三章 1-1

 1


 春の嵐に遭ったのと獣に追われたこと以外は何もなく、エイリルとイオは無事にレゾリーヴの町に到着した。

「うわあ……お祭りだね!」

 町の賑わいを目にして思わずエイリルは歓声を上げた。武闘大会は三日後だというのに、既に大通りには露店が並び、観光客と思しき人々で埋め尽くされている。呼び込みや値切りの声が飛び交い、道を横切るのも容易ではない。

「あんた、こういうの好きなのか?」

「うん、賑やかな催し物が好き。イオくんは?」

「……わからない」

「わからない?」

「おれは、行くとしても陛下やリーフ様と一緒だから。そもそも祭に行くことが少ないし」

「そっか、じゃあ自由に見て回ったことはあんまりないんだね」

 国王や王子と一緒では、護衛に囲まれて決められた場所を決められた順に見て回るのが精々だっただろう。物見遊山と言うよりは視察のような道行きだったかもしれない。

「後で一緒に回ろっか」

 妙なことを言ったつもりはないのだが、イオは何故か、珍獣を見るような顔でエイリルを見る。それから、かぶりを振った。

「い、いいよ。興味ない」

「そう言わないで。お祭り、楽しいよ? でもその前に、宿とらないとね」

 言いながらエイリルが差し出した手と顔とを見比べて、イオは眉を顰めた。

「……何?」

「人混みではぐれるといけないから。手繋いで行こ」

「あのな……もしかしなくともあんた、俺のこと五歳くらいのガキだと思ってるだろ」

「そんなこと思ってないよ。イオくんは……えっと、十二歳だっけ?」

 イオの年を知らないので適当なことを言えば、それが伝わったかイオはますます渋面になった。

「……もうすぐ十三になる」

「そうなの? じゃあお祝いしないとね」

「は?」

 イオは何故か虚を突かれたような顔になり、それが失態だったとでも言うように、すぐにしかつめらしい表情を浮かべる。

「そんなことはどうでもいい。大体、はぐれるとしたら、おれじゃなくてあんただろ」

「あは、そだね。それを防ぐためにも、ね?」

 エイリルは小首をかしげ、しかし有無を言わさずイオの手を掴んだ。

「ちょっ……おれの話聞いてたか?」

「宿空いてるといいねえ」

 非難の声は聞こえないふりをして、エイリルは大通りへ向かった。

 道の両側には商店が軒を連ね、普段でも賑わいを見せるのだろうが、今は少しでも隙間があればそこに詰め込むように露店や売り子が並んでいる。色とりどりの布を広げる店、籠一杯の花を売り歩く少女、軽食の屋台、何故か家具を売っている露店まである。人混みゆえに掏摸には注意が必要だが、久しぶりの華やいだ雰囲気に、立場も忘れてわくわくしてくる。

「この人出じゃ看板も見えないね。宿屋の看板見付けたら教えて」

「栗色の髪のお嬢さん、宿屋を探してるのかい」

 応えたのは若い男の声だった。思わず足を止めて振り返れば、マリアと同じ年頃に見える青年がにこにこと笑っている。地面に布を広げて商品を並べ、床几に腰掛けた彼は、鍋から星を掬う匙の描かれた前掛けをしている。

「この時期に宿とるのは大変だよ。もうどこも埋まっちゃってるんじゃないかな」

「そうかもしれませんけど、野宿するわけにもいきませんから探します。それじゃ」

 客引きと判断したエイリルは、立ち止まってしまったことを後悔した。立ち去ろうとすると、慌てた声が追いかけてくる。

「待って待って。実は俺、まだ空きのある宿の心当たりがあるんだ」

「……本当に?」

 ただで教えてくれるわけがないことはわかっていたが、一応聞いてみようとエイリルは青年に向き直った。彼は上手くいったとばかりに笑みを深くする。

「どこにあるんですか、その宿って」

「まあそう焦らないで」

 青年は並べられた小物の中から掌くらいの大きさのブローチを取り上げた。

「これ、綺麗な細工だろ? 最近流行ってるんだ。お嬢さんに似合うと思うなあ」

 やはり無料ただではないらしい。エイリルは青年に掌を見せた。

「流行りには興味ないんでいいです。それじゃ」

「ああもう、待ってってば。じゃあこっちは? 襟飾り。どんな服にも合うよ」

「宿の場所教えてくれます?」

「お嬢さん意外と短気だね。そんな君には青玉の指輪。気持ちが落ち着く効果があるんだ」

 さすが商人、なかなか手強いと思いつつ、エイリルはしゃがんで改めて商品を眺めた。装身具の他は凝った刺繍の手巾、彫刻を施された小物入れなどが主で、女性向けの雑貨を扱っているらしい。

