三章 1-3

「なあ、あれじゃないか」

 イオに袖を引かれ、エイリルは我に返った。

「何?」

「看板。赤い薬瓶」

「あ、ほんとだ」

 道に面した窓には綱が張られ、薬草と思しき草の束が幾つもかけられている。看板からして薬屋なのだろう。その角を教わったとおりに右に曲がると、細い道が緩やかに蛇行していて見通しが悪い。

 やがて、それらしき吊り看板が現れた。年季の入った木の板には、鍋から星を掬い上げる匙の絵が描いてある。

「ここか」

「ここだね。星の匙亭」

 イオと頷き合い、エイリルは扉を押し開けた。鈴がからころと可愛らしい音を立てる。食事時は過ぎているというのに、店内はほどほどに賑わっていた。

「いらっしゃいませー。お二人ですかー?」

「ええと、クロルさんの紹介なんですけど……泊まれますか?」

 声をかけてきた給仕に言えば、エイリルとそう変わらない年頃に見える少女は大きな目を瞬いた。

「少々お待ちくださーい。―――店長ー! 坊ちゃんのお客でーす」

 給仕が奥に投げた言葉を聞いて、エイリルとイオは顔を見合わせた。

「坊ちゃん?」

「もしかしなくても、あいつの家なのかここ」

「そういえば、看板と同じ絵の前掛けしてたような……」

「はいはい、宿泊のお客さんですな。クロルの紹介で……おや、お二人ですか」

 出てきたのは人のさそうな中年男性だった。エイリルとイオを交互に見てひげを撫でる。

「はい。あの、クロルさんて、ここの人なんですか?」

「そうです。あいつは私のせがれでしてな。―――部屋数が少ないのと食堂の方が忙しいのとで、宿は今の時期しかやっとらんのです。だもんで倅が商売ついでに客引きを。跡継ぎだというのに細工師の真似事ばかりやっとるんです」

 困ったものだとぼやく店主に、エイリルは尋ねる。

「そうだったんですか。今日、泊まれますか?」

「大丈夫ですが、お嬢さんがたは姉弟きょうだいですかな? 武闘大会が間近ですから、一人部屋が一つしか空いとらんのですよ」

「え」

「あ、はい、姉弟です姉弟です」

「ちょ……むぐ」

 反論しかけるイオの口を、頭を抱え込むようにして塞ぎ、エイリルは店主に笑顔を向けた。祭の時期しか経営してない宿がほぼ満室では、やはり他の宿屋は埋まってしまっているに違いない。エイリルは野宿に慣れているからいいが、イオには酷だろう。

「とりあえず四泊お願いできますか?」

「はいはい。それじゃマイナちゃん、案内して差し上げて」

「はーい。こちらでーす」

 マイナと呼ばれた給仕についてエイリルは二階へ上がった。イオが抗議するようにエイリルの腕を強く叩き続けているが、無理矢理引き摺るようにして連れて行く。

「鍵はこれでーす。あとで宿帳に記帳お願いしまーす」

「ええ、ありがとう」

 鍵を受け取って部屋に入り、扉を閉めたエイリルはイオを解放しようとした。しかし、ふと違和感を覚えてイオの頭に頬をつけるように抱き締め直す。頭が自由になったイオは身を捩りながら声を上げた。

「放せ! 締め落とす気か!」

「ごめん。待って、イオくん、あったかい」

「は?」

 馬車でくっついていたときと比べても、明らかにイオの体温が高い。身体を離して顔を覗き込むと、イオは戸惑った様子で瞳を揺らした。その双眸は潤み、頬が上気している。

「ちょっといい?」

 イオの額に触れ、尋常じゃない熱が伝わってくるのにエイリルは目を見開いた。道中で何度も息をついたり、ぼんやりしていたりしたのは、大道芸に気を取られていたのではなく、熱のせいだったのかと唇を噛む。

 イオはエイリルの手を払った。

「やめろ」

「イオくん、熱が」

「熱なんてない。いつもこのくらいだ」

「嘘! 駄目だよ、無理したらますます酷くなっちゃう。横になって休んでて。お水と冷やすもの貰ってくる」

 イオをベッドの方へ押し遣り、エイリルは荷物を下ろして部屋を出た。

 自分はどうして己のことばかりで、他人のことを考えられないのだろうと落ち込む。祭に一人で浮かれていないでイオのことをちゃんと見ていれば、様子がおかしいのに気づけたはずだ。

(本当に駄目だな、わたし……)

 反省は後だと、エイリルは急いで階下へ向かった。マイナを捉まえて事情を説明する。今はイオの熱を下げることの方が重要だ。

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