四章 5

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 こいつは本物の莫迦ばかではなかろうかと彼は思う。

 国王という立場にありながら、護衛も連れずにふらふらと出歩いて、普段から近衛隊はさぞかし苦労しているだろう。

(今すぐ苦労を取り除いてやろうか)

 声も上げさせず殺す自信が、彼にはあった。だが、それでは気が済まない。死ぬにしても、自身が恨み呪われていると知って死ぬべきだ。

 国王は一人、季節の花を愛でる風情で美しい庭園をそぞろ歩いている。城内は大騒ぎになっているというのに、ここは不気味なほどに静かだ。おそらくイーグレーンの仕業だろうが、人気がないのはこちらにも好都合だ。

「…………」

 少し考え、彼は身を隠すことなく近付いた。ある程度まで距離を縮めると、青い花を見下ろしていた国王が顔を上げて振り返った。

「久しぶりだね、リディ」

 さほど驚きもせず、彼は目をすがめた。ばれているのならば無言で通すこともない。いくら外見は女に見えるよう装っていたとて、話せば声で男と知れる。

「そんなふうに親しげに呼ばないでくれるか、イーグレーン。吐き気がする」

「……わかった、ヴィグリード」

 言い直すイーグレーンへヴィグリードは嘲笑を浮かべた。

「気付いていたのなら何故、僕と二人になるような真似をした? おまえの身勝手か、よほど近衛兵どもが無能なのか」

「私が頼んだんだよ、こうするのが私にとっても、私の周りの人々にとっても一番安全だと思ったからね。私の近衛兵たちは、私には勿体ないくらい有能な人ばかりだ」

「綺麗事を」

「なんとでも。―――私と話をしたいのなら、言ってくれれば、いつでも時間を作るのに」

「おまえは玉座で僕は地べたでか。我慢ならないね」

 吐き捨てると、イーグレーンは何か言いたげに唇を動かした。そこから言葉が発せられる前にヴィグリードは話を戻す。

「解っていて僕をおびき寄せたと? 僕がおまえを憎く思っているのは知っているのだろうに。憎くて憎くて、八つに裂いてやりたいくらいだ」

「……リディ」

「そう呼ぶなと言っているだろう。その頭は飾りか? 吹き飛ばしてやろうか」

 ヴィグリードの言葉に、イーグレーンは目を伏せて小さく息を吐き出した。

「君は、私を殺しにきたのだね」

「そうだ。おまえだけじゃない。おまえの息子も、他の従姉妹殿たちもだ」

 告げれば、イーグレーンは表情を消した。途端に冷たい顔になる。

「……リーフは無関係だろう」

「妹たちは構わないのかい? 随分と薄情だな」

「今現在この城にいるのはリーフだ。一番に身の安全が優先されるのもね」

「困った国王陛下だ」

 揶揄の言葉にイーグレーンは微かに笑んだ。

「つまり君は、一族を根絶やしにしたいわけか。私たちを殺して、王になるつもりかい?」

「そんなわけないだろう。簒奪者なんて呼ばれるのは御免だ」

「では、何故? 私たちを殺しても君が得られるのは玉座くらいだろうに」

「そんなもの要らない。おまえたちを全員殺したら僕も死ぬ」

「……なんだって?」

 訝しげな表情になる従兄へ、ヴィグリードはできるだけにっこりと微笑んで見せた。

「簒奪には死だ。先王は、後世のためにも罪人を処刑すべきだった。兄だからと情けをかけて幽閉などせずに」

「自分の父親を、罪人と?」

「事実だ、目を逸らしても仕方ないだろう。例外など作らず、首を落とせばよかったんだ」

「私の父……先王リヴァーレーンには、きょうだいがレキターレ殿しか」

「知っているよ。だが、殺しておけばこんな面倒なことにはならなかった。違うか」

 そもそもが政略結婚で嫁いだ母は、夫が簒奪に失敗して幽閉された直後、ヴィグリードを産んですぐに自ら命を絶ったと聞いた。どうせなら自分を産む前に死んでくれればよかったのにと思う。

「父は、おまえと、おまえの父を恨み抜いて死んだ。幻視も魔力も持たないのは生まれつきなんだから諦めればよかったのに、まったく愚かな人だった」

「……先王は、兄上に恨まれているのをご存知だった。そのことにお心を痛めていらっしゃった」

「知るか。おまえも先王と同じようにせいぜい苦しめばいい。僕が呪ってやる」

 ク、とヴィグリードは喉の奥でわらった。先王リヴァーレーンの死は大勢に惜しみ悼まれ、心痛とレキターレの怨嗟が死期を早めたのだと誰もが噂した。

「順当に行けば玉座に着けたのに、公にできない仕来りのせいで弾かれたんだ、恨みたくなるのも無理もないと思うがな。その上、何の因果か、息子の僕は魔法使いだ。おかげで、父は僕も憎らしかったみたいだ。くだらない」

 レキターレは、自分の息子が魔法使いだとわかっても、玉座に据えようとはしなかった。つまり、自分以外の誰かが国王であることが許せなかったのだろう。どう足掻いても覆せないことに爪を立てたときから、父は少しずつ壊れていったのかもしれない。

