五章 1


 騒動から三日、城内は徐々に落ち着いてきている。

 ヴィグリードを手引きしたのはシルエラだった。彼女は手に入れたイーグルや警備の予定をすべて流しており、当日も医務室を抜け出してヴィグリードの侵入とイーグル襲撃を助けた。

 王城の入り口付近で起きた爆発はヴィグリードによるもので、女に化けたヴィグリードは、彼の正体に気付く者がいないのをいいことに、行く手を阻む兵士たちを次々に倒して奥まで侵入したらしい。

「……イオは?」

「部屋から出てきません」

 低く問うラストに答えれば、彼女は深いため息をついた。

「無理もない。目の前で……、酷なことだったでしょう」

 ロヴァルたちが駆けつけた時には、動いているのはイーグルとイオだけだった。血塗ちまみれのエイリルをかき抱いたイオの取り乱しようは尋常ではなく、引き離すのに兵士数人がかりでも苦労したほどだ。

 イーグルの話によると、ヴィグリードとシルエラを倒したのはイオだという。止めなければ二人を殺していただろうと、イーグルは淡々と語った。

「……死なせるつもりはなかったの」

「わかっています」

「本当よ」

「ええ、わかっています、隊長」

 普段、滅多なことでは感情を露わにしないラストが、ここまで沈んでいるのは珍しい。それでも衆目の前ではいつも通りに振る舞っているのは、近衛隊長の矜恃のなせる技かも知れない。

「誰が隊長の立場でも、同じように考えるでしょう。エイリルの身の上を知って、利用しない決断をしないでいられるほうがおかしい」

 シルエラとヴィグリードが繋がっているのは、早々に調べがついていた。

 二人がどういう出会いかたをしたのかはわからない。半年ほど前から、西の小さな集落で暮らしていたシルエラの元へ、時折ヴィグリードが通っていたのだという。

 シルエラの素性は調べられ、害はなさそうだと放っておかれた。ヴィグリードが彼女に様々な教育を施したのは、側女にするためだろうと考えられた。シルエラの美貌が、その理由を納得させた。

 そしてヴィグリードが行方不明となり、シルエラもまた姿を消す。ヴィグリードの立場から簒奪が警戒され、この時点で近衛隊に話が届いた。

 ラストは、以前シルエラと同じヴィンブラド一座にいたエイリルに思い至った。彼女のことを、シルエラへの餌として利用できるかもしれないと考えた。かくして、何も知らないエイリルが近衛兵見習いに収まることになる。

 ヴィグリードとシルエラが良からぬ事を企んでいるなら、必ず王都へやってくる。ラストがキルツを通してエイリルに城下町を走らせたのは、エイリルのことをシルエラの耳に入るようにするためだ。やがて、こちらの思惑通りにシルエラが釣れた。

 しかし、ヴィグリードの行方はようとして知れず、シルエラは監視付きで泳がされることになった。―――監視役はマリアである。

 諜報部で最も若い女性であるマリアに、三人目の見習いとしてシルエラに張り付くことが任ぜられた。

 エイリル、シルエラ、マリアの三人がレゾリーヴへ派遣されたのは、ヴィグリードがシルエラに接触しにくることを期待されてだ。加えて、功を奏したのがイオの存在だった。

 魔法使いは互いに存在を感知できるという。イオに見習いたちへの同行を命じたのはイーグルだ。ヴィグリードのことを考えてのことだったのかもしれないが、本人にたしかめていないので真相はわからない。

 シルエラが接触した人物がいたというマリアからの報告と、レゾリーヴに魔法使いらしき気配があったというイオの情報から、ヴィグリードを絞り込むことができた。

「まさかヴェストリ公が女に化けているとは誰も夢にも思いませんよ」

 ロヴァルから見ても、彼は喋らなければ完璧な美女だった。今でこそ「ヴィグリード」をそのまま捜していたのでは見つかるわけがないとわかるが、まさか領主ともあろう人物が女装してまで弑逆しいぎゃくにくるとは誰一人考えなかった。

 しかしラストはかぶりを振る。

「そんなのは言い訳に過ぎない」

「そうですね。ですが、結果的に陛下をお守りできたのは事実です。ヴェストリ公を生かして捕らえられたのも大きい」

「収穫は弑逆の首謀者と共犯者の捕縛。損害は城門の半壊と、兵士十三、近衛兵一、近衛兵見習一、医者一」

 わざと物を数えるかのように言うラストへ、ロヴァルは首を左右に振った。警備兵の死傷者はヴィグリードによるものだが、近衛兵エメラインと、治療に当たった医者は、シルエラの手にかかった。

 シルエラの嘘を見抜けなかったのも、ラストが己を責める一因となっている。―――否、シルエラは嘘をついていたわけではない。彼女は実際に毒物を口にしていた。おそらくは、体調を崩して大祭の警備を抜け出すために。何がシルエラをそうまでさせたのか、ロヴァルにはわからない。

「エメラインが死んだのは、彼女の修練不足で、彼女の責任です」

「……そうね。でも」

「それに、シルエラが内部にいたからこの程度の被害で済んだのかも知れません。もしヴェストリ公に協力者がいなかったら、式の最中に乗り込んできて兵士や貴族まで皆殺しにされた可能性もあります」

 イーグルがロヴァルに「お願い」したのは、ヴィグリードと一対一で対峙したいということだった。

 魔法使いは魔法使いにしか止められないとイーグルは言った。たしかに、中庭の破壊の跡を見る限り、普通の人間では防ぐ手立てはない。大勢で取り囲んだとしても、ヴィグリードに蹴散らされるのは想像に難くない。中庭に地面は広範囲にわたってえぐられ、穴が開き、石畳は割れて、花や草木は部分的に炭化していた。

