四章 1-1


 塔の階段を上りきり、ロヴァルは声を上げた。

「何回! 言えば! わかるんだ! いい加減足腰強くなるわ!」

 国王は、ロヴァルが迎えにくるのを知っていたかのように振り返る。

「鍛えられるのはいいことじゃないか」

「皮肉だよ!」

「うん、わかっている」

 にこにこと言われてロヴァルは肩を落とした。イーグルの隣に移動し、柵に背中を預ける。

「で、今日はなんで上がってきたんだ」

「休憩時間の散歩に理由が必要かい? 前に散々怒られたから、今日はちゃんと下に近衛兵を待たせているよ」

「それは当たり前だ。怒られたからじゃなくて常にそうしろ。それにな、昨日もここきて今日もってのは、おまえの性格からして無意味ってことはない」

「私だってたまには気紛れを起こすこともあるさ」

「百歩譲って気紛れだとしても、もう四半刻近く経ってるってよ。陛下がお戻りになりません、我々はここで待てとお言葉をたまわっておりますって、近衛の連中に泣きつかれたんだからな」

「そんなに経っていたかい?」

 目を丸くするイーグルは、本当に時間の感覚がなくなっていたらしい。心配になるのを悟られないようにしながら、努めて軽い調子で返す。

「懐中時計持ってるだろ。使わなきゃ宝の持ち腐れだぞ」

「はは、そうだね」

 笑いながらイーグルは精緻な細工が施された懐中時計を取り出して見せた。蓋を開き、時刻を確認してから顔を上げる。

「もうこんな時間か、戻らないといけないな。―――ところでルゥ、話は変わるのだけれど」

「なんだ?」

「リディのことなんだが」

 突然ヴィグリードの愛称が飛び出し、ロヴァルはぎょっとイーグルを見た。驚かれたことに驚いたらしく、イーグルは目を瞬く。

「どうしたんだい?」

「いや……なんで今ヴェストリ公なのかと思って」

「人がいないときでないと話せないからね」

「まあ、そうだけどさ」

 同意しながら、ふと思いついてロヴァルは目を眇めた。

「おまえ、その話をするために俺がくるまでここにいたんじゃないだろうな」

「ええ? そんなことしないよお」

「もう少し自然に言う努力をしろ。―――それで、ヴェストリ公がどうかしたのか?」

「うん。大祭への出欠の返事が、リディだけまだ出ていないそうだね。ルゥは何か知らないかな」

 その話かと顔を顰めそうになるのをロヴァルはどうにか堪える。

「出てないって誰から聞いた?」

「誰からと言うか、ハル爺に訊いたら教えてくれた」

「……なるほど」

 近衛隊と宰相ハルマ、それに諜報部の一部は、イーグルの知らない情報を持っていながら意図的に隠している。しかし、イーグルから国王として尋ねられてしまえば、偽ることはできない。いかな国王第一の老宰相でも、誤魔化しきれなかったらしい。

 では今は、と自問して、ロヴァルは濁すことにした。公の場で国王から正式に尋ねられるまでは、全力ではぐらかそうと決める。

 不確定要素がある事柄をイーグルに伝えるわけにいかないということもあるが、ロヴァル個人としては、これ以上イーグルの背負う重荷を増やしたくはない。それが、己のエゴでしかないのだとしても。

「今のところ、『西』に動きはないな。ヴェストリ公も継いだばかりでまだ落ち着かないだろうし、いろいろと遅れてるんだろう。明日にでも使者が着くかも知れない」

 イーグルは少しだけ考える素振りを見せ、小さく頷いた。

「……そうだね。大祭まではまだあるし、もう少し待ってみることにするよ」

「ああ。……気にかかることでもあるのか? 何か視えたか」

「いいや。久しぶりに会えるのが楽しみなだけだよ。半年前、リディが家督を継ぐ手続きで登城して以来だから」

 言葉を切り、ここでの話は終わりだとばかりにイーグルは踵を返した。やっぱりこの幼馴染みは役者には向いていない。

 ロヴァルも塔を下りて、さぞかし気を揉んでいただろう近衛兵にイーグルを引き渡し、自分の目的の場所へと急ぐ。

(イーグルはヴェストリ公と親しくしたいんだろうけど、向こうは……)

