一章 3-2

   *     *     *


「見つかったか?」

「いや、こっちにはいなかった。向こうは?」

「まだだ。行ってみよう」

 声と共に足音が遠ざかり、エイリルは詰めていた息を吐き出した。木箱の間に挟まって、これ以上ないくらい手足を縮めているのを、そろそろと伸ばす。

(今のうちに逃げないと。ここにいたら見つかっちゃう)

 音を立てないようにゆっくりと立ち上がると、周囲に人気がないのを確かめて建物伝いに歩き出す。しかしいくらも行かないうちに人の気配がして、慌てて木の陰に滑り込んだ。向かってきたのは無関係の人間だったようで、首を巡らせることもせずに通り過ぎていく。

(うう、なんでこんなことに)

 座学終わりの休憩時間に、エイリルはラストにシルエラのことを話した。ラストは会うことを快諾してくれたのだが、一つ条件を出された。曰く、

「休憩が終わったら隠れ鬼をしましょう。キルツには言っておくわ。制限時間は一時間、場所は訓練場内、鬼は五人にしたいところをおまけして四人。エイリルが逃げ切れたら、シルエラさん……だったかしら? 明日にでも連れていらっしゃい。逃げ切れなかったら、また考えましょう」

 同性でも見惚れてしまうほど艶やかな笑顔で言われ、エイリルは頭を抱えることになった。キルツの課す不思議な訓練は、ラストからの流れであるらしい。

 鬼たちも本気である。時間内に捉まえることができなかったら、副隊長ロヴァルによる「真綿で首を絞める系しごき」が待っているらしい。内容は日替わりで、他には「針の筵に座る系」や、「薄氷の上を歩く系」などがあるという。一体どんな内容か、興味はあったが聞くのは恐ろしかったので尋ねていない。

(向こうの方が隠れる場所多そう……)

 訓練場の中央は遮るものが何もない。向こう側へ行きたいのだが、突っ切れば間違いなく見つかるだろう。

 隠れ鬼で鬼が四人もいるのはエイリルに不利だということで、見つかっても撒くことができればいいというラストの特別ルールにより、姿を見られただけでは負けにならないのはいいのだが、脚力は現役近衛兵にはかなわない。その上、普通に訓練している兵士たちの邪魔をしてはいけないし、見習いとはいえ近衛兵の制服を着ているので紛れることもできない。

(ええい、行けばなんとかなるよね!)

 ここに留まっていても見つかるのは時間の問題だと、エイリルは物陰から飛び出した。すぐに後方から声が飛んでくる。

「いたぞ!」

「追え!」

「捕まえろ!」

「そっちから回れ!」

 隠れ鬼のはずが、結局鬼ごっこの様相を呈している。何事かと注目してくる兵士たちの視線を受けながら、エイリルは訓練場の隅を全力で走った。

(ごめんねエラ! 明日は無理かも!)



     *     *     *



 夕刻。

 近衛隊長の執務室は人払いがなされ、隊長ラスト、副隊長ロヴァル、副隊長補佐トーリスの三人しかいない。各々多忙であるので、この三人が揃うのは珍しいことだ。

「朗報よ」

 時間が惜しいとばかりにラストが口を開いた。トーリスが眼鏡を押し上げながら問い返す。

「『西』が見つかりましたか」

「トールはわたしが朗報というとそれが浮かぶの? 当たらずとも遠からずだけれど」

「え、見つかったんですか? いつ、どこで?」

 驚いてロヴァルも声を上げると、ラストは謎めいた笑みを浮かべた。

「まだよ。当たらずとも遠からずと言ったでしょう」

 ここ最近、近衛隊で「西」と言えば、西方辺境領ヴェストリ領主ヴィグリードのことだ。

 先代領主が病死し、継嗣けいしのヴィグリードが諸々の手続きで登城したときは、酷く憔悴した様子だった。イーグルが大層心配して、落ち着くまで官吏を派遣しようかと提案したが、ヴィグリードは断った。もしかすると、その頃にはもうヴィグリードは出奔を考えていたのかも知れない。

「トールにはまだ渡していなかったわね」

 言いながらラストは紙の束をトーリスに差し出した。ロヴァルは彼の手元のそれを横から覗き込む。

(エイリルの……身辺調査の詳細か)

 六つの時、旅行先で両親が事故死。父方の伯父に引き取られるが、一年ほどで娼館に売られる。

 三年後、働いていた娼館が強盗団に襲われ、死傷者が多数出たために廃業。そのどさくさで人買いに捕まる。

 移送の途中に自力で脱出、逃げ込んだ先が劇場で、ヴィンブラド一座の小間使いとして拾われ、後に踊りの才能を見出されて舞い手として育成される。

 最近は裏方ではなく舞い手として舞台に立っていたが、一年前、不審火により劇場が焼失。希望者が別の町の劇場に合流できることになるも、その移動中に魔物に襲われて一行は散り散りに。

 それからは一人で行動、アールヴレズル王都に辿り着き、行き倒れ寸前だったところを城下町にある紅翠亭の女将ヒルダに助けられ、現在に至る。

 エイリルは憐れまれることを望まないだろうが、ロヴァルはこの調書を読んでから、彼女が不憫で仕方がない。ラストに出会ったことが、せめてエイリルの幸いであってほしい。

 ざっと目を通したトーリスは、眉を寄せつつ手にした書類を下ろした。眼鏡を押し上げる。

「大まかには聞いていましたが……想像以上に大変な人生送ってますね、あの子」

「本当に。たまにいるのよね、こういう体質の子。本人にはまったく非はないのに」

 気の毒そうに同意してラストは一つ息をついた。そして、別の紙の束を取り出す。

「次はこっち。ロヴァルも読んで」

 再び差し出された書類を受け取り、表紙をめくってロヴァルは首をかしげた。トーリスも横に並び、紙面に目を落とす。

「ヴェストリ領調査報告書……ですか」

 確認のために標題を読んだロヴァルには応えず、ラストは読むよう無言で促す。二人はそれに従って目を走らせ、ロヴァルは途中で頁を捲る手を止めた。思わずトーリスを見れば、彼も何やら塩と砂糖を間違えた料理を食べたような顔をしていた。おそらく自分も同じような表情になっているだろう。

 朗報の意味と、ラストがエイリルを引き込んだ理由が腑に落ちたが、これではあまりにも気の毒すぎる。

「……知らなかったことにしていいでしょうか」

「……右に同じく」

 いっそ鮮やかな笑顔を浮かべて、ラストは死神の大鎌を振り下ろした。

「駄目」

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