◆第五章-低迷-

第17話*犬すら食わない

 ──早足で戻ってきたレキナたちは住民に囲まれ、ボナパスを倒したのかと質問攻めに遭う。

 まだいるかもしれない可能性を今はまだ伏せている事にしたレキナたちは、複雑な表情を見せながら対応していた。

「ぽよ!」

「ぽよちゃん!」

 ティリスは胸に飛び込んできたピンクのスライムを抱いて再会の喜びに頬ずりをする。嬉しそうにしがみついているスライムにリュートは若干だが鋭い視線を向けていた。

「元の世界に還るかね」

 ベリルは、スライム相手に嫉妬の炎をあげているリュートに呆れながら尋ねた。

「え、でも。まだいるんだよね?」

 それなのに、どうしてそんなことを言うのだろうとティリスは怪訝な表情を浮かべた。

「可能性というだけで確認した訳ではない」

「そうだけど」

 返答に困ったティリスはリュートに視線を送った。しかし、

「そうだな」

「リュート!」

 驚いて見上げるがリュートは腕を組み、いつもの仏頂面をしているだけだ。意地悪で言っている訳じゃないのは解ってる。それでも、彼の態度がもどかしい。

「闘い方は理解した」

 どうにかなるだろう。

「でも──っ」

「リュートだけなら私も言わんがね」

「あたしのことなんて」

 心配しているのは解るけど。

「お前がいても足手まといだ」

 出し抜けに強烈なひと言をかましたリュートに、下手にもほどがあるぞと目を丸くしてベリルは頭を抱えた。

「確かに直接は闘ってないけど、支援で力になれるもん!」

「次も上手くいくとは限らん」

「ベリルがいるから大丈夫だよ」

 そこで私の名を出してはいけない。残りたい一心で私を強調するのは逆効果だ。

あいつベリルの言うことなら、聞くのか?」

 明らかにリュートの声色は低くなっている。ティリスは彼が怒っていることに気付いているのだろうか。

「え? ……う、うん」

 怒っている事には気付いているようだ。何に怒っているのかまでは気付いていないと思われるが。

「そのベリルが還れと言っている」

「還れなんて言ってないよ! 還るか? って訊いただけで」

 いま揚げ足を取ってはいけないティリス。こんなときだが、私は初めてリュートに名を呼ばれたな。

「同じことだ」

「同じじゃないよ! 全然違う!」

「元の世界に還りたくないのか!?」

「そ、そうじゃないよ。でも、ベリルが──」

 語気を荒げたリュートに一驚いっきょうし怯みつつもなんとか声を絞り出すがしかし、最後は言葉にならなかった。

 二人の喧嘩に誰も割って入る気がしないのは、やはり痴話喧嘩にしか見えないからだろう。

 ベリルは、自分が入れば余計にややこくしなるなと生温い笑みを浮かべて静観している。

「俺が、還ると言ってもか?」

「えっ」

あいつベリルのそばにいたいなら、残ればいい。俺は、還る」

 すねたな。実に解りやすい。

「リュ、リュート」

 突き放されてティリスは途端に不安になった。リュートと離れるなんて考えられない。

「あたし……還る! リュートと一緒に還るよ!」

「ティリス」

 マントの端にすがるティリスを見下ろす。冷静に振る舞っているように見えて、目がとても嬉しそうなリュートにベリルは薄い笑みを貼り付けた。

 なんなら若干、口元が歪んでいる。ティリスが下を向いているのをいいことに感情がだだ漏れしている。そんなリュートに、こいつはだめだと顔を覆った。

「私に任せて還ると良い」

「じゃあ魔術師メイジたちに話してきます」

 レキナは、やっと終わった喧嘩に苦笑いを浮かべてメイジたちのもとへ駆けていった。



 ──次の日、リュートとティリスの二人は元の世界に戻るべく、集まったメイジたちから儀式の手順を簡単に聞かされた。

 描かれた魔法円は二つ。還す側と還る側でそれぞれが立つというものだ。円の周囲には儀式に使われる材料が綺麗に並べられている。

「会えて良かった」

