四章 4-1

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 祈願の儀は滞りなく終了した。

 空はよく晴れ、穏やかな風に葉をそよがせる大樹を前に、粛々と進められた式は荘厳で、参列を許された貴族たちですら緊張しているようだった。礼装に身を包んで彼らを従えた国王は、神々しくすらあった。

 大樹の幹に作られた祭壇は、常設されていないとは思えないほどの大きさと細工で、祭りの期間が終わると撤去されてしまうのが惜しまれる。

 本来ならば一生目にする機会のなかった光景に、エイリルは素直に感動した。それが顔に出すぎていたらしく、今までろくに話したことがない近衛兵にまで、よかったなと声をかけられたほどだ。

(あれが見られただけでも近衛兵見習いやってよかった……)

 今頃、大樹の下は解放されて多くの人々で賑わっているのだろう。そこに参加できないのは残念だが仕方がないと、エイリルは気を引き締めた。浮かれている場合ではない。

 ラストとロヴァルの周辺の空気は張り詰めており、儀式の感想を言ったり軽口を叩いたりできるような雰囲気ではないが、あとは戻るだけなので奥へ入ってしまえば安心だろう。

「あら、おねむかしら、リーフ」

 前方から王妃フィアラルの声が聞こえる。エイリルは隊列の後方にいるので、警護対象である国王一家の姿は見えない。

「だいじょうぶ、です、母様……」

 舌足らずの王子の声が応え、眠い目を擦っている姿が目に見えるようでエイリルはこっそりと微笑んだ。

「どれ。おいで、リーフ」

「はい、父様……」

「お部屋に戻るまでは眠らないと頑張っていたものね」

 国王が抱え上げたのだろう、ひょこりと王子の顔が兵士たちの頭上に現れてすぐに引っ込んだ。朝早くから礼服を着せられ、緊張を強いられたのだろうから、疲れてしまうのも無理はない。

「陛下、殿下は私が」

「これくらい大丈夫だよ。イオも抱っこしてあげようか」

「……お戯れを」

「あなた。イオちゃんを困らせてはいけませんわ」

 笑い混じりにフィアラルが国王を諫め、粛々と列は進む。礼装を解くために待ち構えていた侍女や侍従たちに囲まれて国王一家が部屋に入り、近衛隊一同に安堵の気配が漂った。エイリルもほっと息をつく。とりあえずは一段落だ。

 ラストが兵士たちを見回して口を開く。

「気を抜くな。式は終わったが祭は続く。総員、配置へ着け」

 敬礼を残して近衛兵たちは散っていった。部屋の前にはラストとエイリル、シルエラ、マリアを含む十人ほどが残る。見習い三人は、祭の間はラストに付くよう言われていた。現場に見習いがいても邪魔になるだろうから、ラストにくっついていればいいだけというのはありがたい。

「お召し替えがお済みになるまではここで待機。その後は、前に……」

 ラストの言葉の途中で、不意にシルエラが崩れ落ちた。隣に立っていたエイリルは、驚いて膝をつく。

「エラ? どうしたの、エラ!」

「……なんでもないわ」

 床に両手をついて上体を支えたシルエラの額には汗が浮かび、呼吸は浅く速い。覗き込めば、唇が色を失っていた。頬も紙のように白い。

「何言ってるの、真っ青よ!」

「大丈夫……」

 シルエラはなんとか立ち上がろうとしているようだったが、今にもくずおれそうで、エイリルはシルエラの腕を掴んだ。思わずラストを振り仰げば、彼女は一つ頷いて指示を出す。

「無理はいけないわ。エマ、彼女を医務室へ。マリア、手伝ってあげて」

「はい」

 呼ばれた二人がシルエラを引き取り、エイリルは立ち上がった。

「エメラインさんに代わって、わたしがエラと一緒に行きます。警備の人数を減らしてしまうのは……」

「大祭の期間中は怪我人や病人も増えるから、医者が出払っているかも知れない。エマは医術の心得があるから治療ができるわ」

「……すみません、出過ぎた真似でした」

 エイリルが引き下がると、ラストは三人を行かせた。それからエイリルへ微笑んでみせる。

「でも、あなたの考えは正しいわ、エイリル。今回が特殊だっただけ」

「は、はい」

 ラストはすぐに隊長の顔に戻った。

「前に伝えておいたように、アルヘナ隊は中を。ルナン隊は外を警備する。交代の刻限まで油断なきように」

『はい』

 兵士たちと声を揃えて返事をしながらエイリルは、やはりラストは何かを警戒していると感じた。具体的には見当もつかないが、おそらくロヴァルもトーリスも、同じものを恐れている。

(なんだろう……儀式は終わったのに、何があるの……?)

