一章 4
4
「リーフ様、どこですか? リーフ様!」
イオは王子の名を呼びながら、王城の奥にある中庭を
さまざまな形の花壇が組み合わさり、まるで華やかな迷路のような庭園を、イオは半ば途方に暮れながらとぼとぼと歩いていた。イオには漠然とリーフの居場所がわかるが、相手もそうだからいたちごっこだ。
(外に連れ出さなければよかった……)
リーフは朝から機嫌が悪かった。両親と一緒に朝食を摂れなかったのが切欠らしいが、国王夫妻も忙しい方々なので、それはままあることだ。いつもは聞き分けてくれるのだが、今日に限って酷くぐずっていたのを見かねて、イオは気晴らしにと散歩に連れ出した。そして、まんまと逃げられてしまった。
七日ほど前、近衛兵見習いの女性を紹介された日、父王と歌の約束をしたのがよほど嬉しかったらしく、それからずっと上機嫌だったので、ここまで不機嫌なのは久しぶりだ。
「雨が振る前に戻りましょう、リーフ様」
朝からずっと曇っており、今にも降り出しそうな空だ。雨が落ちてくる前にはリーフを屋根の下に入れなければならない。
「リー……」
呼びかけて、イオははっと顔を上げた。―――国王が近付いてきている。一刻も早くリーフを見つけなければならない。役目を怠ったとしてイオが叱られるのは、そのとおりなので仕方がないが、リーフが叱られるのは忍びない。
「リーフ様! お願いです、返事を!」
しかし、イオの願いも空しく、国王が庭園へ姿を現した。ゆったりとした足取りで近付いてくる。
「いつもすまないね」
「陛下……」
目が合うと国王は小さく笑う。冷や汗をかきながら、イオは全力で言い訳を考えた。
「あ、あの、今……そう、隠れ鬼をしていて」
「大丈夫、叱ったりしないよ。リーフも、君もね」
柔らかな声と共にぽんぽんと軽く頭を撫でられて、口を噤む。国王の迷いを含んだ表情に既視感があった。
「今日は、イオとリーフはどこかに出掛ける予定はあるのかい?」
「ありません」
「では数日中は?」
「特に、今のところは何も」
「そうか……なら、三日間くらいでいい。あまりリーフを高い場所へ行かせないでくれないかな」
「承知しました」
どんなに不思議な内容でも、国王の頼みの理由を問うことはしない。イオはそれができる立場にないし、理由如何にかかわらず結局は従うのだから同じことだ。ならば、国王を煩わせない方がいいに決まっている。
「うん。ありがとう」
国王は笑んでもう一度イオの頭をくしゃりと撫でると、首を巡らせて声を上げた。
「さあリーフ、どこに隠れたかな。父様が探しにきたよ」
「父様!」
父王がきていることはリーフにもわかっていたようで、待ちかねたように木立の陰からリーフがぴょこんと飛び出した。膝をついて両手を広げる国王に駆け寄り、満面の笑顔で飛びつく。
微笑ましい
「父様、お仕事は? もういいんですか? だったら、いっしょに……」
「うーん、残念だけれどもう少しかかるな。今はちょっとだけ憩中なんだ」
「そう……ですか……」
「終わったらうんと遊ぼう、約束だ。だから、イオを困らせてはいけないよ」
「……はい」
抱擁を解き、イーグルは立ち上がった。名残惜しげにリーフの頭を撫でて去って行く。
一人残されてしょんぼりとしているリーフに胸が痛んで、イオはそっと歩み寄った。鼻先にぽつりと感じて空を見上げる。とうとう降ってきたらしい。
「リーフ様、戻りましょう。雨が降ってきました」
リーフの部屋があるのは二階だ。イーグルはリーフを高い場所へ行かせるなと言ったが、部屋に戻るなとは言わなかった。ならば部屋は安全なのだろう。
リーフは肩を落としたまま無言で回廊へ歩いて行く。屋根のある場所に入ってくれそうなのでほっとして、イオは幼い王子を追いかけた。
「お部屋はそちらではありませんよ」
イオのことは無視すると決めたようで、リーフは振り返りもせずに逆の方向へ歩いて行く。それでも中庭に隠れられるよりはと、イオは部屋に戻ることは諦めてリーフの気が済むまで付き合うことにした。
あてどなく廊下を歩き、先々にいる警備兵にやんわりと追い返されるのを繰り返して、人気のない場所で不意にリーフは足を止めた。
「……つまんない」
イオは王子の正面に回って膝を折り、焼きたてのパンよろしく膨らんでいるリーフの顔を覗き込んだ。
「そんなお顔をなさらないでください」
「お外に出たい」
「雨が止んでからにしましょう。そうだ、部屋で本を読みませんか。リーフ様のお好きなものをお読みしますよ。絵本でもなんでも」
「……ほんと?」
普段、五つの幼子には難しすぎる内容の本を読むことを強いられているため、絵本という言葉にリーフは心を動かされたようだったが、それでも頑なに首を左右に振った。
「絵本はいつでもよめるもん」
「外でだっていつでも……」
「今日! 今! 行きたいの! お外に!」
まだ五つにしかならない王子は、時々小さな暴君と化す。両親に我が儘を言えない、言わない分別が既にあるからイオにぶつけているのだと思うと不憫になるが、いつも
「濡れては風邪をひいてしまいます。今外に出るのは……」
「風邪くらい平気だもん」
「リーフ様がお強いのは存じ上げております。ですが、風邪は万病の元とも言いますし」
「やだったらやだ! お外に出たい! でーたーいー!」
「リーフ様……お願いです」
イオは半ば懇願するように呟いた。すると、そっぽを向いていたリーフはきっとイオを睨む。
「もういいよ! イオなんかきらい!」
「っ!」
「リーフ様! いけません!」
慌てて立ち上がり、捉まえようと伸ばした手が空を切った。素早いリーフは近くの階段を駆け上がって行く。まずい、と血の気が引く思いでイオはリーフを追いかける。さっき、高い場所に行かせるなと国王に言われたばかりだ。
「お待ちください、リーフ様!」
一気に四階まで上がったリーフは、露台へ出る大窓を開け放つ。
(なんで鍵がかかっていないんだ!)
イオは
「危ないですからお戻りください!」
広い露台の
だから焦った。
「リーフ様!」
「やだ!」
リーフは小さな身体を活かし、抱きとめようとしたイオの腕をするりとかわす。イオは強引に身体の向きを変えようとして勢い余り、濡れた床に足を滑らせた。
「……あ」
しまった、と思ったときには身体が半分以上手摺の向こう側に投げ出されていた。振り返ったリーフが目を見開く。苦し紛れに伸ばした手は、手摺を
「イオ――――――!!」
降ってくるリーフの悲鳴を聞きながら、イオは咄嗟に空気に干渉する呪文を唱えた。
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