一章 5-2

「午後から隊長と会うんじゃなかったのか? 新しい子がどうとか」

「そうなんですけど……」

 エイリルが簡単に事情を説明すると、ロヴァルは驚いた表情でエイリルとイオを交互に見た。

「じゃあエイリルは、イオが……その、浮くところを見たのに、残ってくれたのか」

 改めて訊かれる理由がわからず、エイリルは首をかしげる。

「ええ、怪我してるかもしれないのに放っておけませんから」

「……そっか」

 短く言い、ロヴァルはどことなく嬉しそうに頷いた。そして、片手を頭に遣る。

「さっき擦れ違った子が、シルエラ? 多分その子だな。道訊かれたけど、急いでたから放ってきちゃった」

 それではシルエラはますます機嫌を悪くしていそうだと、エイリルは胸中で首を竦めた。シルエラを怒らせると長引くので、喧嘩を覚悟で宥めに行った方がいいかもしれない。イオはロヴァルに任せれば安心だ。

 ロヴァルを見上げてイオが尋ねる。

「副長、リーフ様は?」

「うん? ああ、イオが落ちたって酷く取り乱してらしたけど、王妃様が宥めてくださっているから大丈夫だ。それと、イーグルから伝言がある。すまなかった、私のせいだからリーフを怒らないでやってくれ、だそうだ。返事があるなら伝えるけど?」

「落ちたのはおれの不注意です。リーフ様のせいでも、ましてや陛下のせいでもありません、と」

「わかった。―――それじゃ、エイリルも早く戻れよ。あんまり雨に打たれてると風邪ひくぞ」

 極めて軽い調子で言って踵を返そうとするロヴァルに驚き、エイリルは慌てて立ち上がって声を上げた。

「あ、あの、副長! イオくんをお医者に……」

「イオなら怪我しても自分で治せる。魔法使いだから」

「……魔法、使い」

 最近では昔話や架空の物語の中でしか聞かない言葉を耳にして、思わず繰り返す。

 遠い過去、魔法は確かに存在した。しかし、人の間では徐々に廃れて、今となっては最早使える人間はいないというのが常識だ。エイリルとて、たった今まではそうだと信じて疑っていなかった。けれど、イオはたしかに浮いた。

(魔法使い……まだいるんだ)

 少し前に交わした、ラストとの会話が蘇る。大樹と話したアールヴレズルの真祖。大樹の国は、昔、魔法の国だった。

 イオに視線を戻せば、彼は恨めしげにロヴァルを見上げていた。

「……なんで言うんですか」

「エイリルなら平気だろ。あ、でも、一応内緒にな」

 冗談めかして唇に人差し指を当てるロヴァルへ、エイリルはこくこくと頷いた。言いふらすつもりはないが、言っても誰も信じてくれそうにないと思う。

「―――…」

 微かな呟きが聞こえてイオを見下ろせば、彼は己の左の足首に手をあてていた。その掌がふわりと光り、すぐに消える。確かめるように足先を動かして、イオは何事もなかったかのように立ち上がった。さっきまで動くこともできない様子だったのにと、エイリルは目を丸くする。

「立っても大丈夫? 痛くないの?」

「ああ」

 頷き、何故か挑みかかるような表情をしているイオに、エイリルは笑みを向けた。

「それならいいけど、無理はしないでね。後から痛む怪我もあるから」

「……う、うん」

 一瞬ぽかんとしてから小刻みに頷くイオを見て、唐突にロヴァルが笑い出した。豪快にイオの頭を撫でる。

「ははは、よかったな、イオ」

「ちょっ、やめてください」

 迷惑そうに顔を顰めたイオに乱暴に手を振り払われても、ロヴァルは笑顔で片手を挙げて戻って行った。イオが遠慮がちに口を開く。

「あの……シルエラって女、早く捜した方がいいと思う。城の人間じゃないのに奥をうろついてると、捕まるかもしれない」

「そうだよね、大変! ありがと、それじゃまたね!」

 言い置いてエイリルは駆け出した。またシルエラと言い合いになってしまうだろうが、不審人物として捕まるよりはましだろう。



     *     *     *



「わたしからも紹介したい人がいるの」

 挨拶を済ませたところでラストに言われ、エイリルはシルエラと顔を見合わせた。

 イオとの一件の後、なんとかシルエラを探し出し、宥めすかして和解した―――というか、とりあえずエイリルが頭を下げることで事なきを得た。一度へそを曲げてしまったシルエラは、どっちに非があろうとも絶対に折れない。少なくとも、エイリルにはずっとそうだ。

