三章 3
3
「近衛兵!? お嬢さんも!?」
事務局の視線が一斉に向くのがわかって、エイリルは首を竦めた。慌てて身分証代わりの近衛隊の紋章をしまう。
「しーっ、しーっ! 見習い! 見習いです!」
「いやあ、昨日もお嬢さんみたいな近衛兵さんが二人きてねえ。二人とも美人だったなあ」
「だから、コードさん。王都から連絡があったじゃないですか、今年は近衛兵見習いの女の子が三人と、子供の文官がくるって。昨日もこのやり取りした気がするんですけど」
「そうだっけ?」
「早く受け付けしちゃってください、後がつかえてるんですからね」
女性が行ってしまうと、コードと呼ばれた男性はエイリルに向き直った。
「いやー、すみません。田舎じゃ近衛兵なんて滅多にお目にかかれませんからね、みんな楽しみにしとるんですわ。祭にきてくれるのは数年に一度ですし」
「……なんだか、見習いですみません」
「いえいえ、若い綺麗なお嬢さんがたが三人も出てくれるんですから、これは話題になりますよ。今年の参加者は去年の倍かもしれませんな」
「そんな……」
ラストが、王都の兵士がくるといい宣伝になると言っていたのを思い出し、エイリルは頭を抱えそうになった。あの言葉は誇張でもなんでもなかったらしい。
「はい、ではこれで受付は完了です。対戦表は当日の朝、張り出されますので」
「わかりました」
エイリルは逃げるように事務局を出た。ひそひそと囁き交わされる声と、飛んでくる視線が痛い。
(エラとマリアさんは昨日のうちに受付を済ませたってことよね)
エイリルとイオがレゾリーヴに到着したのが一昨日なので、彼女たちは一日遅れで着いたようだ。できることなら合流したいが、町は大会を明日に控えて一層賑わいを増しており、行き交う人々を眺めてエイリルは半ば途方に暮れた。この中からたった二人を捜し出せる気がしない。
(宿は取れたのかな? 二人とも美人で目立つから、聞き込みすれば見つかるかも)
手掛かりがまったくないので、とりあえず事務局に近い宿屋から尋ねて行こうと、店や酒場が集まっている界隈に足を向けた。
今がかき入れ時とばかりに露店や屋台は更に数を増し、大道芸人もそこここにいる。通りは人でごった返している。それを見ただけでくじけそうになりながら、エイリルは宿屋を一軒一軒訪ね歩いた。
何軒目かわからなくなった頃、
「ああ、泊まってるよ」
「やっぱり……え?」
てっきり否定されるとばかり思っていたエイリルは、まじまじと女将を見た。
「泊まってるんですか!?」
「そう言ってるじゃないか。赤毛と銀髪の美女二人組だろ? 昨日の夕方、たまたま予定が変わって帰ることになったお客がいてさ。あの二人は運が良かったよ。今はもうどこも満室さね」
「今どこにいます? 会えますか?」
「さあ? お客の居場所までは把握してないからねえ」
「そうですよね……」
「リルちゃん?」
落胆しそうになったとき、背後から聞き覚えのある声がして、エイリルは勢いよく振り返った。マリアが外から入ってくる。
「やっぱりそうだわ」
「マリアさん!」
「声が聞こえた気がして。よかった、無事に着いていたんですね」
再会を喜ぶ二人に、ごゆっくり、と声を投げて女将は奥へ戻って行った。マリア一人なのだろうかと、エイリルは尋ねる。
「エラは一緒じゃないんですか?」
「さっきまで一緒でしたけど、人混みではぐれてしまったんです。宿に戻っているかも知れないと思って」
困ったように眉を下げるマリアには焦りが滲んでいて、シルエラならきっと一人でも大丈夫だとエイリルは笑んで見せる。
「この人出じゃはぐれるのも無理ないですよ」
「ええ、宿にいなかったらもう少し捜してみます。―――そちらも、イオくんは?」
「イオくんは……ちょっと熱を出しちゃって」
宿で休んでいることを説明すると、マリアは顔を曇らせた。
「そうですか、疲れが出てしまったのかも知れませんね。長距離の移動は大人でも疲れますから」
マリアは本当に心配そうで、エイリルは少しだけほっとした。シルエラなら、だから子供は置いてくればよかったなどと、無関係なところでイオを悪く言っていただろう。
「それじゃわたし、エラを捜しながら戻りますね」
「気を付けて。リルちゃんのことはシルエラさんに伝えておきます」
「お願いします。じゃあ明日、武闘大会会場で」
「ええ。お互い頑張りましょう」
微笑むマリアに軽く手を振って、エイリルは宿を出た。大会への申し込みは済んだし、シルエラには会えなかったが、マリアに会うことができたので、目下の目的は達成できたので、宿に戻ろうと思う。イオの熱は大分下がったが、一人にしておくのは心配だ。
途中で食欲がなくても食べられそうな果物などを買い求め、エイリルは星の匙亭への帰路を急いだ。店が集まっている一角を抜けると、人混みも
(……あれ)
通りの向かいにそれらしき姿を見付けてエイリルは足を止めた。だが、その少女は誰かと親しげに話している。別人だろうかと目を凝らすと、やはりシルエラのようだ。
話している相手は金髪に長身の若い男で、エイリルの知らない人物である。声をかけていいものか迷っていると、男は軽く片手を上げて行ってしまった。シルエラは踵を返すと少し歩き、脇道へと入っていく。見失っては大変なので、エイリルは慌てて追いかけた。
