二章 2

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「スフリス草の根っこを磨り潰して溶いた汁に浸ければいいのよ。布なら三十分くらいで染まるわよ。髪も染められるし」

「へえー、スフリス草ってお茶にするだけじゃないんですね。根っこも使えるなんて知りませんでした」

「葉っぱはお茶にするけど根っこは捨てられちゃうから、誰かが有効活用しようと思ったんじゃないの? あたしはあのお茶あんまり好きじゃないわ。青臭くて」

「そうですか? わたしはよく飲みますよ。―――シルエラさんて、物知りなんですね」

「そんなことないわよ、たまたま知ってただけ」

(おお……エラが謙遜してる)

 同時に入隊したからか、シルエラとマリアがいつのまにか距離を縮めており、少々疎外感を覚えるエイリルである。

「エイリルさんはお好きですか、スフ茶」

 ぽつんとしているエイリルに気を遣ったか、話を振ってくれるマリアに、エイリルはなんとなく申し訳ない気持ちになる。

「好きです。スフ茶って、スフリス草からできてるんですね」

「そんなの、名前からしてそうじゃない」

 呆れたように言うシルエラへ、エイリルは曖昧な笑みを向けた。

「知ってから思えばそうだけど、知らなかったもの」

「普通に飲んでいるだけでは原料のことまで考えませんよね。エイリルさんもスフ茶がお好きで嬉しいです」

 取りなすようにマリアが言い、重ねて気を遣わせていることにエイリルはますます申し訳なくなった。話題を変えなければと、やや強引に別の話を切り出す。

「あの、マリアさん、よかったらわたしのことはリルと呼んでください」

 マリアは意外そうに目を瞬いたが、すぐに微笑んだ。

「いいんですか? ありがとうございます。じゃあ、わたしのことも……」

 マリアの言葉を遮るように、扉が叩かれた。返事を待たずに開いてキルツが入ってくる。

「揃っているな」

 三人は口を閉じて姿勢を正した。キルツは廊下を示す。

「隊長がお呼びだ。これから執務室へ行く」

 宣言し、部屋を出て行くキルツについて三人はラストの執務室へ向かった。三人揃ってラストに会ったのは、シルエラとマリアが見習いに入るとなったときだけだ。報告書は毎日出しているので、改まってなんだろうとエイリルは胸中で首を捻る。

 ラストの執務室には、彼女の他にイオがいた。聞かされていなかったのか、執務机の隣に立っているイオは、三人の姿を認めて目を見開く。

 エイリルは思わず自分の隣にいるシルエラを横目で窺い、「なんでこの子が」と顔に書いてあるのを見て胸中でため息をついた。更に隣のマリアはというと、特に驚きや戸惑いは見受けられない。

「連れてきました」

「ご苦労様。ありがとう」

「では、私はこれで」

 ラストに一礼し、キルツは部屋を出て行った。エイリルたちは顔を見合わせ、とりあえずラストの前に並んだ。

「では、早速本題に入るわね」

 シルエラの様子に気付いているのかいないのか、ラストはいつもの調子で話を進める。

「レゾリーヴという町を知っているかしら。ここから西に、徒歩で五日くらい行ったところにあるのだけれど、毎年、今の時期に大きな武闘大会があるのよ。結構有名で、国内外から見物客が集まるわ。それで、城から運営協力の名目で手伝いの文官と武官を一人ずつ派遣しているの。各部署持ち回りで、今年は近衛隊うちの番」

 だんだん話が見えてきて、エイリルは引きりそうになる頬を必死でこ堪えた。

(運営協力だよね。大会に出るわけじゃないよね?)