 その中から、人差し指の爪ほどの大きさの緑色の石を、銀の蔦で包んだような意匠のチャームに目を引かれ、エイリルは二つ並んだそれを指差した。

「これはなんですか?」

「おお、お目が高い。これはこのあたりに伝わるお守りだ。厄除けに効果があるって評判なんだよ」

 青年はチャームを取り上げると、謂われを語り始めた。

「昔々、よく植物の世話をしていた乙女がいた。ある日、湖に水を汲みに行った乙女は、足を滑らせて落ちてしまった。すると水辺に生えていた蔦が一瞬で伸びて彼女を救ったって言い伝えがあってね」

「お守りですか……」

「お嬢さん可愛いから、このくらいにおまけしてあげる」

 調子のいいことを言いながら指を二本立てる青年へ、エイリルは作り笑いを向けた。

「銅貨二枚ですか、安ーい」

「いやいやいやいや、何言ってんの!? 銀貨だよ!」

 さすがに流されてはくれないかと、エイリルは聞き流して同じ意匠のもう一つを指差した。

「それって、これと対ですよね。だったら二つでその値段ですよね」

「え……ええー、意外と目敏めざと……いやいや、それは大赤字だなあ。二つなら倍貰わないと」

「あ、じゃあいいです。行こ、イオ」

「わかった、わかりました! お嬢さん買い物上手だね、負けたよ」

「どういたしまして。あ、その革紐も貰えます? 二本」

「はいはい」

 エイリルが代金を払ってチャームを受け取ると、青年は大通りの奥を指差した。

「このまま進むと中央広場があるんだ。そこから真北の道に進んで、赤い薬瓶の看板の角を右。その先にある星の匙亭って料理屋で、クロルの紹介だって言えば泊めてくれるよ」

「星の匙亭ですね、わかりました」

「まいどあり~」

 笑顔で手を振る青年に見送られ、エイリルはイオと大通りを広場へ向かって歩く。ため息のような音が聞こえ、呆れられただろうかと振り返ると、イオがどこかぼんやりした表情で俯いていた。視線に気付いたか、顔を上げて目を瞬く。

「無駄な買い物しなくても、適当に聞けば宿の場所くらいわかったんじゃないのか?」

「宿の場所はわかったでしょうけど、部屋が空いてるとは限らないもの。情報料込みであのくらいの値段ならいいかなと思って」

「嘘だったらどうするんだ」

「嘘は言わないと思うよ。同じようなお店いっぱいあるから、わたしがあの人に騙されて売りつけられたって言いふらしたら商売にならないでしょ」

「……なるほど」

 よく見るとチャームに使われている石は見る角度によって緑から青に色味が変わり、蔦を模した銀細工も精緻で美しい。王都の店なら十倍はしそうだ。思ったよりいい買い物をしたかも知れない。

「それにしても、随分値切ったな」

「あの値段で売ってくれたってことは、それで利益が出るってことだよ。平気平気」

「利益出るか? 多分その石、本物の呼鳴石こめいせきだぞ」

「コメ、イセキ?」

「米遺跡ってなんだ。じゃなくて呼鳴石。お互いを呼び合う石だ」

「ふうん……初めて聞いた。商人は損することはしないって、座長が言ってた。よっ……と。はい」

 買ったチャームを革紐に通して結び、エイリルはイオの首にかけた。予想していなかったのか、イオは目を白黒させる。

「え、な、何?」

「あげる。首飾りには一つで十分だもの」

「なら、耳飾りにでもすればいいだろ」

「耳飾りはあんまり好きじゃないの。穴開けてないし、金具でとめるのは痛くなっちゃって」

「……貰う理由がない」

 堅いことを言うイオに、エイリルは小さく笑った。

「贈り物に理由なんて必要? ……そうだ、誕生日のお祝い。もうすぐなんでしょ?」

「え……あ、いや、それは」

「買い叩いた安物で悪いんだけど、貰ってくれると嬉しいな。要らなかったら売って。お小遣いくらいにはなるかも」

「小遣いって……」

 イオは困り顔で胸元に下がったチャームを摘み上げた。そして目を逸らし、ぼそぼそと言う。

「あ……ありがと」

「どういたしまして!」

 嬉しくなって笑いかけると、イオは驚いた表情になってからぷいと顔を背けた。その耳が赤く染まっていて、照れているらしいとエイリルは笑みを深くした。

(弟がいたらこんな感じなのかな)

 エイリルも同じように革紐を通して首にかけた。そうしてからお揃いだと言うことに気付いたが、嫌がられそうなので口には出さないでおく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る