 イーグルとヴィグリードは、近しい血縁でありながらずっと疎遠である。本人たちに確執はないはずなのだが―――というより、確執が生まれるほどの交流がない。彼らの父親、先王リヴァーレーンと先代ヴェストリ領主レキターレの代の因縁を引き摺っている。

 アールヴレズルの王位継承には、前提条件が二つある。すなわち、幻視と魔法を持つこと。生まれ順がどんなに早かろうが、その二つを供えなければ王位継承権が発生しない。

 当時、幻視も魔法も持たなかった第一王子レキターレには王位継承権がなく、両方を発現させた第二王子リヴァーレーンが継承順位第一位になった。表向きは、二人の父王が、病弱だったレキターレを廃嫡したことになっている。

 しかしレキターレは、その事実を受け入れられずに何度も弟の命を狙った。本来ならば処刑されて然るべきなのだが、リヴァーレーンにはきょうだいがレキターレしかいなかったため、静養という名目で僻地に幽閉されるに至ったのだ。

 「静養」が数年に及んだ後は、ヴェストリ領主の肩書きが与えられ、幽閉が解かれることはなかった。国王の長子でありながら、西の辺境に封じられたのはこの上ない屈辱だっただろう。

 先王リヴァーレーンは善政を敷き、温厚な人柄で民からも慕われた。そんなリヴァーレーンの死は大勢に惜しみ悼まれ、四十の若さで崩御したのは実兄のレキターレが呪っていたからだ、心痛が死期を早めたのだと誰もが噂した。

(ヴェストリ公は大祭にくるのかね。行方不明のままだったら、いよいよまずいよな)

 今のうちに公にして捜索した方がいいのだろうかと考えながら、ロヴァルはラストの執務室の扉を叩く。ややあって、ラストの声で返事があった。中へ入るとラストとトーリスが揃っている。

