二章 1-1
1
ラストにシルエラを引き合わせてから十日後。
シルエラとマリアは身元調査で問題なしとされ、近衛兵見習いとして訓練に参加することになった。
初日にエイリルがしたように、国王一家や官吏に挨拶回りをした後、キルツに連れられて訓練場に出てきた。
キルツはゆらりと重心を揺らして構える。
「どちらからでもいい。こい」
マリアとシルエラは顔を見合わせ、エイリルは邪魔にならないよう脇に退いた。
「じゃ、じゃあ……わたしから」
躊躇いながらもマリアが前に出て身構えた。キルツは微動だにせず、マリアは困ったように左右に首を巡らせてから思い切ったように打ちかかった。
「ええい!」
キルツはマリアの拳を片手で払うだけで
「え? きゃあ!」
それだけでマリアは体勢を崩し、地面に両手をついてしまう。座り込んだマリアを一瞥して、キルツは三歩横にずれた。
「次」
促されたシルエラが挑戦的な笑みを浮かべて前に出る。
「手加減は要りませんからね」
「それは俺が判断することだ」
キルツは取り合わず、先程と同じように構えた。笑みを消したシルエラは一呼吸の後、ばねのように飛び出す。
(速い!)
一息にキルツの懐に飛び込んだシルエラは、顎を狙って掌底を繰り出す。キルツは仰け反って避け、伸びきったシルエラの腕を掴むと身体を反転させた。シルエラの両足が宙に浮き、投げられる、とエイリルは思わず首を竦めるが、シルエラは空中で姿勢を立て直して四点着地をする。そして、ぺろりと唇を嘗めると低い姿勢のまま地面を蹴った。キルツに組み付こうとするが、キルツはひょいと横に避けて、シルエラの背を軽く突いた。
「っ!」
さすがに勢いを殺しきれず、シルエラが倒れ込む。しかしすぐに跳ね起きてキルツを睨んだ。
「まだよ!」
「もういい。これ以上は無意味だ」
シルエラは不服そうだったが、棒立ちのキルツに殴りかかる気にはなれなかったのか、やがて構えを解いた。
「少し待っていろ」
言い置いてキルツは訓練中の兵士たちのほうへ歩いて行く。シルエラは納得がいかないようで、唇を尖らせて服の土埃を払っている。
「エラ、凄い! わたし、あっという間にひっくり返されちゃったよ。どこかで武術習ったの?」
「まあね。あたしは一年ぼーっとしてたわけじゃないもの。誰かさんと違って」
「そう……」
そんな言い方しなくても思ったが、言い返しても更にいろいろ言われそうで、エイリルは口を噤んだ。取りなすようにマリアが言う。
「本当に凄いですね。わたし、武芸はからっきしなので羨ましいです」
「武芸はからっきしなのに、なんで近衛兵になろうと思ったの?」
眉を
「待たせた」
三人は口を閉じて横に並んだ。キルツはまずマリアへ視線を向ける。
「この後だが、マリアは武芸云々の前に体力をつけろ。体幹が弱いからすぐ転ぶ。訓練着に着替えて大樹まで走って往復してこい」
「……大樹までですか」
顔を引き攣らせたマリアが半ば呆然と呟き、エイリルは彼女が気の毒になった。城から大樹まではかなりの距離がある。今からでは、戻ってくるのが夕方になってしまうだろう。
「肯定だ。行け」
「……はい」
マリアは項垂れて兵舎へ歩いて行く。
「シルエラは向こうの兵士たちの訓練に混ぜて貰え。話を付けてきた」
「はあ!?」
納得いかないとばかりにシルエラが声を上げ、エイリルははらはらと二人を交互に見た。たとえ物凄く理不尽な課題を出されたとしても、エイリルはキルツに突っかかっていくようなことはできない。
「あたしは近衛兵の見習いでしょ? なんで一般兵となんか」
「多少心得があるのはわかったが、おまえに今一番必要なのは協調性だ。つべこべ言わずに行け」
シルエラは不機嫌を隠そうともせずに鼻を鳴らし、肩を怒らせて兵士たちの方へ向かっていった。それを見送り、エイリルは少々の期待を込めてキルツに尋ねた。午後の半分は大抵座学なのだが、今日はシルエラとマリアの初日なので予定が変わるかも知れない。
「えっと、わたしは……」
「エイリルは予定通り戻って座学だ」
当然のように言われて、エイリルは肩を落とした。
「ですよね……」
「肯定だ」
歩き出すキルツにとぼとぼとついていくと、彼はちらりと肩越しに振り返った。
「あまり苦手意識を持つな。本人の思い込みは行動に影響する」
「そうですけど……勉強とか読書とか、本当に苦手で」
「これまで本を読む習慣がなかっただけだろう。軽めの読み物から始めるといい」
エイリルは、読み書きはできても、キルツの言うとおり、これまで身近に本があるような生活ではなかったので、まともに本を読んだことがない気がする。
「君は根が真面目だから、一度読み始めたら最後まで読みとおさないといけないと思っているのかも知れないが、つまらなかったら途中でやめてもいい。好きなのを読むのが一番だ」
思いがけないことを言われてエイリルは目を瞬いた。
「わたし、そんなに真面目じゃないですよ」
「そう謙遜するものでもない。訓練態度を見ていればわかる。城門の警備隊からも話は聞いている」
「え」
驚いてから、それもそうかと思い直す。警備兵に尋ねれば、毎日怠けずに走っているかわかる。ちゃんと挨拶しておいてよかったと、エイリルはこっそり胸を撫で下ろした。同時に、ちゃんと見ていてくれるのだと嬉しくなる。
(よし、頑張ろう)
ここで学んだことは、近衛兵になれなくてもきっと役に立つ。まずは今日の座学からだと、エイリルは気合いを入れ直した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます