一章 3-1

 3


 エイリルはアールヴレズル城下町を走っていた。

「おはようございます! お疲れ様です!」

「はい、お疲れ」

「ああ、君が噂の。頑張ってね」

「ありがとうございまーす!」

 門番に挨拶をして、エイリルはくるりと踵を返した。最初のうちは何事かと驚かれたが、今は近衛兵見習いが走っていると噂になっているらしい。訓練着には近衛隊の紋章がついているので、所属はすぐに知れる。

(顔を売れってことなのかしら……考え過ぎかな)

 知り合いを作る余裕はまだないが、走っているうちに少しずつ町の造りがわかってきた。細い路地が意外な場所に繋がっていたり、行き止まりに見える場所がそうではなかったり、今まで知らなかった場所がたくさんある。

 この町にきてから、住まわせて貰っていた店の周辺の他は、たまにお使いに出るくらいで殆ど回ってみなかった。散歩をするような気持ちのゆとりがなかったのもそうだが、あまり興味がなかったというのが正直なところだ。

(もう少し外に出てみるべきだったな)

 訓練が始まって六日である。

 兵士には何はなくとも体力と足腰だとキルツは言い、エイリルに訓練の始まりに走り込みを課した。城が丘の上にあるので坂道が多い町は鍛えるには十分だし、地理に詳しくなるしで一石二鳥だというのがキルツの弁である。町の中を抜けて、東、西、南の三方にある門のどれかで折り返し、王城に戻るというのが大体の経路だ。道順は好きにしていいといわれているので、日替わりで東、南、西の順に回っている。今日で丁度二巡だ。

 帰りはどういう道順にしようか考えながら走っていると、

「……リル? 嘘、リルじゃない?」

 不意に呼ばれてエイリルは足を止めた。振り返った先に立っている少女を見て目を見開く。

「あ……ええ!?」

「やっぱり! リルね!」

「エラ……? エラだよね?」

 あまりに印象が違うので問えば、彼女は小首をかしげて笑んだ。

「そうよ。忘れちゃった?」

「だ、だって、どうしたのその髪!」

「もう長くしておく必要もないもの、切っちゃった」

 銀髪を、辛うじて耳が隠れるくらいまで短くした少女は、名をシルエラといい、一時期エイリルと同じヴィンブラド一座にいた。

 同じ舞い手で、同性で年が近いのもあって特に仲がよかったのだ。膝裏まで届きそうな長く美しい髪が彼女の特徴だったので、一瞬、誰だかわからなかった。

「そんなことより、無事でよかったわ。リル」

「エラこそ。嬉しい、もう会えないかと思ってた」

 抱き合い、手を取り合って再会を喜ぶ二人を、追い越していく人々が振り返っていく。

「あたしも。もう、あたし以外は殺されちゃったんじゃないかって」

 シルエラの言葉を聞いてエイリルは小さく息を飲んだ。思い出さないよう蓋をしていた記憶が一気に蘇りそうになって、かぶりを振る。

「そんな……そんなこと言わないで。わたしもエラも無事だったんだもん、きっと皆逃げて、どこかで元気にしてるよ」

「だといいけど……」

 シルエラは顔を曇らせて息をつく。

「あの後あたし、少ししてから襲われた場所に戻ってみたの。馬車も荷物もばらばらで……生き残っている人がいるなんて思えないくらい。今までずっと捜してたんだけど、誰にも会わなかったわ」

「そう……そうだったの……」

 エイリルたちは一年ほど前、移動中に魔物に襲われた。―――一座が拠点にしていた町の劇場が火事で焼け、少々離れた町の大きな劇場に身を寄せることになって、短い旅を余儀なくされたのだ。