 エイリルの様子に気付いているのかいないのか、ラストはにこにこと言う。

「今回はあなたたち三人に行って貰おうと思って。見習いだから、三人で一人分ということで」

 ラストは片手でイオを示した。

「文官からは彼が。三人とも、もう知っているわね」

「隊長」

「何かしら、シルエラ」

「それ……の子は王子様の守り役じゃないんですか。それにまだ子供ですし、役目を果たせるとは思えませんが」

 エイリルは気を揉みながらシルエラとラストを交互に見た。意思表示をするのはいいが、シルエラにはもう少し言葉を選んで欲しい。

「今年、文官を出すはずだった部署が、どうしても人手が足りないと言い出してね。一昨日だったかしら。直前だから誰も都合がつかないという話が、巡り巡って陛下のお耳に入ってしまったらしいの。それで、誰もいないのならイオくんをと」

「陛下のご意向ですか」

「そうなるわね」

 シルエラは微笑むラストをしばらく見ていたが、それ以上は何も言わなかった。さすがに国王の判断に異を唱えるつもりはないらしい。

 マリアとエイリルも無言でいるのを見て、ラストは一つ頷く。

「出発の日取りは任せるわ。武闘大会は十日後だから、ゆっくり行っても間に合うでしょう。路銀はこちらで用意するけれど、荷物や移動手段は各々おのおの手配してね。馬が必要なら用意させるし、西門から乗り合いの馬車も出ているし。勿論、歩いて行ってもいいわ。以上、何か質問はあるかしら」

「ありません」

「ないです」

「大丈夫です」

 口々に言う三人へ、ラストは笑みを向けた。

「では、気を付けて―――そうそう、言い忘れていたわ。武官は大会に参加するのが決まりなのよ」

「え」

 驚きの声を上げたのはエイリルだけだった。マリアとシルエラは予想していたのか、動揺した様子はない。

「そ、そんな、無茶ですよ! エラとマリアさんはともかく、わたしは……」

「そんなに気負わなくていいわ、王都からきた正規軍の兵士が出ているっていうと、いい宣伝になるというだけよ。倒して名を上げようっていう人たちが集まりやすくなるんですって」

 一度言葉を切り、ラストはふいと視線を逸らした。

「これは独り言だけれど、去年の北方守備隊の代表は準優勝だったかしら。近衛隊としては、負けるわけにはいかないわねえ」

「……ううう」

 運営協力というのだから、観客の誘導や会場設営などの手伝いを想像していたエイリルは頭を抱えそうになった。見習いとして入って一月ほど、訓練で多少ましになってきたとはいえ、自分の体術がまだまだ通用するものではないのは己が一番わかっている。

(いや、わたしが負けてもエラかマリアさんが優勝してくれるよね。うん)