 ティリスはベリルの首に腕を回し別れを惜しむ。リュートをちらりと見れば、別れのときにまで怒るほど心狭くはないらしい。

 ただし、顔はこちらを向いてはいない。

「元気でな」

 ぽんと軽く背中を叩き、リュートのいる魔法円に入るティリスを見送る。

 香が焚かれ、二メートルの魔法円のなかにこんなにいたのかと思うほどコルコル族のメイジたちが詰め込んでいた。

 彼らは大体が内向的で、あまり人と接することを好まない。人嫌いという事ではなく、関係を築く期間を面倒だと感じているのだろう。

 そうして鈴の音が合図となり、不思議な言葉が紡がれ双方の魔法円が輝きを放ち始めた。

 いよいよかと思われたとき──

「発動しない!?」

 輝きが失せてメイジたちは騒然となった。もしや詠唱か手順を間違えていたのかと一斉に古文書に群がる。

「やはり発動しないか」

「どういうことだ」

 呟いたベリルにリュートは眉間のしわを深く刻む。

「そんな気はしていた」

「あんた。解っててやらせたのか」

 しれっと答えたベリルに目を吊り上げる。

「予想通りになるとは限らないだろう」

「だったら初めからそう言え!」

「リュ、リュート」

 ティリスはリュートをなだめつつ、まだみんなといられるんだと顔をほころばせた。

「意識していない段階での経過と結果が見たくてね」

 話してしまうと、その時点で結果に変化が生じる可能性がある。

「貴様……」

 気を揉んだティリスの気持ちはどうなるんだと怒りの感情がふつふつとリュートから伝わってくる。

 だったら、すねて残ればいいとティリスに言ったお前はどうなんだと心中で発しベリルはその視線を受け流した。

 図らずも、リュートが向ける感情に私はこうも反応している。なんだかんだで幾らか、珍しい事だが彼らの感情に乗せられているようだ。

「何故、解ったんだ」

 リュートの問いかけにベリルは空を示す。

「ようやく、少しだが大気が読めるようになった」

 天候を読む事は戦闘においても役に立つ。ベリルは特に、それらに長けている。

「それで?」

「詳細までは理解し得ないが、バランスが崩れている」

 かなり漠然とした感覚に確証は掴めていない。

「あんた──」

 どこまでこの世界に馴染んでいるんだと絶句した。

「どこに行っても暮らせそうだな」

「仕事柄、その努力はしている」

 そんなレベルの問題じゃないだろうとリュートは困惑の表情を浮かべた。

 要請を受けた場所が清潔な街なんてことはさほど無い。破壊された町であったり、砂漠地帯だったり、ジャングルや熱帯雨林だったり。

 様々な困難に見舞われることもよくあり、適切な対応が求められる。もちろんのこと、住民の救助それ以外の要請を受ける事もある。

 その中で、現在もほぼ百パーセントに近い成功率を保ち続けているベリルは驚異的といえるだろう。

「しばらくはゆっくりすると良い」

 そう言って夕飯の手伝いに向かう。

「リュート。行こう」

 笑顔のティリスに安堵するものの、心配事がまだ続くのかと溜息を吐き出し、リュートは彼女の背中を追った。



 ──その夜、ベリルたちはこれからの事を話し合うため、広場に集まっていた。

「バランスが崩れた原因を探れば、元の世界に還る算段もつくだろう」

「俺たちが原因ならば、どうしようも無いんじゃないのか?」

「それなら、むしろ解決したも同然なのだがね」

 原因が三人であるなら、すぐに調べる事が出来るのだから。

「私には知らないものが多すぎる」

 バランスが崩れていると気付いたものの、原因ではないものを取り除いていくにはまだまだ理解や知識が不足している。

 かと言って、彼らの文字を学ぶには時間がかかる。異なる世界の言語を勉強する機会だと思えば実に魅力的ではあれど、今はその余裕はない。

「あの」

 ティリスの声に、レキナやラトナの視線が一斉に彼女に注がれた。

「これ。なんですか?」

 凄く美味しい!

