第26話*急迫-きゅうはく-

「くそ。セルナクスめ」

 ベリルとくっついていたいからって、ゆっくり飛んでやがる。

 マノサクスは、リュートを抱えながらも歯ぎしりが聞こえてきそうなほど唸っている。そこまで悔しがる意味がわからないとリュートは顔をしかめた。

「あいつのどこがいいんだ」

「綺麗だし、強いし、料理上手だし。良いとこづくしじゃん」

「そうか」

 こうも直ぐ素で返されるとは思っておらず返す言葉がない。

 この二人は一体、どの時点でベリルに好意を寄せるようになったのか気になる所ではあるものの、尋ねる気分にはなれなかった。



 ──空を見ていたコルコル族の一人が幾つもの小さな点を見つける。

「レキナ! あれ!」

 集落はそれを合図に沸き立ち、呼ばれたレキナは仲間が示す方向を仰いで目を凝らした。

「戻ってきた」

 徐々に近づいてくる影にラトナは安堵の表情を浮かべる。

「良かった」

 レキナはほっと溜息を吐く。ベリル様ならきっと助け出してくれると思っていたけど、やっぱり心配だった。

「ティリス様だ! ティリスさま~!」

 先に見つけた姿にコルコル族たちは大きく手を振る。

「あ。みんな!」

 ティリスはレキナたちに同じく手を振り返す。それほど長く離れていた訳じゃないのに、何故だかとても懐かしく感じた。

「レキナ!」

「おかえりなさい」

 ティリスは再会の喜びにレキナを抱きしめる。

 本来ならリュートが怒りそうなものだが、レキナたちの容姿ではむしろ可愛さしかないので逆に顔が緩んでいた。

「何故降りない」

「混んでるから」

 聞こえた会話に振り返ると、ベリルはまだセルナクスの腕の中にいた。

 なんとも複雑な顔をしているあいつベリルを大声で笑ってやりたいが、自分にも経験があるので他人事ひとごとのようには思えない。

 そのときの事を思い出してリュートは一人、身震いした。

「ベリル様!」

 レキナは降りてくるベリルに帰還の喜びを笑顔で伝え、それにベリルも笑みを返して預けていた武器を受け取った。

 そうして、集落はひとまずの落ち着きを取り戻す。

 ──とも言い切れない。

「あのやろう。いつまでベタベタしてやがる」

 地上に降りた後もベリルの肩を抱いて一向に離れないセルナクスに、マノサクスは苛立っていた。

 あいつベリルの何がいいのか本当に解らないとリュートは二人の様子を眺め、友情に亀裂が入りはしないかと多少は気掛かりになる。

「いい加減にしろ」

 煩わしげに引きはがされたセルナクスは目に見えてしょげた。

「へへーん。ばーか、ばーか」

「セルナ!」

 ベリルは取っ組み合いを始めた二人に呆れて頭を抱えるがふと、何かに気がついて空を仰ぐ。

「マノサクス」

「なに?」

「マナは安定しているか」

「え?」

 他のリャシュカ族も確認するように辺りを見回した。

「ん? あれ?」

 マノサクスは怪訝な表情を浮かべる。

「おかしい。要石は修復されたのに、マナが乱れている」

 そんな馬鹿なとセルナクスは顔をしかめた。

「戻って確かめてきてくれ」

 指示された仲間は頷いてセルナクスとマノサクスを残し、空高く舞い上がる。

「何かがマナのバランスを崩してる」

 戸惑うマノサクスにベリルは眉を寄せて小さく唸る。

 やはり思い違いではなかったか。仮に、マナの不安定が召還の失敗ではなく、意図的なものだとすれば──そう思索したとき、肌がざわりと逆立った。

「リュート!」

「──っ!」

 リュートは咄嗟にティリスの傍に立ち、レキナは慌ててみんなを家の中に促す。

 警戒しているベリルとリュートにマノサクスとセルナクスは怪訝な表情を浮かべていたが、吹き抜ける風の中に奇妙な音が混じっている事に気がついた。

 大きな獣がこちらに向かって駆けてくる。

 それは、地面を削りながら唸りを上げて眼前に現れた──セルナクスとマノサクスは突如、現れた獣に目を見開いた。

「なんだ、こいつ」

「え、見たことないよ。こんな獣」

 炎の如き体からほとばしる悪意に二人は思わず後ずさる。

「ボナパス」

 リュートは憎らしげにつぶやき、ティリスを後ろに後退させてゆっくりと柄を握った。

「あああ……。そんな──っ」

 恐怖におののくレキナの肩にベリルは手を添え、落ち着けと二度ほど軽く叩きながらボナパスの姿を見澄ます。

「やはり、改良されている」

 倒したボナパスに比べてふた回りほど小柄ではあるものの、その凶暴性は以前にも増しているように感じられた。

 真っ赤な胴体とたてがみはそのままに、口から覗く牙はさらに長く──尾は爬虫類のそれを思わせ、その頭には二本の角が生え帯電していた。

 見るからに以前のボナパスよりも厄介だと窺えてベリルは苦い顔になる。

 以前のボナパスのままであったなら、どちらが砲台であるかを今なら見極める事が出来たろう。

 思案する暇もなく、ボナパスの双頭が大きく口を開け赤い炎が勢いよく吹き出した。

 その瞬間、ベリルはそれがリュートやマノサクスたちから自分を遠ざけるためのものだと魔獣の目的を理解する。