 そのとき、遠くから鐘の音が聞こえた。昼の合図だ。

「丁度お昼ね。ではこれで解散とします。午後も頑張ってね」

 笑顔のラストに一礼してイオを加えた四人は隊長執務室を出た。扉が閉まるなりシルエラが口を開く。

「あたし、一人で行くから」

 イオと行きなくないとごねるだろうとは予想していたが、まさか一人で行くと言い出すとは思っていなかったので、エイリルは瞠目した。

「え、どうして? 一緒に行こうよ。同じ場所に向かうんだもの」

「その一緒にってのは、そいつもでしょ」

 シルエラは顎でイオを指した。イオの顔には何の表情も浮かんでおらず、顔を伏せて無言で佇んでいる。

「リルとマリアならいいわ。でもそいつと一緒は嫌。何されるかわからないもの」

「エラ、まだ言ってるの?」

 半ば呆れて言えば、シルエラはむっとしたように眉を寄せた。

「あたしにはリルの方がわからないわよ。なんで初対面の子供、しかも魔物を信用できるわけ?」

「イオくんは魔物なんかじゃないよ」

 話が見えなかったのか、マリアが口を挟む。

「待ってください、魔物ってどういうことですか? この子、王子殿下の守り役ですよね」

「こいつ、道具も使わずに宙に浮いたのよ」

 マリアは一瞬意味がわからなかったようだが、イオとシルエラを順に見て眉を顰めた。

「浮いた……? そんな、まさか」

「あたしは見たもの。リルもね。そうよね?」

 同意を求められ、エイリルは渋々頷いた。それを見たマリアが微かに眉を顰め、急いで弁解する。

「でも、イオくんは魔物なんかじゃ……」

「そんなことできるの、化け物か魔物じゃない。妖術で王様と王子様に取り入ったんじゃないの。マリアも気を付けた方がいいわよ」

「エラ! 言い過ぎだってば」

 見かねてエイリルが止めると、シルエラは鼻で笑った。

「なら、リルは証明できるのね?」

「証明?」

「そいつが魔物じゃないって証拠。あるの?」

 なんだか哀しくなってきて、エイリルは目を伏せた。再会してからこちら、シルエラと上手く会話ができない。擦れ違ってばかりいる気がする。

「……わたしたちだって、自分が普通の人間だなんて証明できないじゃない」

「そうね。でもそれは、そいつが魔物じゃないって証明できないのと、なんの関係もないわね」

 エイリルが言葉を返せないでいると、シルエラは片手を挙げて歩き出した。

「とにかく、そいうことだから。現地で合流しましょ」

 シルエラは言い捨てて一顧だにせず去って行く。マリアは迷うようにイオとエイリル、シルエラの背中を見たが、やがて申し訳なさそうに呟いた。

「……ごめんなさい、リルちゃん。わたし、シルエラさんと一緒に行きます」

 マリアもそう言うのかと、エイリルはますます悲しくなった。だが、エイリルの考えを押しつけるわけにはいかない。

「うん……わかった。じゃあ、現地でね」

 マリアは頷くと、シルエラを追いかけて行く。

 二人を見送り、エイリルは息を吐きだした。それがため息のようになってしまい、次の呼吸を殊更に大きく吸い込む。ここでため息をついては落ち込みの坂を転がり落ちる一方だ。

 気を取り直してエイリルはイオを振り返った。意識して笑顔を作る。

「ごめんね。エラ、まだ勘違いしてるみたいで……昔はあんなふうじゃなかったんだけど」

 シルエラが自分の考えをはっきり言うのは以前から変わらない。しかし、前はもっと理性的で、得体の知れないものに遭遇しても、怯えたり否定したりするより先に、謎を解き明かそうとする方だった。今のシルエラは、実害の有無にかかわらず、自分の知らない能力を持っているというだけで、イオを拒絶しているように思える。

「あんたが謝ることじゃない。それに、別に勘違いじゃない。獣が魔法を使えば魔物だろ」

「君は獣じゃなくて人間でしょう」

 エイリルは至極当然のことを言ったつもりだったのだが、イオは何故か酷く驚いた様子で顔を上げた。しかし、小さくかぶりを振ってすぐにまた俯いてしまう。

「……おれは一人で行く。あんたはあの二人と一緒に行くといい」

「そんな、イオくんを一人でなんて行かせられないよ」

「おれは一人で大丈夫だ」

「駄目だったら。子供を狙う人攫ひとさらいはたくさんいるんだよ。イオくんはわたしよりもずっとしっかりしてるけど、見た目は普通の男の子なんだからね」

「あんた……」

 イオは言いさして口を閉じた。何度か躊躇ためらってから、声を潜めて先を続ける。

「おれは、魔法使いなんだぞ」

「うん。こないだ聞いた」

「……気持ち悪くないのか?」

「気持ち悪い? なんで?」

「なんでって……魔法なんて、今はもう廃れた。使うだけで化け物扱いだ」

「でも、悪いものじゃないでしょ」

 イオが魔法使いでなかったら、露台から落ちたときに大怪我をしていただろう。それが防げたということだけでも、一概に魔法は悪いものであると言えないとエイリルは思う。要は使い方の問題で、武器や道具と一緒だ。―――そのことを告げれば、イオは複雑そうな表情になった。

「あんたみたいなのは……、珍しい」

「そう? ―――ねえ、イオくんこの後時間ある?」

 このままでは延々立ち話が続いてしまいそうなので、エイリルは尋ねた。イオは不思議そうに首をかたむける。

「一の鐘までには戻らないといけないけど……」

「じゃあ、少し平気だね。一緒にお昼どうかな。食べながら相談しよ、明後日のこととか」

「お昼って……昼ご飯?」

「うん」

 首肯すれば、イオは何か見たことのない珍獣を見たような顔になった。エイリルは、沈黙しているのは消極的な肯定だと己に都合良く解釈することにする。

「行こ、時間なくなっちゃう」

「あ、ちょ、ちょっと!」

 慌てる声は聞こえないふりをして、エイリルはイオの手を引いて食堂へ向かった。

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