三章 2
2
切れ切れに夢を見た。
傷だらけの幼子が
そのうちに、泣いている子どもが増えた。増えた方は、アールヴレズルの王子リーフらしかった。
二人は泣き方からして違った。リーフは大声を上げて泣きじゃくるのに、もう片方は声を立てずに啜り泣く。己の存在を消してしまいたい者と、自分はここだと周囲に知らせようとしている者の違いだろうなと、ぼんやりと思った。
やがて、泣き続けるリーフの
リーフは両親にあやされるとすぐに泣き止み、楽しげに笑い始めた。イーグルとフィアラルもにこにこと、息子王子と手を繋ぐ。彼らの足下にはいつしか、優しげな色合いの花畑が広がっている。
その光景を、暗い目をした子供が離れた場所からじっと見ていた。彼の周りには何もない。乾いて荒れた地面に立つ、痩せっぽちで傷だらけの子供の眼差しからは、羨望を通り越して妬みや憎悪すら感じられる。
子供の涙は地面に落ち、何も潤すことなく消えた。
(……違う)
イオには親も家族もいない。六年前、イーグルに拾われるまでの記憶は曖昧で、子供一人がどうやって生きていたのか思い出せない。
勘違いをしてはいけないと常々考えていた。イーグルがイオに目を留めたのはイオが魔法使いだったからで、イオだったからではない。魔法使いの子供を世話させるのに魔法使いが必要だったのだ。魔法使いであれば、イオでなくてもよかった。
(違う)
それでもイーグルには感謝してもし切れない。イーグルが手を差し伸べてくれなかったら、きっと生き延びることはできなかった。生活に困らず、教育まで受けさせて貰える今の自分は恵まれすぎている。イーグルに見出されたイオは運が良かった。
だから、寂しくなどないし、辛くもない。ましてや、リーフを羨ましいなどとは思わない。思ってはいけない。微笑ましい親子の姿を眺めて、己も幸福感に浸らなければならない。絶対に手の届かない、遠い遠い場所から眺めるだけで満足しなければならない。わかりきっていること、当たり前のことだ。疑問を差し挟む余地もない。
イオには誰もいないし、何もない。今あるすべては借り物だ。いつか返すときがくる。知識も、力も、居場所も―――命さえも。
(違う……)
ふと、花畑のフィアラルが振り返った。リーフの手を放してイオへ近付いてくる。彼女の歩いた分だけ花が広がって、とうとうイオの爪先まで届いた。
俯いていた子供は顔を上げる。目が合い、微笑んだ顔はフィアラルではなく、
「―――…」
目を開けると、薄暗かった。光源は小さな炎らしく、時折影が揺らめく。
「……イオくん?」
吐息のような声で呼ばれてそちらへ目を遣れば、エイリルが覗き込んでいた。目が合うと彼女は安堵したような笑みを浮かべて、夢か現かわからなくなる。
「お水飲む? スープもあるけど」
尋ねられて喉の渇きを覚え、しかしなかなか声が出ず、イオははくはくと唇を動かした。
「……水、を」
「わかった。ちょっと待ってね」
頷いてエイリルは立ち上がった。すぐに戻ってきて、起き上がろうとするイオに手を貸してくれる。
「急に飲んじゃ駄目だよ。ゆっくりね」
差し出されたコップ一杯の水を、言われたとおりに時間をかけて飲み干し、イオは息をついた。熱が上がっているのか、全身が怠く、頭が重い。エイリルは空になったコップを受け取ってサイドテーブルに置くと、イオに寝るよう促す。
「疲れが出たんだろうって、お医者様が。ゆっくり休めば下がるだろうって」
上体を起こしているのも辛いので素直に横になりながら、何故エイリルがここにいるのだろうと疑問に思った。辺りは静まり、暗さから言っても早い時間ではないだろう。眠らずに起きているのが不思議だ。
「なんで……?」
「え?」
エイリルはきょとんと目を瞬いた。説明するのも億劫で、イオは小さく首を左右に振った。首をかしげたエイリルは気を取り直したように微笑み、布団をイオの口元まで引っ張り上げてやんわりと額から頭を撫でた。
「もう少し眠って。まだ夜明けには時間があるから」
眠いと言うよりは目を開けているのが辛く、イオは瞼を落とした。すると、額に柔らかなものが軽く触れる。
「おやすみなさい」
目を開けると、今度は明るかった。
「……?」
酷かった怠さはすっかり消えており、昨日のことは全部夢だったのだろうかと首を捻りながら起き上がったイオは、落ちてくる髪を掻きやった。そこで枕元に突っ伏しているエイリルに気付いて、文字通り飛び上がる。
