四章 3

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 エイリルは、シルエラと十日ぶりくらいに一緒に食事をしていた。

 三人別々に訓練するようになってからというもの、まったくと言っていいほど時間が合わなくなって、マリアなど一度も顔を見ていない。今日シルエラと会えたのも、訓練を終えて食堂に行ったらたまたまシルエラがいたからだ。

「エラの方はどんな感じなの? 訓練」

 パンを千切っていたシルエラは、欠片を口に放り込んで顔を顰めた。

「どうもこうもないわよ、いろんな部隊をたらい回し。ほんとに近衛隊の訓練なのかしら?」

「ええー、いいなあ」

「いいもんですか。どこも人数が多くて、近衛兵の見習いだーって珍しがられるし、やたら構われるし、珍獣になった気分よ。一人になりたいわ」

「今のうちに顔を売っておけってことじゃないの? わたし、大体一人で放っておかれるから羨ましい」

「そっちのほうがいいわよ。大人数で同じことをするって、性に合わなくて倍疲れるわ」

 二人は同時にため息をついた。しかし、エイリルはそれがラストの考えではないかと思う。得意なことを伸ばすのも大事だが、苦手を克服するのも大事だ。

「マリアさんは知ってる? わたし、全然会えなくて」

「知ってるわよ、あたしマリアと同室だもの」

「ええ!」

 思わず声を上げれば、シルエラは怪訝そうな顔をした。

「なんで驚くのよ、もう随分経つのに」

「初めて聞いたよ! わたし部屋でも一人だよ」

「だから、そっちがいいったら。一人の時間が全然ないんだもの。あー、一人になりたい」

 シルエラはもう一度ため息をつき、無意味にフォークで野菜の鉢をつついた。

 エイリルはむしろ、ここにくるまでずっと集団生活で誰かと一緒だったので、一人になる方が戸惑いが大きい。自分はもしかして寂しがりやだったのだろうかと疑問に思うほどだ。

「それで、マリアさんは?」

「さあ? 別の場所で訓練はしてるみたいだけど」

「さあって、同じ部屋なんでしょ?」

「そうよ。でも、ほとんど話す時間がないのよ。一緒の部屋にいてもお互いに別のことやってるって感じで。報告書とか、課題とか」

「そっか……忙しいんだね」

「リルも似たようなものでしょ? ―――それじゃ、あたしはやることがあるから」

 食べ終えたシルエラは、食器を取り上げて去って行った。エイリルも部屋に戻って報告書を書こうと食事を進める。

(今更だけど、エラと部屋換えて貰えないかラストさんに言ってみようかな)


     *     *     *


 ラストの手元にも資料はあるが、ロヴァルは報告書を読み上げた。

「ヴェストリ公が急病だそうで」

「ええ、聞いたわ」

 驚きもせずにラストは報告書を捲る。

 大祭を五日後に控え、ヴェストリ領からの使者が先程正式に領主の大祭欠席を伝えた。理由は急な病。直前に伝えてきたのは、急病というのに信憑性を持たせるということもあるだろうが、中央から探りを入れられないためにそうしたようにロヴァルには思えてならない。実際、城内は連日どこも忙しなく、これからヴェストリ領に人を遣って真偽を確かめる余裕はない。

「領主が長期間不在、行き先も解らぬときては、領城の人間も途方に暮れているでしょう。病だなどと下手な嘘ではなく、正直に言ってくれれば手の打ちようもあるのに」

 ヴェストリ公かもしれない人物が王都に入ったという話はまだない。行方不明の件も公にはなっておらず、再三の催促にも拘わらず大祭直前まで沈黙していたヴェストリ領が、官吏に散々罵られているであろうこと以外は、大きな騒動にはなっていない。

「仕掛けてくると思いますか?」

「祭見物だけで帰ってくれると思う?」

 冗談めかして言い、ラストは報告書を元に戻した。

「陛下に、ヴェストリ公が行方不明だとお伝えするわ」

「秘密裏に……ってのは、駄目ですか」

 ロヴァルとしては、なるべくイーグルには知らせずに処理したかったのだが、無情にもラストは首肯する。

「ええ。大祭前になんらかの動きがあったなら、お知らせせずに捕縛できたかもしれないけれど、もう大祭まで日がないわ。御身が危険に晒されているのは陛下だもの」

「……そうですね」

「あなたの気持ちはわかるわ。わたしとしても、余計なご心痛を増やしたくはない。けれど、陛下をお守りするのに最善を尽くすのがわたしたちの役目よ」

「わかっています。……私でも、そうしたと思います」

 本人に危機意識があるのとないのとでは雲泥の差だ。警護の方法も違ってくる。どのみち、イーグルに伝えないわけにはいかない。大祭までにヴィグリードが見つかれば良し、見つからなくても大祭が終われば城内も落ち着く。ヴィグリードも動きづらくなるはずだ。