「入って」

 ラストが声を投げると、執務室の次の間の扉が開いて女性が一人、姿を現した。

 シルエラよりも幾つか年上、二十歳そこそこに見える聡明そうな赤毛の女性は、ラストの執務机の脇に立った。

「彼女はマリア。身元調査に問題がなかったら、見習いに入って貰うわ。―――マリア、栗色の髪で制服を着ている方がさっき話した見習いのエイリル。隣の銀髪で背の高い方が、エイリルの紹介で見習い希望のシルエラさん」

「初めまして、マリアです」

 生真面目にお辞儀をするマリアへ、エイリルも返す。

「エイリルと言います。よろしくお願いします」

「見習いって、リルだけじゃなかったんですか」

 マリアを一瞥いちべつしただけでラストに問うシルエラに、エイリルはぎょっと目を剥いた。しかしラストは咎めもせず応える。

「今いる見習いはエイリルだけよ。マリアは、シルエラさんと同じようにこれから調査させて貰うの。それで問題なければ近衛兵見習いね。身元調査の話は聞いている?」

「リルから聞いています。諜報部に身元を調べられるそうですね」

「そうよ。だから、結果が出るまで待ってちょうだい。なるべく急ぐよう頼むけれど、七日くらいは見て」

「わかりました。七日後にまたここへくればいいですか」

「いいえ、使いを遣るわ。そのことも含めて、書いて欲しい書類があるの。マリアと一緒に、あとは事務方に聞いて。―――トール」

 ラストが呼ぶと、再び次の間から、今度はトーリスが出てくる。眼鏡をかけた優しげな風貌の青年は、見た目に違わず穏やかな人で、エイリルが顔を合わせるのは、まだ三度目だ。

「お呼びですか、隊長」

「マリアはさっき会ったわね。こちらはシルエラさん。二人とも近衛兵見習い候補の調査に回して」

「承知しました。では、お二人ともこちらへ」

 シルエラとマリアを促し、エイリルには笑顔と会釈を残してトールは部屋を出て行った。エイリルは慌ててお辞儀をしながら彼らを見送る。

「シルエラさんは、なかなか癖のありそうな子ね」

 扉が閉まってから笑い混じりの声音で言われて、エイリルは頭を下げた。

「悪い子ではないんですけど……好き嫌いがはっきりしているというか、思ったことを全部言うというか。すみません、勝手に安請け合いしてしまって」

 ラストは笑んでかぶりを振る。

「いいのよ、むしろありがたいわ」

「……ありがたい、ですか?」

 不思議に思って問い返せば、ラストは小さく首をかしげて言う。

「近衛隊の欠員補充を公募にすると、物凄い数が集まってしまうの。昔、いちいち国中に募集を出していた頃は、一人の枠に何千人と集まったらしいわ。諜報部も暇ではないから、そんな数の身元調査をしてはいられないでしょう? 自然と今の、現役近衛兵が補充員を探すという形に落ち着いたのよ。そうそう大量の欠員は出ないから、それで十分なの」

「なるほど。ちなみに、大量の欠員が出た場合は?」

「そうね……、昔みたいに国中から募集して、手っ取り早く勝ち抜き戦でもやろうかしらね」

 勿論冗談なのだろう、言いながらラストはくすくすと笑みを零した。つられてエイリルも笑う。

「引き留めてしまってごめんなさい。午後も頑張ってね」

「とんでもないことです。ありがとうございます」

 シルエラもマリアも、自分よりもずっとずっと優秀に見える。だが、これから身元を調べられる二人に対して、先に見習いになることができたのだから、今できることを精一杯やろうと、エイリルは一人で頷いた。

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