 ボナパスは強靱な脚力で素早くベリルに接近し、行動を起こす間もなく腹部に噛みついた。

「ぐう!?」

 激痛で全身の筋肉が強ばり、途端に鉄の臭いが鼻腔に立ちこめ、生臭さが口内に充満し同時に赤い液体が大量に吐き出される。

「ベリル!?」

 ティリスは躊躇うことなくベリルに襲いかかった魔獣を凝視し、彼が話した考察を思い起こした。

 ベリルの言う通りかもしれない。この魔獣は、自分の意思で動いているようには思えない──

 ボナパスはリュートたちを威嚇するように唸ると、痛みに顔を歪めるベリルを咥えたまま、その場から走り去った。

「っ!? ──待て!」

 我に返ったセルナクスは慌てて翼を広げ、遅れてマノサクスもボナパスを追う。

「カルクカンを!」

 リュートの声に、レキナは仲間をうまやに向かわせた。

 そうして、誘導もなく駆けてきたカルクカンにリュートとティリスは各々、飛び乗るとセルナクスたちの姿を上空に捉えてカルクカンを走らせる。



 ──疾走するボナパスに咥えられたままのベリルは続く痛みに耐えていた。

「ぐ──っう」

 どこに連れていこうというのか。

 ベリルは震える手でショルダーホルスターからハンドガンを抜き、自分を咥えている顔に銃口を向けて引鉄を絞った。

 ボナパスは破裂音と共に右目に激しい痛みを受けて反射的にベリルを投げ捨てる。

「ベリル!」

 ひと足早く追いついたセルナクスが、慌ててベリルの元に降り立った。

「がは──っ」

 大量の血を吐いたベリルに気が動転し肩を掴むが、それを払われる。

「奴から目を離すな」

「しかし──」

 こんな状態で放っては置けないと再び掴んだベリルの腕は痛みで震えていた。当然だ、腹にはいくつもの大きな穴が空いているのだから。



 少し遅れてマノサクスとリュートたちが追いつく。リュートは飛び降りざまに剣を抜き、ボナパスの注意を自分に向けさせた。

「ベリル!」

 ティリスはベリルに駆け寄り、目の当たりにしたその姿に思わず両手で口を塞ぐ。服は真っ赤に染まり、おびただしい量の血が流れたのだと容易に想像できた。

 こんな状態でも生きている。死ぬはずの痛みにも耐えていたであろうベリルのこれまでを思うと体が震えた。

「ティリス」

「なに?」

「奴は私に執着している。これは好機だ」

 噛みついたときを計って魔法を放て。

「っ!?」

 ベリルの言葉に目を見開く。

 それはつまり、ベリルごとボナパスに魔法を撃てってこと?

「時間をかけてはいられない」

「そんな……」

 どうして? どうしてそんな風に言えるの?

「──や」

 聞こえた、か細い声にティリスを見下ろす。

「──いやだ」

 顔を上げ、強い拒絶を示したティリスの大きな瞳からは涙がこぼれていた。ベリルはそれに言葉を詰まらせる。

「いやよ。これ以上、ベリルが苦しむのは見たくない」

「気にする必要はない」

「キャノムのとき、痛みで気を失ったじゃない!」

 気絶するほどの痛みを味わったんでしょう!? 魔法を撃てば、そのときの痛みの比じゃない。

 死なないから、ずっとそんな痛みを受けてきたんでしょう? 痛みに慣れることが無いから、気を失うんでしょう!? なのに、どうしてそこまでするの?

「もう、嫌だよ」

 死なない人だからって、あたしが平気だとでも思う?

「ティリス」

 大粒の涙にベリルは後悔を覚えた。

 私自身がそうであるとしても、苦しみを与える者に気にするなとは、いささ専横せんおうだったか。

 戦いのさなか、死ぬ事のないベリルの前に立ち、盾になった仲間たちを思い起こす。彼らはベリルが不死である事を知りつつも、自らベリルの前に飛び出した。

 死ぬ事のないその身に受け続けなければならない痛みや苦しみを思うとき、彼らの足は自然と前に出ていた。

 迅速な完遂と、仲間が傷つかぬようにというベリルの想いは、傷つく姿を直視する者の心の傷までは考え及ばなかった。

「そうだったな」

 ボナパスを倒さなければと急くあまり、また同じ事を繰り返そうとしていた。彼女の強さに甘えていた己にいきどおる。

「すまなかった」

 言ってティリスの頭に手を乗せ、解ってくれた事に彼女は笑みを浮かべた。

「彼らが時間稼ぎをしてくれたおかげで回復した。他の案を探そう」

「うん!」

 ベリルは手にあるハンドガンの弾倉マガジンを抜き、予備の弾倉もティリスに差し出す。

「頼む」

「まかせて!」

 そうして魔法の乗った弾倉を受け取り、ボナパスの相手をしているマノサクスとリュートに合流する。

「行って」

「しかし」

 守り役として残ったセルナクスはティリスに促されて戸惑う。

「あたしなら大丈夫!」

「……解った」

 ティリスの瞳から硬い意思を見たセルナクスは強く頷き、剣を抜いて戦闘に加わるべく駆け出した。





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専横せんおう

[名・形動]好き勝手に振る舞うこと。また、そのさま。わがまま。

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