 ふらふらと出歩くのが好きなイーグルは、城内が忙しいのをおもんぱかってか、ここのところは大人しくしている。これでヴィグリードの一件が耳に入れば、更に自重するだろう。数少ない気晴らしの機会が減って、息苦しい思いをしているかも知れない。

「それじゃ、警備について戦務部との折衝をお願いね」

「……え」

 さらりととんでもないことを押しつけられて、ロヴァルは一瞬固まった。

「ええ!? 俺がですか!?」

「他に誰がいるのよ」

「隊長がいるじゃないですか! 嫌ですよ。絶対怒られますよ、何で行方不明のこと最初から言わなかったって。ハルシュタット隊長怖いですもん」

「わたしだって嫌よ。ハルシュタット隊長を怒らせると面倒……いえ、大丈夫。あの人も鬼ではないわ」

「言いましたよね。今、面倒って言いましたよね」

「これは命令です、副長」

「都合のいいときだけ隊長権限持ち出さないでください。トールくんに投げますよ」

「それはやめて。わたしが怒られるじゃない」

「じゃあ隊長が戦務部行ってくださいよ!」

 ロヴァルとラストは睨み合う。長い戦いになるのを覚悟したとき、扉が叩かれた。

「どうぞ」

 ラストが返事をすると、近衛兵が顔を出す。

「お話し中失礼いたします。副長がこちらだと伺いまして」

「……陛下か?」

 最期まで聞かずにロヴァルが尋ねると、兵士は神妙な顔で頷いた。

 さっき、皆を思いやって自重しているのだろうと思ったらこれだ。しかし、今回ばかりはロヴァルは内心諸手を挙げながら、それが顔に出ないよう注意しつつラストを見る。すると彼女は仕方ないとでも言いたげに頬杖をついた。

「いってらっしゃい、副長。せっかくだから、陛下にお伝えするのをお願いしてもいいかしら」

「『西』の件ですね? 承知しました」

 ラストに見送られ、ロヴァルは兵士と共に執務室を出る。

「今日はどこだ?」

「北の尖塔です」

「最近は大人しくしてたと思ってたのにな。さすがに我慢の限界だったか」

 果たして、尖塔の頂上にはぽつんと国王が立っていた。大樹を眺めている風情のイーグルに、ロヴァルは声をかける。

「大祭が終わるまでは大人しくしてるもんだと思ってた」

「籠の鳥だって籠の中で羽ばたきたくなるのさ」

 イーグルは身体ごと振り返って淡く笑む。

「私にしては、長くった方だとおもうけれど」

「自分で言うな。……でもまあ、話があるから丁度よかった」

 無言で軽く首をかたむけ、イーグルは先を促した。溜めても意味がないので、ロヴァルは単刀直入に言う。

「ヴィグリードが、随分前から行方不明だ。大祭に乗じておまえを狙ってくる可能性がある」

 イーグルは僅かに目を伏せただけで、驚く様子はなかった。そして、ロヴァルを見上げると笑おうとして失敗したように唇を歪ませる。

「遅かったね」

「……やっぱり知ってたのかよ。いつ視たんだ?」

「一月くらい前かな。私が視たことでるかと思ったけど、ずれたのは君だったね」

「俺? どこが?」

「その話を私にしにくるのは、ラストのはずだった」

「なんだよ。どうせならヴィグリードのほうがずれて、領地に帰るとか誰かに見つかるとかすればよかったのにな」

 思ったことをそのまま口に出すと、イーグルはおかしそうに吹き出す。

「本当にね。けれど、ルゥがきてくれてよかった」

「なんで?」

「今から私が言うことは、ルゥにしか頼めないことだからさ」

「……おまえ、今から物凄い無茶を言おうとしてるだろ」

 ロヴァルが警戒して身構えると、イーグルはいっそ無邪気な少年のように満面の笑みを浮かべた。

「やだなあ、ルゥ。いつの間に読心術なんか身につけたんだい?」

「読心術なんかなくてもわかるわ! どうせまた厄介事だろ!」

「そんなことないよ。ちょっとしたお願いごとさ」

 にこにこと言うイーグルを見て、ロヴァルは腹を括ることにする。拒否したところで相手は国王だ、言うことを聞かないわけにはいかない。それに、ここで断ったらもっとややこしいことになるかもしれない。

「それで、なんなんだ? お願いごとってのは」

「簡単なことさ」

 イーグルは極めて軽い口調で、極めて難しいことをロヴァルに告げた。

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