五章 2-1

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 目を開けると、真っ白だった。

「……?」

 眼球だけを動かして左右を見ても、白いものしか見えない。自分はどうしたのだったかと考えるが、記憶が上手く繋がらなくて目を瞬く。頭がはたらかず、視界が白いのも目がよく見えていないのかも知れないとぼんやりと思った。

 感覚を辿ってみると、どうやら仰向けに寝かされているらしい。意識してしまえば床が硬いのが気になった。石か何かの上に直に寝ている。やたらに重い瞼をゆっくりと動かして、目を閉じ、開く。やはり白い。

 四肢は鉛のようで、起き上がることはおろか手足を持ち上げることもできない。上体を起こすことは一旦諦め、指先から順に力を入れていく。間接が強張ったようになってなかなか動かなかったが、右手を握ることに成功した。次は左手を少しずつ動かしていく。それだけで疲れてしまって、大きく息をついた。

 次の瞬間、

「ひ……きゃあああああああああああ!!」

 唐突に響いた女の悲鳴はすぐ近くから聞こえた。何事だろうと思う前に、自分以外に人がいたことをまず意外に思った。相変わらず目は役に立たない。喉は張り付いたようになって声も出なかった。正常なのは耳だけらしい。

「う、動っ……動いて……いやああああ!!」

 悲鳴と共にどさりと何か重いものが落ちる音が聞こえる。やがて、ばらばらと足音が近付いてきた。

「どうした!?」

「何事だ!」

「こ、ここここ、この! この人! う、うううご、動いて、動いています!」

 一瞬静かになり、何かを囁き交わすような声が聞こえた。

「……そんな莫迦な」

「気のせいじゃないのか?」

「そんなはずありません! 確かに見ました!」

「死体が動くはずないだろ。どれ」

「あああああやめてください、祟られでもしたら……!」

 ばさりと音がして、視界が明るくなった。目の前が白かったのは、頭まで白い布で覆われていたからだと理解する。

 焦点の合わない視界の中で、何人かが上から覗き込んでいるようだった。何があったのか尋ねようと声を出すために息を吸い込むが、それは音にならずに唇から逃げていった。

「動いたー!」

「ぎゃあああああ!」

「出た――――――!!」

 のぞき込んでいた人々は口々に悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げて行ってしまった。

(何……?)

 動けないので手助けを頼もうと思ったのに、誰もいなくなってしまった。仕方がないので、一人で起き上がろうと試みる。

 上手く動かない手足をじりじりと動かし、芋虫にでもなったような気分で藻掻もがいていると、再び足音が近付いてきた。

「こっち! こっちです!」

「息を吹き返した? そんなまさか」

「本当ですって!」

 やってきた人々は再び周囲に集まった。その中の白い服を着た一人が傍らに膝をついて、首筋や手首に触れ、瞼を捲り、顔を上げる。

「驚いた、こりゃ生きてる。君たち、急いで医務室まで運んで」

「い、生きてるんですか? 不死者みたいなのではなく?」

「間違いなく生きとる。不死者なんぞ架空の存在だろう。早く運んでくれ、また死んでしまうかも知れない」

「は、はい」

 状況が飲み込めずにいるうちに、手足を掴んで持ち上げられ、担架のようなものに乗せられた。動けないまま、あれよあれよという間に運ばれていく。

(……まあいいか)

 とりあえず手助けは得られそうだと、揺れに任せて目を閉じた。



   *     *     *



 その日は千客万来だった。

 最初にラストが訪れて「生き返った」のを喜んでくれて、その後は近衛隊の面々が数人ずつ様子を見にきてくれ、休憩中だからと国王まで現れたときはあまりのことにまた意識を失うかと思った。今はロヴァルが見舞いにきている。

「よかったなー。あと少し起きるのが遅かったら、棺桶に入れられて生き埋めだったぞ」

「副長……怖いこと言わないでください」

 エイリルは医務室で目を覚ますまでのことを覚えていない。襲撃からは十日が過ぎていると聞いた。自分は一度死に、その四日後、棺に収められる直前に息を吹き返したのだという。そして再び意識を失い、次に目覚めたのは更に四日後。その後二日ほど様子を診て、今日、問題ないだろうと医者が面会を解禁したのだ。

「でも、今こうしているのが不思議です。わたしは、首を……」

 記憶はそこで途切れている。割って入ったエイリルの首筋を切り裂いたシルエラには、なんの躊躇いも感じられなかった。彼女にとっては、ただ邪魔者を排除しただけだったのだろう。

「俺も、君は死んだと思ったよ。それくらいの出血量だった」

「……治してくれたんでしょうか」

 誰がとも、どうやってとも言わなかったが、ロヴァルは察してくれたようで小さく首肯した。

「多分な。傷を塞いでも出血多量で仮死状態になって、運良く意識を回復したってとこかね。……まあ、実際君の身体の中で何が起きてたかはわからないけどな」

「ええ。陛下とイオくんに感謝しないと」

「陛下には別にいいと思うぞ? むしろ、あいつが君に感謝すべきだ」

「もういただきました。ここまでいらっしゃって、また死ぬかと思いましたよ」

 笑い混じりに言えば、ロヴァルは苦笑めいた表情になった。

「あーいーつー。まさか一人じゃなかったよな?」

「はい、ちゃんと護衛とお供の人はお連れでした」

「ならいいけど……いや、よくはないけど。あいつに出歩かないって選択肢はないのか」

 ロヴァルが大きなため息をつき、会話が途切れた。エイリルは上掛けの上で両手を握り締め、思い切って尋ねる。

「あの……ヴェストリ公と、エラは……今?」

 ことのあらましはラストから聞いていた。しかし、エイリルが訊かなかったこともあって、現在二人がどうしているかは話に出てこなかった。

 ロヴァルは少々躊躇う様子を見せたが、誤魔化すことなく答えてくれた。

「二人ともまだ尋問中だ。地下牢にいる。だが……逆賊だからな。死罪だ」

「そう……ですよね」

 事情はどうあれ、シルエラは国王に弓引いた。言い逃れはできないだろう。

「でも、エラは……ヴェストリ公に利用されていただけでは……」

「さあな。そのあたりは本人たちにしかわからないだろう。利用されていようがいまいが、事実は動かない」

 言い切って、ロヴァルは困ったような笑みになる。

「しかし君は、お人好しというか何というか……自分を殺した相手だぞ?」

「そうですけど……エラとは、一座で一緒で……友達、だったんです。だから……」

 シルエラはいささかの迷いもなくエイリルを殺すことができると、頭ではわかっている。しかし、過去の記憶が、楽しかった思い出がそれを否定したがる。城下町での再会を互いに喜んだのが、遠い昔のことのようだ。エイリルと違い、シルエラのそれは再会したためではなく、国王に近付くための丁度いい足がかりを見付けた喜びだったのかもしれないが。

(エラは……ずっと、みんなを捜してたって言ってたのに。それで王都にきたって……嘘だったのかな)

 捜していたのは本当かもしれないが、ずっとではなかった。そして、王都にきた理由も仲間の捜索ではなかったのだ。

 聞いた話では、シルエラがヴェストリ公と接触し出したのが半年前。それから様々な教育を受け、国王暗殺の命を受けて王都へやってきた。

 調査の結果、ヴェストリ領の人間は、誰一人として今回のヴェストリ公の計画を知らなかった。公が使ったのはシルエラただ一人で、何故そうしたのか真意はわからない。―――ヴェストリ公は、一言も喋らないという。

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