(え? なんで? まさか死……いやいや)
恐る恐るエイリルに触れ、ちゃんと体温を感じてイオはほっと息をついた。
「んん……」
呻き声が聞こえ、イオは慌てて手を引っ込めた。今ので目を覚ましてしまったらしく、エイリルはのろのろと起き上がって大きく伸びをする。
「ふあ……う。痛た、痛たた……あ、イオくん起きたんだね。大丈夫?」
言いながら手を伸ばし、驚きで固まったまま動けないイオの額に手を当てた。
「んー……大分下がったけど、まだちょっと熱っぽいかな。今日は一日休んでてね。ぶりかえしちゃうと大変だから」
言葉を切ると、エイリルは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんね。具合悪いのに気付かないで、無理させて。わたし、ほんとに自分のことしか見えないから……」
なんと返していいかわからず黙っていると、エイリルはどこか無理をしているような笑みを浮かべる。
「お腹空いてる? ご飯食べられそう?」
イオがもう一度頷くと、彼女はぱっと立ち上がった。
「よかった。じゃあ台所借りて作ってくるね」
待っていろと言い置いてエイリルは部屋を出て行った。一人残されて、イオは上掛けの上で両手を強く握り合わせる。
(リルが悪いんじゃないのに)
イオ自身、自分が熱を出していることに気付かなかった。怠いのもぼんやりしがちだったのも、ただ疲れているだけだと思っていた。
(謝らせてばっかりだな……)
未だにエイリルとの距離の取り方がわからない。これまで、イオにああまで親しく接してくる人間はいなかった。
そもそも、出会いからして普通ではなかった。イオの魔法を気悪がらず、怪我の心配までした人間は彼女が初めてだ。それだけでなく、利用しようとすらしなかった。
ロヴァルから聞いた話からすると、エイリルは近衛兵見習いになるまで戦闘とは無縁だったはずだ。なのに往路で何かに追いかけられたとき、イオに魔法でなんとかしてくれと言わなかったどころか、一人で囮になって逃がそうとした。
(どうして……おれなんかを)
エイリルが笑いかけてくれる度に期待が募るのを止められない。人間なんて皆同じだという考えと、彼女ならばという思いが
「お待たせ」
両手が塞がっているのに器用に扉を開けてエイリルが戻ってきた。トレイには二人分の食事と本が数冊のっていて、なんだろうとイオは首を捻った。それに気付いたか、エイリルがトレイを下ろしながら言う。
「一緒に食べようと思って。―――あ、こっち? ここの店長さん本が好きみたいで、一階に誰でも借りられる本棚があったの。そこから何冊か借りてきたんだ」
「……読むのか?」
「うん、最近読書が楽しくなってきて。重しにでも使うと思った?」
「いや、そうじゃなくて……出掛けないのか」
エイリルはきょとんと目を瞬く。
「今日はここにいるつもりだけど」
「武闘大会の申し込みは?」
「受付は大会前日まで……だから、明日まで大丈夫だって、店長さんに聞いた」
「シルエラとマリアを探さなくていいのか」
「それも明日にする。下手に動くより、大会の事務局とか会場とかで探す方が会える気がするもの」
何故そこまで頑なに外出を拒むのだろうと眉を顰め、自分がいるからかとイオは目を伏せた。
「……別に、見張ってなくても寝てる」
「見張りだなんて、そんなんじゃ……」
反駁の途中で何かを思いついたかのように、エイリル片手を口元に当てた。そして、作ったような笑みを浮かべる。
「えっと……、うん、やっぱり出掛けようかな……イオくんはゆっくり寝てて。ね?」
彼女の表情を見て、イオは考えなしに言った言葉を後悔した。今のはきっと、エイリルが邪魔だと言っているように聞こえてしまったに違いない。
違う言葉を探しているうちに、エイリルはトレイの上を探って首をかしげた。
「あれ、わたしの分のスプーン忘れちゃった。借りてくるね、冷めないうちに食べてて」
「あ……」
エイリルが出て行き、一人残されたイオは項垂れる。
いくら大会の受付が明日までとはいえ、早く手続きをしてしまった方がいいだろうし、シルエラたちの行方が気にならないはずがない。なのにここに留まろうとしてくれたのはと考えて、ため息をつく。
(駄目だな、おれは……)
イオは両手で顔を覆った。―――こんなこと、誰も教えてくれなかった。
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