細い路地に入り、表通りからは死角になる場所を覗き込むと、人が二人立っている。片方はシルエラで、もう一人は、やはりエイリルは初めて見る女性だ。
(うわあ美人)
女性にしては背が高いシルエラよりも更に頭半分高い女性は、エイリルより十は年上に見える。纏うものは質素で、長い亜麻色の髪を編んで脇に流しているだけなのだが、彼女の美貌を損なうことはない。白磁のような肌に伏し目がちの長い睫が仄かな影を落とし、シルエラを見下ろしている双眸は深い海を切り取ってはめ込んだような色をしている。
(誰かに似てるような……最近美人ばっかり見てるからかな)
ラストは言わずもがな、シルエラもマリアも整った顔立ちをしており、一度だけ顔を合わせた王妃も美しかった。さすが都会は違うと、エイリルは感心する。
やがて、エイリルに気付いたらしい女性が咲き初めの紅薔薇のような唇を動かした。シルエラがぱっと振り返る。
「リル? なんでこんなとこに」
詰問口調に聞こえて、エイリルは目を見開いた。
「たまたま、エラがここに入って行くの見えたから。さっきマリアさんと会ったよ。エラとはぐれちゃったって、捜してた」
「そうなのよ、人が凄くて。捜してたなら悪いことしたわ」
素っ気ないシルエラになんとなく違和感を覚えてエイリルは首をかしげた。一緒にいる女性について尋ねる。
「あの、その人は?」
「え? ……ああ、劇場のみんなとばらばらになってから、お世話になった人。このお祭りの大会に出るって知らせたら、見にきてくれたの」
「そうなんだ。よかったね」
エイリルが見上げると、女性と目が合った。柔らかく笑んで会釈するのに見惚れそうになりながら、エイリルも会釈を返す。笑んだ女性の面差しが、やはり誰かに似ている気がしたが、その誰かを思い出す前にシルエラが言う。
「リルは一人? あの子供は? 撒いたの?」
「そんなわけないでしょ!」
「ふうん。撒いちゃえばよかったのに」
思わず声を上げたエイリルを、シルエラは鼻で笑った。イオが彼女に何かをしたというわけでもないのに、どうしてそこまで嫌うのかと哀しくなる。
「もう……なんでエラはそんなにイオくんに酷いの?」
「別に酷くなんかないわよ。前にも言ったでしょ? あたしは、何の道具も使わずに空を飛べる魔物が、同じ人間だと思えないだけ」
「同じだよ。イオくんはわたしたちと何も変わらない」
シルエラは呆れたように肩を竦める。
「あんた前からそうだったわね。見世物小屋の気持ち悪い化け物にまで可哀想って」
「だって、実際」
「綺麗事を言うだけなら簡単よね。リルがそう思うのは勝手だけど、あたしにまで押しつけないで」
吐き捨てるように言って、シルエラは隠しもせずにため息をついた。もうこの話はやめようと、エイリルは別のことを尋ねる。
「エラがさっき話してた人は誰?」
「は? さっき?」
「この道に入る前、男の人と話してたよね」
シルエラは思わずというふうに瞠目してから、それが失敗だったというように顔を顰めた。
「やだ、見てたの? 知らない人よ。明日一緒に武闘大会を見ないか、ですって。出場するって言ったらいなくなったわ」
「ああ……エラ、前もよく声かけられてたよね」
相手の男を少々気の毒に思いつつ、エイリルは言う。武闘大会見物に誘ったら出場者だったなど、滑稽過ぎる。
「そんなことより、リルも出場の申し込みはしたんでしょうね」
「え? うん、もう済ませた」
「当たっても手加減しないわよ」
「わたしだって」
「あら、リルが組み手であたしに勝てたことあったかしら?」
「……ないけど」
劇場での空き時間、護身術の練習がてら二人で手合わせめいたことをすることもあった。連戦連敗の記憶を振り払うためにエイリルはかぶりを振る。
「こういう大会で仕合ったことないじゃない? 違う結果になるかもよ」
「ま、頑張って頂戴。それじゃあ明日、会場でね。―――お待たせしてすみません。行きましょう」
うって変わって丁寧な口調で言い、女性と共にシルエラは路地の更に奥へと姿を消した。エイリルは肩を落としながら表通りへ戻る。
(エラ……なんでイオくんにばっかり酷いのかな)
エイリルはシルエラが変わってしまったように感じられるが、実際はエイリルが気付いていなかっただけなのかも知れない。自分の鈍感さが嫌になる。
(好きになれないのは仕方がないかもしれないけど……、だからって相手を人間じゃないみたいに言うのは、やっぱり間違ってる)
それは相手の存在を否定することだ。相手は自分とは違うものだと定義できれば罪悪感は薄まり、そのうちに何をしてもいいような気すらするようになるのではないだろうか。それはとても怖いことだ。心のない生き物はいない。魔物ですら、仲間を悼むというのに。
(今度、エラとちゃんと話そう)
思えば、これまでシルエラとそういう話になったことはなかった。話合って互いに共感はできなくても、得るものはあるだろう。
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