二章 4-2
「お一人でお出ましになるとは感心しませんね、陛下」
わざと
「休憩時間をどう使おうと構わないだろう」
「構わないが、供と護衛を連れて歩けって何度も言ってるだろ。国王一人に
「それはやめてあげてくれ」
「なら撒くなよ。一人になりたいなら、温室の外にでも待たせておけばいいだろうに」
「うん……、軽率だった。すまない」
屁理屈が返ってくるかと思いきや、素直に謝られて、ロヴァルは目を瞬く。
「……素直なおまえって、不気味だな」
感想を率直に告げると、イーグルは苦笑して首を竦めた。
「はいはい、明日は雨だよ。それで、ルゥはなんの用だい?」
「おま……ここでそれ訊くか? 国王陛下をお捜し申し上げておりました」
「……そうか。そうだね」
頷くイーグルは心ここにあらずといった風情で、また「
「イオは上手くやってるかね」
「……え?」
ぱっと顔を上げたイーグルは驚いた表情をしていて、選ぶ話題を間違えたと後悔する。
「エイリルと一緒に行ったから、そろそろレゾリーヴに着く頃かと思って」
「驚いた。考えを読まれたのかと思ったよ」
「ってことは、考え事はイオのことか。派遣文官にイオをって言ったの、イーグルだって訊いたぞ」
同意してから、イーグルは目を伏せた。
「うん。彼には申し訳ないことをしたから」
「申し訳ないか? 少しの間でも子守から解放されて、羽を伸ばせるんじゃないのか」
「そうだね、行かせたのは休暇みたいなものだ。そうではなくて……少し前、イオが露台から落ちたことがあっただろう」
「ああ。でも、それは別に誰のせいでもないだろ」
「……私が見たのは、リーフが落ちる場面だったんだ」
ロヴァルは思わず瞠目した。イーグルは足下のプリムラに視線を落としているが、その双眸はここではないどこかを見ている。
「私は、それをイオに話してしまった。数日の間はリーフを高い場所へ行かせないでくれとね」
「息子の危機を防ぎたいと思うのは当然だろう。悪いことじゃない」
「悪いことだよ、この国の王としてはね」
「……国王だって、人間だ」
「ううん……?」
イーグルは曖昧な返事をして口を噤んでしまった。
(人間だけど……、大樹の守人か)
アールヴレズル国王の歴史は神代にまで遡り、その起源は創世神話に語られている。
最初に巨大な木があった。それは大地であり、海であり、空であり、また命であった。
命は命を生み、やがて様々な種に分かれて
人は世界である木の根元に集い、暮らし始めた。その中に、大樹の声を聞く者があった。名をゲンドゥル、これがアールヴレズル王家の始祖である。
―――以上が広く伝わる創世神話であるが、これには続きがある。
ゲンドゥル家は巨木よりその守護を任ぜられ、故に始祖の血を引いているアールヴレズル国王は大樹を守らねばならない。
初代守人、ゲンドゥル家の最初の一人は優れた魔法使いであり、遙か未来までも見通した。魔法と幻視は血で受け継がれ、代々一族で最も強く力を発言させたものが守人、すなわちアールヴレズルの王となる。
神話に
しかし、魔法が廃れた今となっては、それを知るのは城でも一握りの人間だけだ。人々の間では、幻視は最早失われて久しく、魔法は異能だ。魔法使いは魔物と同列に扱われることもある。故に、いつからか秘されるようになった。
束の間無言でいたイーグルは、小さく息を吸い込んで再び話し始めた。
「私が話してしまったせいでイオはリーフの身代わりになった」
「そんな、身代わりだなんて」
「事象は変えられても、消滅することはないんだ。変わってもどこかで辻褄が合ってしまう。流れは元に戻ろうとする。
以前、幻視はしばしば
見ただけで「ずれ」るなら、他人に漏らせば「ずれ」はもっと大きくなる。
「……だから、イオが落ちた? 殿下の代わりに」
小さく頷き、イーグルは片手を開いて視線をそちらに移した。
「この『力』は、大樹を守るためのものだと教わった。私事に使ってはならない、私利私欲に使えば国どころか世界をも