「スフレチーズケーキだよ」

「ふわふわで溶けるような食感!」

 唐突に会話をぶった切られたレキナたちは呆気にとられ、そういえばベリル様が作っていたなと思い起こして張り詰めていた空気が和らいだ。

「気に入ってもらえて何よりだ」

 スフレとは、フランス語で吹くという意味なのだが、このチーズケーキの発祥は日本だと言われている。

「これまでにして、また明日にでも話し合うとしよう」

 ベリルはそう言い残し、集落から少し離れた所で星空を仰いだ。



 ──翌朝、ベリルはこの世界についてレキナに尋ねる。

「僕らの世界には、四つの大陸と天空に浮かぶ大陸の五つがあります」

「空に大陸があるのか」

 実に興味深い。

「はい。天空大陸ウェサシスカと言って。そこには、有翼人のリャシュカ族が住んでいます」

 翼を持つ種族がいるとは面白い。

「左下がコルレアス大陸で、隣にあるのがエナスケア大陸までお話ししましたよね。その上にあるのがギュネシア大陸と言って、爬虫類族が住んでいます」

「ほほう」

 コルレアスはコルコル族のような獣人族が住み、人間のいるエナスケアにはエルフも住んでいる。

「そして左上にあるシャグレナ大陸は極寒の大地と言われていて、魔力マナがほとんど流れていない土地です」

 マナがあまり流れていない事で土地はやせ細り、動物も少なく気温も低い。山には常に薄く雪が被っていて、どんよりと曇った空が肌寒さをより際立たせている。

「特殊な土地ですから、珍しい植物が生えていて、錬金術師たちがその採集に行くくらいですかね。この大陸に特化した種族もいます」

「ふむ」

 天空大陸は大気の流れに乗って移動しており、四つの大陸の上空を不定期に回っているらしい。

 科学的な理由とはかけ離れたものである事は明白だが、どういう理屈で浮いているのか興味は尽きない。

「僕たちの世界は、全てマナによって支えられています」

「マナ──偏在する超自然的なエネルギーか」

 という事は、大陸が浮いているのもそのマナによるものだろう。それをどのように使い、巨大な物体を浮遊させているのかはまるで見当も付かない。

「大気のバランスが崩れているということは、マナが何かしらの理由で揺らいでいるのかもしれません」

 魔術師メイジの一人、ステムが口を開いた。

 人間で言えば二十三歳ほどとまだ若く、その力は目を見張るものがあるとメイジ長のお墨付きだ。

 灰色の毛に百二十五センチほどの背丈で深い青色のローブに身を包み、トネリコの木で造られた杖を持っている。

 その杖には、シャラシャラと耳障りの良い音を響かせる銀細工の飾りが取り付けられていた。

 彼ら魔術師メイジ魔法使いソーサラーと違い、儀式的な手順で魔法を発動させるため、準備する品物も多く詠唱も旋律的で長い。

 魔法を発動させるには二人以上が必要な場合が多く、魔法使いソーサラーのように詠唱や手順を省略する事も出来ない。

 旅をすることのない彼らならではの手法だ。しかし、それだけ厳正なものであるが故に強力で、ベリルたちは見事に召喚される事となった。

「マナを調べる必要がありそうだ」

「はい。それには、リャシュカ族の助けがいります」

 ベリルの言葉にステムは頷いて応える。

 天空大陸ウェサシスカに住む有翼人リャシュカ族は、最もマナの影響を受けている種族のためマナの変動には敏感だ。

「それなら、とっくに気付いているんじゃない?」

「ええ、ボクもそう思っています。もしかしたら、彼らが何か知っているかもしれません」

 聞いていたティリスの問いかけにステムが小さく唸る。すでに気付いているなら、彼らが何かしらの対処をしているかもしれない。

「その、リャシュカ族とやらには会えないのか?」

 リュートは眉を寄せステムに質問した。

「ウェサシスカが今どこにいるのか解らないと無理ですよ」

 何せ、流れにまかせて移動していますからとレキナは答える。コースはほぼ同じなのだが、気候によって移動速度は変化する。

「速度やコースを変更する事は可能らしいのですが、よほどの事がない限りはやりません」

 シャノフは答えて肩を落とした。

「ティリスねえたん。遊んで!」

「うん。あっちで遊ぼう」

 子どもたちの乱入に会話を一時中断し、一同は休憩に入る。

「リュート」

 ティリスの元に向かおうとしたリュートはベリルに呼び止められ顔をしかめる。

「お前に用がある」

 あごでついてこいと示され、嫌々ながらも付いていく。

「あちこち破損しているそうだ」

