者は言った。だがエイリルはそう思わない。エイリルを救ってくれたのはイオだ。運が良かったのだとすれば、それは、あの日イオと出会ったことだ。

「忘れないで。イオくんがいなかったら、死んでた人間がいるってこと」

 手を下ろして見上げれば、今にも泣き出しそうな顔をしたイオと目が合った。彼はぱっと目を逸らし、手を引っ込める。

「そろそろ……戻らないと。邪魔して悪かった」

「ううん、きてくれてありがとう。嬉しい」

「……おやすみ」

「おやすみなさい」

 イオは静かに帰って行った。初夏とは言え冷えてきたので、ベッドに横になって毛布を被る。

 両手にはまだイオの手の感触が残っている。少年の手は冷え切っていて、どれほどの決心できてくれたのかとエイリルは目を閉じた。―――自分は、彼の眼前で死んだのだ。

(……復帰しないと)

 近衛兵になれるなれないというのは最早問題ではない。元どおり回復したと証明するためだ。それでイオが安心してくれるなら、安いものだろう。

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