四章 2
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今日の座学が行われる部屋に行くと、待っていたらしいキルツが立ち上がった。シルエラはロヴァルのところに、マリアもまだ戻ってこないので、今日はエイリル一人だ。
「エイリル。隊長がお待ちだ」
「隊長が、わたしを?」
「肯定だ。レゾリーヴでの話を聞きたいそうだ」
エイリルたちが王都へ帰ってきたのは一昨日だが、ラストは出掛けていて今まで会えていなかった。いろいろありすぎて、どう話せばいいだろうと、会う前から変な緊張を覚える。
「執務室へ行けばいいですか?」
「肯定だ。その後は隊長の指示に従うように」
「わかりました」
エイリルはキルツへ会釈をしてラストの執務室へ向かった。扉を叩くとすぐに返事があり、扉を開ける。
「お呼びでしょうか」
ラストはエイリルが机の前に立つのを待って口を開いた。
「レゾリーヴではいろいろあったみたいね。報告は受けているわ。あなたたちがここを発ってから帰ってくるまで、何があったか全部」
「……そうですか」
含みを持たせた言葉を聞いても、エイリルはあまり驚かなかった。見習いだけで外に出すのだ、こっそりと監視をつけられてもおかしくはない。わかるのは、イオが監視者ではなかったことくらいだ。彼が監視役だったならば、なんとしてでもシルエラやマリアとも同行しただろう。
「右膝はもういいの?」
「はい。あの……」
イオが治してくれたと言いかけて、言ってもいいものかと言葉を止める。全部報告されていたなら怪我の程度も把握されているだろうし、ロヴァルはイオの魔法のことを知っていたのでラストも既知だろうが、本人からは聞いていない。イオが魔法使いであることは、エイリルの一存で口にしていいことではない。
「大変だったわね。お疲れ様」
「いえ……」
なんと返していいかわからず、エイリルは曖昧な返事をした。すると、ラストは柔和な笑みを浮かべる。
「今日からは三人別々の訓練をして貰います。リルちゃんには引き続きキルツが着くわ」
「はい」
ラストの判断ならばとエイリルは頷いた。それでシルエラはロヴァルに呼ばれていたのかも知れない。
「話は変わるのだけれど、リルちゃんは夏至の大祭はどんなものか知っているかしら」
「大祭については、あまり……そういうものがあるということくらいしか。どういうお祭りなんですか?」
「簡単に言うと、豊穣祈願のお祭りね。真祖―――大樹の守人の子孫である陛下が、太陽の力が一番強くなる夏至の日に大樹に豊作を祈るの」
祈願の議は大樹の根元で行われ、参列するのは各地の領主など貴族のみで一般に公開されない。儀式終了後、大樹が解放されて祭の会場になる。
三日三晩絶やされない焚き火に加え、夜には多くの篝火が焚かれ、夜通し歌や踊りで賑わう。城下町は大樹の飾りが溢れて、夏至とその前後の三日間はアールヴレズル王都が一年で最も賑やかな時期である。その上、今年は三年に一度の大祭で、「鎮樹の大祭」と呼ばれる特別なものになる。
ラストの説明を聞いて、エイリルは目を輝かせた。
「素敵ですね! 楽しそう」
「……そうね。前日と後日は楽しいわ」
「当日は?」
「人が大勢集まる場所に陛下がお出ましになるのよ。御祈願の儀は公開されないけれど、わたしたちは警備で祭どころじゃないわ」
「ああ……」
納得して頷いたエイリルへ、ラストは悪戯めいた笑みを浮かべた。
「勿論、リルちゃんにも手伝って貰うから覚悟しておいてね」
「はい。でも、わたしで役に立つでしょうか」
「国を挙げての大祭だから、城の人間も駆り出されてどこもかしこも手薄になるのよ。警備は一人でも多い方がいいわ」
「が、頑張ります」
「お願いね。―――というわけで、今日から大祭までは大樹周辺の地理や地形を覚えて貰うことも訓練に加わるわ。詳しくはキルツに聞いて」
「わかりました」
会話が途切れ、少し迷うような沈黙の後にラストが再び口を開いた。
「ここからは、近衛隊の隊長ではなくラスティーヌ個人として話すわ」
「は……、はい」
改まってどうしたのだろうと身構えると、ラストは小さく笑う。
「わたしが言うことではないかもしれないけど、イオと仲良くしてくれてありがとうね」
「え……」
「わたしは、六年前にあの子が陛下に連れられてきた頃から知っているけれど、笑ったところなんて一度も見たことがないわ。陛下やリーフ殿下のために作り笑いをするだけ。そんな子が、リルちゃんといると楽しそうに笑うんですって。連絡役がびっくりしていたわ、あのイオが普通の子供みたいだったって。リルちゃんのおかげだろうって」
エイリルは驚いて首と両手を左右に振った。
「わたしは、そんな……普通にしているだけです」
「きっとそれが一番難しいのよ。あの子の立場的にも、持っている力にしても、どうしても特別扱いされてしまうわ。良くも悪くもね」
国王自らがどこからか連れてきた、世継ぎの守り役―――遠巻きにされるには十分な理由だ。加えて、魔法使いでもある。これまで、イオのことを受け入れるよりも拒絶する人間の方が多かったのかも知れない。
「だから、お願い。できればこれからも仲良くしてあげて」
「はい、勿論です」
「ありがとう。―――では、ここからは隊長に戻るわね。今日の午後は、座学はなし。キルツについて大樹へ行ってらっしゃい」
「承知しました。失礼します」
一礼し、エイリルはラストの執務室を出た。
(作り笑いしか見たことがない、か……)
エイリルの知っているイオは、年の割に落ち着いてはいるが賢く少々生意気な普通の少年だ。周囲の人々は彼の肩書きや魔法使いであると言うことを意識しすぎて、彼自身を見ていないのではないかと思う。
(みんな、話してみればいいのに)
知らないから不気味に思ったり、恐怖を感じたりするのだ。少しでもいいから話すことができれば、イオが同年代の子供と何も変わらないということがわかる。
考えながら先程の部屋まで戻ると、本棚近くで書物を捲っていたキルツがエイリルに気付いて振り返った。書物を戻しながら尋ねてくる。
「隊長から聞いたか」
「はい。大樹の周辺の地形を覚えるようにと。キルツさんについて大樹へ行ってこいと言われました」
キルツはうなずき、窓の外を指差す。
「とりあえず大樹まで走れ。詳しいことはそこで話す」
「わ、わかりました」
「もたもたするな。駆け足」
「はい!」
大樹はやや遠いが座学よりもよほどいいので、キルツの声に押されるようにエイリルは駆け出した。
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