「無茶言うなよ。実現して欲しくない未来を見て、変えたいと思わない人間なんていない」
「……そうだね」
イーグルはロヴァルを見上げて淡く笑んだ。この期に及んで、とロヴァルは幼馴染みを張り倒したくなる。
「リーフ殿下はどうなんだ? 魔法を使えるとは聞いたけど、幻視は?」
「今のところリーフは魔法だけで、幻視はまだ発現させていない。私も最初の幻視は五つか六つくらいの時だったから、そろそろかとは思うが……あの子には……」
言いさしてやめ、イーグルはしばしの沈黙の後に顔を上げると人差し指を唇にあてた。
「内緒だよ」
冗談めかして言う国王の顔にはもはや憂いはなく、ああ、飲み込んでしまったのだと、ロヴァルは気付かれないように拳を握り締めた。魔法が使えず、幻視も見えない
(……イーグルが沈む前に引っ張り上げるのが俺の役目か)
国王であるがために、思い悩み、迷い惑う姿を他人には見せられず、たった一人緑に囲まれて立ち尽くすというのは、なんと消極的な真情の吐露だろう。
「内緒か。何を
「ええ? 個人的なことに国費を使うのはちょっと……」
「いや、そこから出すなよ。どんだけ豪華なの作らせるつもりだよ」
思わず間髪入れずに言えば、イーグルはくすくすと笑った。
「そういやさ、なんでイオを行かせたんだ? 休暇ってだけじゃないんだろ」
いくら人手が足りなくとも、
「イオに、あの子を一番に思ってくれる人がいるのだと知って欲しかったからかな」
「一番?」
「私たちは、どうしてもイオを一番には考えられない。ルゥやラストは、有事には私やリーフを最優先にする。私もフィーアも、イオのことは息子のように思っているけれど、選択を迫られればリーフを選んでしまうと思う」
ロヴァルはイーグルの言葉を否定できない。国王であるイーグル、世継ぎであるリーフ、王妃フィアラルの身は何よりも守られなければならない。
「イオには、たくさん我慢をさせてしまっている。まだ十二なのに、五つの子供の世話を押しつけられて……しかも、相手は王子で私は国王だ。理不尽なことがあっても文句すら言えない」
「でも、それは……」
「文句どころか、本当に望みを言わないんだよ、あの子は。あれが欲しい、これがしたい……あのくらいの年頃の子なら言って当然の我が儘も、一度も聞いたことがない。私は、あの子の好きな食べ物さえも知らないんだ」
イーグルは自嘲めいた笑みを浮かべた。
「だから、イオを一番に考えてくれる人を……そうでなくても、少しくらいは我が儘を言える相手を見付けて欲しいなと思って」
「それが、エイリルだと?」
「彼女はイオの魔法を怖がらなかったんだろう? そういう人は、私たちにはとても貴重だ。イオにとってのエイリルが、私にとってのルゥやフィーアのようになってくれるようにと、勝手に期待をしているんだよ」
「もしエイリルが近衛兵にならなくても、理由をつけて城に引き留めそうな口ぶりだな」
ロヴァルは軽口のつもりだったのだが、イーグルは否定せずに続けた。
「イオには碇が必要だ。あの子が本心から、リーフよりも私よりも優先したいと思うような誰かがね」
「碇か」
「愛された記憶があれば、最後の最後で絶望しなくてすむものだよ」
「そ……」
ロヴァルが何かを言う前に、あるいは何も言わせないために、イーグルはくるりと踵を返した。
「さて、みんなに怒られに戻ろうかな」
沸き上がった言葉を封じられ、ロヴァルは胸中でため息をついた。仕方がないので、調子を合わせてやることにする。
「おまえな……わかってんならやめろっての。あと、行き先は言ってから出ろ。で、休憩時間内にちゃんと戻れ」
「なんだい、ルゥは私のお母さんかい?」
「誰がお母さんか。いいからほら、行くぞ」
相手が国王でなかったら首根っこをひっ掴んで連れて行くのにと、ロヴァルはイーグルを急かした。
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