一章 5-1

 5


 二人は、広すぎる城内を彷徨っていた。

「ねえエラ、絶対こっちじゃないよ。明らかに雰囲気が違ってきてるし、誰もいないし」

 シルエラはぴたりと足を止め、不機嫌そうな顔で振り返った。

「じゃあどっちなのよ、リルが案内してくれるんじゃなかったの?」

「そりゃ、案内するとは言ったけど、お城の中を見て回るんじゃなくて、ラ……隊長のいるところまで……」

「やっぱりさっきの角、曲がった方がよかったんじゃない」

「エラがまっすぐって」

「あーあ、誰かさんのせいで遅刻だわ」

「そんな言い方……お城が見たいって言ったの、エラでしょ」

「だから、リルが案内してくれるって言うから。あたしのせいって言いたいの? リルが頼りないのが悪いんでしょ」

「お城、広いんだもの。―――ねえ、一回戻ってみない?」

 聞こえていただろうに、エイリルの提案は無視された。シルエラは、絶対にこっちだと言って譲らず、結果人気のないところにどんどんと迷い込んでいる。屋根は随分前に途切れていた。加えて、先程から雨が降り出している。正直なところ、建物の中に戻りたい。

 昨日の隠れ鬼は最終的にただの鬼ごっこと化し、どうにか障害物を駆使して逃げ切ったエイリルは、翌日、つまり今日の昼にラストと約束を取り付けた。

 昼休憩に城門前でシルエラと合流し、執務室にいるというラストの元へ向かおうとした。しかし、シルエラはせっかくだから城内を見て回りたいと言い出し、それを説得しきれなかった。

(んもう、昔から言い出したら聞かないんだから)

 約束の時間まで余裕があったので、少しくらいいいかと思ったのが、そもそも間違いだったとエイリルは肩を落とす。こうなったら怒られるのを覚悟で誰かを捉まえて場所を訊くしかないと周囲を見回したとき、

「…―――ですからお戻りください!」

 子供の声が降ってきた。その切迫した調子に、何事だろうとエイリルは頭上を仰ぎ、シルエラも眉を顰めてきょろきょろと首を巡らせる。

「ねえ、今……」

「うん、聞こえた」

 顔を見合わせると、再び子供の声がする。

「リーフ様!」

「やだ!」

 リーフとは王子の愛称ではなかったかとエイリルが再び見上げた瞬間、

「イオ――――――!!」

 悲鳴と同時に小さな人影が宙に投げ出された。

「リル! 避けて!」

 落ちてくる、とエイリルは半ば呆然と考える。一瞬が酷く長く感じられ、人影は見る見る大きくなり、危ないと思うと同時に、受け止めようと反射的に両腕を突き出していた。

「―――!」

 人影が何かを叫び、エイリルは腕への衝撃を覚悟して強く目を閉じるが、一呼吸待ってもそれは訪れず、恐る恐る目を開けた。

(……あれ?)

 エイリルの腕に触れるか触れないかという位置に少年が浮いている。一度では状況を理解できず、エイリルは何度か目を瞬いた。しかし、何度見直しても少年が浮いている。

「へ?」

「な……」

「……嘘」

 三者三様の声が上がり、エイリルは眼前で空中に停止した少年をまじまじと見つめた。少年も宙に止まったまま、ぽかんとエイリルを見ている。

「ちょっと……何よ、それ!」

 数秒の沈黙を破ったのはシルエラだった。少年は驚いたようにそちらを見て、手足をばたつかせる。

「あ……うわ!」

「ええ!?」

 今更のように少年が落ちてきて、エイリルは諸共に地面へ倒れ込んだ。

「痛って……」

「あたたた……」

 二人で呻いていると、シルエラが駆け寄ってきてエイリルの腕を強く引いた。

「リル、早く離れて!」

「うん、離れ……え? なんで?」

 同意しかけて不思議に思い、エイリルはきょとんと首をかしげた。シルエラの表情は声と同様に険しい。

「今の、あんたも見たでしょ!」

「今、の?」

「そいつ、落ちてきたのに宙に浮いた! 人が浮くなんてあり得ないわ、気持ち悪い!」

「痛、痛いって」

 腕を引かれて無理矢理に立ち上がらされると、シルエラはエイリルを引っ張って立ち去ろうとする。しかし、うずくまったまま動けないでいる少年を放っておけない。

「待ってエラ、怪我したのかも」

「怪我? やだ、大丈夫?」

「わたしじゃなくて、この子」

 エイリルが少年を示すと、シルエラはますます目を吊り上げてエイリルの腕を引いた。

「放っときなさいよ、そんな化け物!」

「ばけ……子供にそれは酷いんじゃない?」

「ただの子供は浮かないわよ! リルも見たでしょ?」

「見たけど、見間違えたとか……」

「二人同時に見間違えたって言うの? 冗談じゃないわ。空を飛ぶ魔物が人間に化けてるに決まってる!」

「言い過ぎよ、エラ!」

 あまりの言い様にエイリルが声を上げると、それが気にさわったらしく、シルエラは掴んでいたエイリルの腕を乱暴に突き放した。

「ああ、そう。勝手にするといいわ。忠告してあげたのに、どうなったって知らないんだから!」

 吐き捨てるように言ってシルエラはきた道を戻って行った。何事もはっきり言うのはシルエラの長所だが、時には短所にもなり得る。

 嘆息しながら、エイリルは少年の傍らに膝をついた。浮いたのには確かに驚いたが、ヴィンブラド一座にはそういう出し物をしている大道芸人もいた。座り込んだ彼は、エイリルが見る限り普通の少年だ。

「大丈夫? どこいためたの?」

 少年は俯いたまま応えない。怯えさせてしまっただろうかと、エイリルは少年を覗き込んだ。

「酷いこと言ってごめんね。エラ……、あ、さっきの子、シルエラっていうんだけど。きっと、悪気はなくて……ちょっとびっくりしちゃったんだと思う」

「…………」

「ね、怪我を見せて。応急処置くらいならわたしも出来るから……あ、お城なんだからお医者様がいるか。そっちに行ったほうがいいよね。いる場所わかる?」

 黙っていた少年は戸惑った様子でゆっくりと顔を上げた。反応があったのが嬉しくて笑いかけると、彼はますます困惑した顔になる。

「あれ、君……イオくんだよね?」

 顔を見て思い出し、エイリルは目を瞬いた。国王一家に謁見したときに王子の守り役だと紹介された少年だ。そいうえば、落ちてくる前にイオと呼ぶ声も聞こえた気がする。ということは、エイリルとシルエラは相当な奥まで迷い込んでいたようだ。

「……おれなんかに構ってないで、連れを追いかけたほうがいいんじゃないか」

 少年の口から最初に出たのは、エイリルを気遣う言葉だった。小さく笑んで、エイリルは軽くかぶりを振る。

「今行ったら今度こそ喧嘩になっちゃいそうだもの。……おれなんか、なんて言わないで」

 イオは僅かに目を見張って双眸を揺らした。何か言いたげに唇を動かし、しかに何も言わずに口を閉じると、気を取り直したように改めてエイリルを見た。

「あんたこそ、怪我は?」

「わたし? わたしは平気。ちょっとぶつけただけだから」

 ほら、と両手を動かしてみせるとイオは少しだけ安心したような顔になった。やはり優しい子だと、エイリルは微笑む。

「イオ! ……エイリル?」

 走ってくる足音とともに声がかかって、少年はぱっとそちらを向いた。エイリルも声のしたほうを振り返る。

「ロヴァル副長!」

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