 待つことしばし、着替えが済んだようで侍女が衣装箱を抱えてぞろぞろと出てきた。入れ替わりにエイリルたちは部屋の中へ入る。そこには、ゆったりとした衣装に着替えたフィアラルが長椅子でくつろいでいた。無意識だろう、大きなお腹を撫でている。

「妃殿下、リーフ殿下はどちらに?」

「そちらで寝ているわ。イオちゃんも一緒。疲れたのでしょうね」

 ラストに答えたフィアラルは、おっとりと微笑んだ。

「お勤めご苦労様。おかげで今年も大禍たいかなく大祭を終えられるわ」

「勿体ないお言葉です。ですが、大祭は明日まで続きます。少々お気持ちが急いていらっしゃいますね」

 冗談めかしたラストの言葉を聞いて、フィアラルはころころと笑う。

「ふふ、そうね。やはり身構えてしまって、早く解放されたいと思っているのかも知れないわ。今年は特に、三年に一度の鎮樹だし……多くの民が楽しんでいるというのに、これではいけないわね」

「陛下と妃殿下のおかげ様をもちまして、城下の民は何憂うことなく祭に興ずることができます」

「わたくしは何もしていないわ。陛下のご尽力の賜……」

 フィアラルを遮るように、遠くから爆発のような音が聞こえた。全員が一斉に音のした方向―――表の方を振り返る。

「まあ……何かしら」

 不安げに口元に手を遣るフィアラルを安心させるように、ラストは笑みを浮かべる。

「祭の余興か何かでしょう。派手な出し物でも……」

 二度目、三度目の爆音が届き、ラストの表情が強張った。近くにいた近衛兵を呼び寄せ、何かを囁く。兵士は小さく頷いて部屋を出て行った。

「出し物だとしても、ちょっと羽目を外し過ぎね」

「仰るとおりです。ですが、ここは安全ですからご安心ください」

「ええ、信頼しているわ」

 フィアラルの言葉には一切の迷いがない。安全だと言い切るラストとそれを信じて疑わないフィアラルの関係に、エイリルは憧憬を抱く。従姉妹という血縁以上に、親友どうしのかも知れない。

 そのとき、衝立の向こう側から子供の泣き声が聞こえた。フィアラルがそちらへ顔を向ける。

「あら、起きてしまったかしら」

 衝立の陰からべそをかいたリーフが出てきた。片手はしっかりとイオの手を握っており、引っ張られるようにしてイオも出てくる。

「どうしたのリーフ、怖い夢でも見たの?」

 母親に呼ばれたリーフは、ぱっとイオの手を放してフィアラルに駆け寄った。

「母様、父様が!」

「大丈夫よ。陛下はお召し替えが終わったら、すぐにこちらにいらっしゃるわ」

「父様がお怪我を……!」

「え……?」

 フィアラルが表情を強張らせ、小さく息を飲んだ。リーフは両手で頬を拭い、今度はイオに縋り付く。

「お願いだよ、イオ。父様を助けて!」

 名指しされたイオは目を見開き、確認するようにフィアラルを見た。青ざめたフィアラルは、イオと目を合わせて頷く。イオはリーフと視線の高さを合わせるように跪いた。

「御意のままに、リーフ様。ご安心ください、陛下の御身はこの命に替えましてもお守りいたします」

「うん……」

 イオが請け負ったことで、リーフは安心したらしかった。フィアラルの隣に腰掛け、母親の腕を抱き込む。

 立ち上がったイオはフィアラルに一礼して扉へ向かった。

「待ちなさい。どこへ行くつもり?」

「ラスト、イオちゃんを行かせてあげて」

 イオを止めたラストは、驚いた様子でフィアラルを振り返った。フィアラルはどこか悲壮な表情でラストを見ている。

「お言葉ですが、妃殿下」

「御前を失礼いたします」

 ラストの言葉を皆まで聞かず、イオは部屋を出て行った。

「待ちなさい! 妃殿下、リーフ殿下。恐れながらわたしも一時いっとき外します」

 慌ててイオを追うラストに続いてエイリルも王妃たちに礼をして廊下へ出た。去ろうとするイオと止めようとするラストが揉み合っている。

「放してください。行かなければ」

「待ちなさいと言っている。何が起きているかわからない中、君を一人で行かせるわけにはいかない」

「お願いです。このままでは手遅れになるかも知れない」

「手遅れ?」

「隊長!」

 血相を変えた近衛兵が部屋から飛び出してきて、一同はそちらを振り返った。近衛兵が出て来たのは、国王が着替えをしている筈の部屋だ。

「何事だ、騒々しい」

「陛下のお姿がありません!」

「……なんだと?」

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