「……レキターレ殿は、君を憎んでなど」

「父親の恨み言を毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日、聞かされたことがあるかい? ないだろう? 民に慕われ、家族に愛され、臣下に恵まれた、お幸せな国王陛下。さぞ毎日が楽しいだろうね」

 イーグレーンの言葉を遮ってヴィグリードはせせら笑う。これほど長く従兄と話したのは初めてのことだ。最後なのだからぶちまけてしまえと思っていたが、そろそろ終わりにしようと、そっと右手を握り締める。

「話を聞いてくれ、リディ」

「そう呼ぶなと何度言わせるんだ? さっきの言葉は撤回する。おまえは鶏頭の、真性の莫迦だ」

 ヴィグリードはこの世界が嫌いだ。父も母も、イーグレーンも従姉妹たちも、アールヴレズルという国も、自分自身も。全部、消えてしまえと思うほどに。

 拳に集中した力を放とうとした瞬間、

「陛下!」

 少年の声が響き渡った。



     *     *     *


 中庭の庭園に、目指す二人は対峙していた。

「陛下!」

 堪り兼ねたように呼んだイオの声が届いたのだろう、驚いた様子も見せず、国王が首を巡らせる。

「……きてしまったのか」

 呟く国王を相手から遠ざけるかのように前に立ったイオは、片方の掌を上に向けて何かを呟いた。すると掌の上に大人の拳大の光球が生まれる。それを空に放つと、乾いた音を立てて強く光った。

 国王が話していた相手の声は確かに男だったのだが、そこに立っている男ではなく美しい女で、エイリルは目を見開いた。そして、あまり遠くない記憶が蘇る。

(あの人……! でも、髪の色が違う)

 国王と向かい合っているのは、レゾリーヴでシルエラが世話になったと話していた女性だ。すらりとした長身と長い髪、何よりもその美貌が印象に残っている。しかし、レゾリーヴで見たときは亜麻色の髪だったはずだ。今は国王と同じ混じりけのない金髪を編んでいる。何らかの手段で色を変えたらしい。

「魔法使いを囲ってどうするつもりだ? 息子の予備か。いや、身代わりか」

 国王に向けられた嘲笑混じりの声はやはり男のそれで、信じ難いことだが、男が美女に化けているらしい。思わずエイリルは口を開いていた。

「エラがお世話になったというのは、嘘……だったんですか。何故女装までしてお城に?」

 男は、今ようやく気付いたというふうにエイリルへ視線を向けた。そして、鼻を鳴らす。

「ああ、おまえが『エイリル』か。なるほど、が嫌いそうな女だ」

「え……」

 どこで名前を知ったのかと尋ねる前に、男は唇の端で笑った。

「何故女装をしているか? この格好だと、頭の足りない連中が面白いくらい油断するんだよ。領主が女装しているなんて思わないらしくてね、ここまで誰にも見つからなかった」

 スカートを軽く摘んで見せる男へ、国王はゆるゆるとかぶりを振った。

「もうやめるんだ、ヴィグリード。君に勝ち目はない」

「勝ち負けの問題じゃない。僕はおまえに勝負を挑みにきたわけじゃない」

「では言い直そう。君の望みが叶う可能性はなくなった。今に、異変に気付いた兵士たちが駆けつける」

「じゃあその前に終わらせないとな!」

 彼は低く何かを呟きながら右手を無造作に払った。ほぼ同時にイオも右手をかざす。

「エオル!」

 瞬間、空気が弾けて、エイリルは彼の放った何かをイオが防いだのだと遅まきながらに悟る。

(この人がもう一人の魔法使い!)

 男が右足を引いた。頭上に右手を掲げ、振り下ろす。

「ケーナズ」

「ラグズ!」

 突然現れた一抱えはある炎の塊は、イオが伸ばした両手の先に広がった水の壁に相殺される。状況を飲み込めないエイリルは、呆気にとられて棒立ちになった。

「ケン!」

「ラグズ! イス!」

 イオが打ち出した無数の炎のつぶてを、水の盾を作り出して防いだ彼は、別の言葉を唱えて指を鳴らした。イオの足元から氷のきりが幾つも飛び出す。

「イオくん!」

 氷の錐に掠められて膝をつくイオを見て、エイリルは驚愕も忘れて駆け出そうとした。刹那、総毛立つような怖気を感じて反射的に身を翻す。

 そして、花壇を切り裂くようにして飛び出してくる人影を見て息を飲んだ。

「エ―――」

 両手に短剣を逆手に構えたシルエラは、エイリルには目もくれず国王へ向かって地面を蹴った。

「駄目!!」

 シルエラの目的を悟り、エイリルは咄嗟に国王との間に割り込んだ。両手を広げる。

「邪魔」

 エイリルに肉薄したシルエラは、右手を一閃させた。

「……あ」

 一瞬の空白の後、視界が真っ赤に染まってエイリルは目を瞬いた。視界の端で何かが光り、急速に全身の力が抜け、立っていられなくなる。

「リル!!」

 誰かの絶叫のような声が酷く遠い。視界が狭まり、暗くなる。やけに寒い。

(どうして……エラ)

 痛みは感じなかった。ただ、喉に触れた刃を、冷たいと思った。

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