 道中の仲間はエイリルを含めて十二人いたが、混乱の中で皆散り散りになってしまった。シルエラも誰にも会っていないとなると、依然として他の十人は行方不明のままである。

 俯いていたシルエラは、ぱっと顔を上げて首をかしげた。

「ところでリル、何してるの? 走ってたみたいだけど」

「あ……ええと、実はね」

 詳しく話していると長くなりそうだったので、エイリルは事情を掻い摘んで説明した。シルエラは目を丸くし、エイリルの肩を叩く。

「へえ、近衛兵だなんて凄いじゃない!」

「まだ見習いだし、どうなるかわからないよ。ほんと、ついこの間入ったばっかりなの」

「ふうん……」

 少し考える素振りを見せ、シルエラは胸の前で手を握り合わせると、艶やかに微笑んだ。

「ねえリル、あたしをその隊長さんに紹介してくれない?」

「え?」

「一年くらい流れてたから、そろそろ落ち着くのもいいかなって思ってたとこなの。近衛兵なら食いっぱぐれなさそうだし、あたしも挑戦してみたいわ。ね、いいでしょ」

 まさかシルエラが近衛兵になりたいと言い出すとは思わず、エイリルは戸惑う。返事をできないでいると、シルエラは不思議そうに首をかしげた。

「どうかした?」

「ううん、ちょっと……びっくりしちゃって。エラ、王様とか貴族とか、嫌いじゃなかった?」

 ヴィンブラド一座の一番人気だったシルエラは、貴人の前で踊りを披露することもあった。断ることはしなかったが、いつも気が進まない様子で、宴の後に権力を笠に着て大きな顔をする無能だと罵っていたこともある。

「まあね。でも、それとこれとは話が別だわ」

「そう……そうだね」

 紹介するのは構わないが、知っておいた方がいいだろうとエイリルは尋ねた。

「ラ……隊長は多分会ってくれると思うけど、最初に素性を調べられるの。それでもいい?」

 シルエラはほんの少しだけ躊躇いを見せた。しかし、すぐに頷く。

すねに傷持つ人は入れてくれないってわけね。ま、あたしはずっと舞い手だったし、大丈夫でしょ。お願いするわ」

「……わかった。今日、戻ったら話してみる」

「ありがとう! やっぱり持つべきものは友達ね。―――あ、ごめん、邪魔して。あたし、金の角笛亭ってところに泊まってるの。待ってるわね」

 笑顔で手を振るシルエラに見送られ、エイリルも手を振って走り込みに戻った。

(枠は一つだよね……きっと)

 退役する女性兵士の代わりなのだから、近衛隊には入れるのは一人だけに違いない。ならば選ばれるのはシルエラだろう。

 シルエラが二つほど年上だというのを差し引いても、エイリルが彼女に勝てたことは何一つない。エイリルが最も得意な歌ですら、片手間のシルエラにかなわないのだ。

(エラならわたしよりも兵士に向いてると思うし、上手くやれるんだろうな……)

 選ぶのはラストたちなのだから、そちらに委ねようとエイリルは考えるのをやめた。最初は気が乗らなかったのに、いざ手から擦り抜けそうになると惜しい気がしてくる己の性根が嫌になる。

(なるようにしかならないよね、うん。ラストさんに、もっと近衛兵に相応しい人を紹介できるのはいいことだし。―――よし、今日も一日頑張ろう)

 意識して頭を切り換え、遅れた分を取り戻そうと、エイリルは走る速度を上げた。

 王城に戻った後は休憩して剣術や体術の訓練、昼を挟んで座学、その後は再び訓練か雑用をするか、本隊の訓練に放り込まれることもある。雑用や訓練はともかく、歴史や兵法などを学ぶ座学は、じっとしているのが苦手なエイリルには辛い。歴史の講義を一時間受けるのなら、一昨日のように近衛兵五人と一時間鬼ごっこした方がましだ。

(キルツさんて、たまにおかしな訓練混ぜてくるんだよね)

 昨日事務方へ届け物を頼まれたときは警備兵に見つかってはならないという条件付きだったし、基本的に移動の時は往路と復路で別のルートを使うよう言われている。どれもなんとなく意図はわかるのだが、訓練と言うよりは何かの競技のようだ。

 今日はどんな課題を出されるのかだんだん楽しみになっていることに気付き、エイリルは胸中で苦笑しながら王城へ続く坂道を駆け上がり始めた。

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