「すみません、遅くなりました」

 ラストが椅子を示しながら首をかしげる。

「何かあったの?」

「途中で近衛兵に捉まりまして。陛下が塔からお出ましにならないと」

「たしか、昨日もだったわね。……何か、お心にかかることがあるのかしら」

「ヴェストリ領主ヴィグリードのことを気にしておいででした。まだ出欠は判明しないのかと」

 イーグルが直接ハルマに尋ねたようだと説明すると、ラストは目を見開いた。

「そう……報告は上げていないはずだけれど、やはりどこかでお耳に入ってしまったのかも知れないわね。―――ロヴァルとトールを呼んだのは、その件よ」

 ラストが差し出した書類を受け取りながら、トーリスが眼鏡を押し上げて言う。

「と言いますと、『西』ですか?」

「見つかったんですか? やっぱりレゾリーヴの?」

 ラストは、見習たちの監視役と、彼らに連れ帰らせたイオから、詳しい話を聞いていた。何か新しいことがわかったのかもしれない。

 しかし、ラストは首を左右に振った。

「断定はできないわ。本人だという確証は取れていないの」

 ずっと行方不明だった人物をようやく捉えられるかも知れないのに、何を尻込みしているのだとロヴァルは少々呆れる。

「そんなの、居場所がわかったなら捕まえてみればいいんじゃないですか」

「万が一ヴェストリ公じゃなかったら、再び見付けることは困難になるわ。今まで誰にも尻尾を掴ませなかった相手よ」

「俺が行きましょうか。ヴェストリ公の顔は知ってます」

「相手もそうだということを忘れないで、ロヴァル。近衛隊の副長が目立たず動くのは難しいわ」

「では、まだ泳がせると?」

「そうね。泳いで網にかかってくれるといいのだけれど。網の存在を知られるわけにはいかないから、諜報部も慎重にならざるを得ないのよ」

 そんな時間はないのにと、ロヴァルは舌打ちをしたくなった。

「泳がせている間に逃げられたら」

「陛下に危害を加える意思がないならそれでいいわ」

「ですが」

「何を焦っているの?」

 真っ直ぐに問われてロヴァルは言葉に詰まる。焦っている自覚はなかったが、ラストにはそう見えたらしい。

「……鎮樹の大祭まであと一月もないんですよ、焦りもします。大祭に現れなければ、否応なしにヴェストリ公が行方不明だと公になってしまう」

「優先順位を間違えないで。わたしたちが一番に考えなければならないのは陛下やリーフ殿下、フィアラル妃の安全よ。ヴェストリ公の目的が陛下の安寧を乱すことにないなら、極端な話、行方不明のままでも構わない」

「それは……そうですが」

 ヴィグリードが簒奪を企んでいる可能性があるから近衛隊が動いているとロヴァルとてわかっている。しかし、心情は付いていかない。ヴィグリードが行方不明のままでは、その目的が那辺なへんにあれど、イーグルの心は安まらない。

(やっぱり、イーグルがたのはヴィグリードのことか? だからハル爺に出欠を尋ねた……)

 イーグルは未来視で視たものを殆ど口外しないので、何を視たのかはわからない。だが、もしかしてイーグルは、ヴィグリードが行方不明だということを既に知っているのではないだろうか。そして、そもそも未来視に隠し事はできるのだろうかと、ロヴァルは疑問に思う。

(最初から知っていて、知らない振りをしているんだとしたら……考え過ぎか? でもなあ……あいつ、すぐ抱え込むからな)

 考え込んでいると、横から肩を叩かれた。ロヴァルはトーリスを見た。目が合うと、トーリスは苦笑めいた表情になる。

「何?」

「隊長がお呼びですよ」

「……呼びました?」

「ええ。三回ほど」

 にっこりと微笑むラストに空恐ろしいものを感じながら、ロヴァルは頭を下げる。

「失礼しました。なんですか?」

「あなたにお願いがあるのよ、ロヴァル」

「改まって、珍しいですね。何故俺に?」

「さっき自分で言ったでしょう、ヴェストリ公の顔を知っていると。どんな変装をしていても見分けられる?」

「変装の種類にもよりますが。顔だけなら隊長もトールくんも知ってますよね」

 二人を見れば、トールはかぶりを振った。

「私は自信がありません。ヴェストリ公のお姿を拝見したのは、陛下のお側近くで警護の任にあたったときに、遠目で何度かだけです」

「わたしも似たようなものよ。ロヴァルは幼い頃から知っているのでしょう」

 顔見知り程度の知り合いを過信されても困ると、ロヴァルは片手を振る。

「何年かに一回くらいですよ、顔を合わせたのなんて」

「それでも、近衛隊で一番ヴェストリ公に詳しいのはあなたよ。ヴェストリ公と思しき人物は諜報部が追っているわ。王都に入ることがあったら、連絡が来る手筈になっているの。供も何もつれていないらしいから、一年で最も人の出入りが多くなる、大祭前後だろうと予測しているわ」

 厄介な時期だとロヴァルは胸中で顔を顰めた。例年の祭ならともかく、今年は何故大祭なのだと、何かに八つ当たりをしたくなる。

「概ね同意します。では、俺は大祭が終わるまで、イー……じゃない、陛下に張り付けばよろしいので?」

「いいえ、いつもどおりでいいわ。件の人物が王都に入ったら様子を見に行って欲しいの。ヴェストリ公ならその場で捕らえて構わない」

「了解。後手に回らざるを得ないのがいやですね」

 ヴィグリードが王都に入ったという情報がきたら、何がなんでも捕まえてやろうとロヴァルは拳を握り締めた。

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