 ベリルは家屋が集まる場所で立ち止まり、壊れている箇所を軽く手で示していった。コルコル族の人々は、大工道具を抱え期待の眼差しでベリルたちを見つめている。

「その図体を活かせ」

 言ってベリルは屋根に登り、道具や材料を手渡せとリュートに指示を出す。

 リュートが乗ると穴を大きくしてしまうが、その身長のおかげで梯子はしごは必要がない。

 コルコル族には重たいものも難なく運ぶリュートに羨望の眼差しが注がれ、修繕作業は滞りなく進められた。

「ありがとうございます。助かりました」

 レキナはベリルとリュートに深々と頭を下げる。

 ボナパスの凄惨な攻撃に遭ったコルコル族の人々は、これまで恐怖で何も手に着かず、家屋は壊れたままになっていた。

「他にあれば言うと良い」

「はい。ありがとうございます」

 そうして、修繕を終えたベリルはロールケーキを作るため野外調理場に向かい、リュートは子どもたちと遊んでいるティリスを見守っていた。

 ティリスの笑顔にリュートの口元も緩む。

 還ることが出来るなら、還りたいという気持ちは嘘じゃない。戻った世界が安全などでは決してないが、俺たちには俺たちの世界がある。

 例え、俺の存在が受け入れてもらえなくとも──そんな思考を過ぎらせたとき、大きな羽音がしてリュートの背後で何かがドサリと落ちた。

 すかさず立ち上がり腰の剣に手を添えて振り返る。

「す、すまない! 長老はいるか!?」

 翼の生えた人間が息を切らせて倒れていた。リュートは説明で聞いていたリャシュカ族をすぐに思い浮かべる。

 青年だろうか。銀色の髪と縦長の瞳孔、その目は淡い水色で百九十センチほどと長身だ。

「一体どうしたんですか?」

 レキナが慌てて駆け寄る。

「長老を呼んでくれ。話さなきゃならないことがある」

「リュート。もしかしてあの人」

「ああ。たぶんリャシュカ族だ」

 しかし、随分と急いでいる。何かあったのか。

「連れてきます」

 レキナは長老を呼びに行こうとしたが、複数の羽音に足を止め顔を上げる。

「え?」

 リャシュカ族が五人ほど空に見えてレキナは戸惑った。物資の受け渡しくらいでしか、彼らが大勢でここに来ることはないからだ。

 そうこうしているうちに、降り立った有翼人たちはリュートとティリスをたちまち取り囲んだ。その瞳は一様に険しい。

 状況は読み取れなくとも、友好的でない事は明瞭めいりょうだ。言葉もなく組み伏せるつもりなら、こちらにも抵抗する意思がある。

 リュートは柄を掴む手に力を込めた。しかし──

「ぐっ! う」

「なに、これ!?」

 リャシュカ族は手にある錫杖ワンドを二人に向けて口の中で何かを唱えると、高い音が響きリュートもティリスも動けなくなった。

「何をするんです!? やめてください!」

 レキナは必死に止めようとするも、一人のリャシュカ族が前に立ちそれを阻んだ。

「コルコル族の者よ。すまないが、彼らはもらっていく」

「どういうことなんですか? どうしてリュート様とティリス様を──」

「セルナクス! やめろ!」

 初めに飛んできた青年がリーダーらしき男に詰め寄った。セルナクスと呼ばれた男は、赤い目でその青年を睨みつける。

「マノサクス。裏切るのか」

「そんなつもりは──っ」

「連れていけ!」

 セルナクスは怯んだ青年を鼻であしらい、濃いグレーの髪をかきあげる。

「うわっ!?」

 その声にセルナクスが振り返ると、仲間に斬りかかっている影を目にして苦い顔をした。しかし、見たところ小柄で強いようには思えない。

「これは何の騒ぎだ」

 ベリルは鋭くセルナクスを見やると、手にしている剣を向けて闘う意向を示す。その気迫に瞬刻、リャシュカ族たちは気後れした。

「人間に構っている暇はない」

 セルナクスは言い捨てて翼を羽ばたかせ強い風を巻き起こした。どうやら、ベリルをエナスケア大陸に住む人間だと思ったらしい。

「ぬ?」

 風の相手をしている間にリャシュカ族たちはリュートとティリスを上空に連れ去っていた。

「──チッ」

 咄嗟にハンドガンを抜いて狙いを定めるも、距離が開いてしまったため諦める。

 あれはリュートとティリスの存在を把握したうえでの行動だ。どこで彼らの存在が知られたのか。

「説明してもらえるかね」

 銃を仕舞いながら、へたり込んでいるマノサクスに目を向ける。

「う──」

 見下ろすベリルの瞳は、決して優しいものではなかった。

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