 魔法使いが数を減らした原因が、ロヴァルには少しわかった気がした。あれほどの力を持っていれば、単純に兵士として、文字通り一騎当千だ。利用しようとする人間は当然出てくるだろう。

 今日初めて、ラストがほんの少しだけ表情を緩めた。

「……相変わらず慰めるのが下手ね」

 ロヴァルは微かに笑ってみせる。

「私の周りの人は鋼の精神の持ち主ばかりですから、実践する機会がないんですよ。そりゃ上達もしませんよね」

 ラストは息をつき、広げていた報告書を閉じた。

「少し訓練に参加してくるわ。身体を動かしていた方が気が紛れそうだもの」

「そうですね、しごいてやってください。―――では、私はこれで」

 ラストの執務室を出ながら、ロヴァルは現在訓練にあたっている部隊へ胸中で手を合わせた。彼らは隊長が気晴らしに参加してくるなど夢にも思っていないだろう。その上、ラストが指揮を取り出すと途端に厳しさが跳ね上がる。

 廊下を歩いていると、角を曲がってきた近衛兵がロヴァルを見付けてほっと息をついた。

「ああ、副長。よかった」

「あ、はい。わかった」

 またイーグルがいなくなったのだろうと思い、ロヴァルは片手で相手の言葉を制した。

「今日も塔か?」

「はい、今日も塔です。北側の」

「君らが上がっていっても陛下は怒らないと思うぞ?」

「は……、いえ、しかし……」

「気持ちはわかるけどな、俺だっていつもいるとは限らないし、慣れろ」

 ロヴァルは北の尖塔へ向かって歩き出した。もう「国王の塔」か「イーグルの塔」とでも名付けてしてしまえばいいのにと思う。

 件の塔の登り口へ行くと、困り顔で集まっていた人々が皆一様に安堵したような表情を浮かべた。自分はイーグルのなんだと思われているのだろうと、ロヴァルは少々複雑になる。

 螺旋階段を上っていくと、果たして国王は立っていた。手摺りに両手をかけて天壌大樹の方向を向いている。

「毎回侍従と護衛を連れ歩くようになったのは褒めてやる」

 わざと尊大に声をかければ、イーグルは振り返らずにくすりと笑った。

「君とフィーアに死ぬほど絞られたからね。当分の間大人しくしているよ」

「当分の間じゃなくて、この先ずっとそうあって欲しいもんだな」

「私だって人間だよ。自由は必要さ」

「今だって十分自由だろ。半時も降りてこないって、みんな心配してたぞ」

「そんなに経っていたかい?」

 イーグルは驚いた顔で身体ごと振り返った。自覚がなかったらしい。一人で温室に籠もるよりはましかと、ロヴァルは息をついた。

「時間の感覚がなくなるくらいの考え事か?」

「いいや。懺悔と後悔さ」

 言いながらイーグルは再び大樹へ向き直った。ロヴァルは少し距離を置いて隣に並ぶ。

「……ヴェストリ公のことなら、おまえが気に病むことじゃないだろ」

「そうかな……概ね私のせいだと思うけれど」

「そんなわけないだろ、あんな逆恨み」

 二人の間にどんなやり取りがあったのかは、イーグルから大体聞いていた。

 要するにヴィグリードは、幸せそうに見えるイーグルが、憎らしいほどに羨ましかったのだろうとロヴァルは思う。長い間、己を虐げていた父親が死に、家督を継いで久しぶりに従弟に会ったら、彼は優しげな人々に囲まれて穏やかに笑っていた。自分にない物をすべて手にしていた。

 もしかしたら、従弟と自分は逆の立場だったかもしれない―――

(まあ、憶測だけどな……)

 現実として、平等はあり得ない。それを受け入れられず、イーグルを許せないと思ってしまったとき、ヴィグリードの中で何かが切れてしまったのだろう。そして、凶行に走らせた。玉座を望むことすらせず、血縁を皆殺しにして自分もまた死のうとした。

「死ぬのは、私だったのだろうね」

 独白のようにイーグルは呟く。

「リーフがそれを夢で見てしまって、イオに助けを求めて……変わってしまった。エイリルが身代わりになった」

「見習いだが彼女は近衛兵だ。おまえを守るのが任務だ」

「わかってる。わかってるけど……」

「わかってるなら四の五のぬかすな。おまえに必要なのは、他の全員を犠牲にしてでも生き残る覚悟だ」

「民が一人もいない王なんて、滑稽なだけだよ」

「国民を犠牲にしろとは言ってないだろ。言葉が足りなかったな、百万の兵士を殺してもおまえは生きろ」

 イーグルは束の間無言でロヴァルを見上げた。そして、泣き笑いのような顔になる。

「国王というのは……、なんて割に合わない仕事なんだろう」

「生まれついちまったものは仕方ないだろ。いいじゃないか、おまえには王妃様もリーフ殿下もいる。ほどほどに頑張れよ、付き合ってやるからさ」

「……ありがとう」

 吐息のように落としてイーグルは大樹へ視線を向けた。

「もう少しだけ、ここにいてもいいいかな」

「仕方ないな、今日だけ特別だぞ。下で待ってる連中には言っといてやる」

 イーグルの語尾が震えていたのには気付かないふりをして、ロヴァルは踵を返した。

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