第6話*沼に杭
──二日目の朝、広場の切り株に何かの生物が描かれたA3サイズほどのクリーム色の紙が広げられた。
「絵師に描いてもらったものです。名前はボナパスと名付けました」
意味はコルコル族の言葉で<怒りの者>──全身が真っ赤な固い毛に覆われていて、その姿は二つの頭を持つ獅子といったところか。
「大きさはリュート様の二倍ほどです」
「でかいな」とリュート。
「そんなに大きいの?」
「特殊な能力はあるか」
ベリルの問いかけに、レキナは険しい表情を浮かべた。
「炎を吐きます」
「炎……」
表情を苦くしてリュートはボナパスの絵を見つめる。
「およそ三メートルとした場合、体長は五メートルほどと推測される。見た目から、動きは機敏だろう」
ライオンと比較しても、その危険度は数倍以上か。倒すには骨が折れそうだとベリルは小さく唸る。
「この時期の天候はどうだ」
「今は大きな嵐もなく、雨期も終りましたから長期間の移動も楽です」
「ふむ」
嵐や雨の心配がないだけましか。あとは闘ってみない事には判断がつかない部分が多すぎる。
「七日以内に出発する」
「え?」
唐突な提案にティリスは思わずベリルを凝視した。
確かに、モンスターを倒す目的で召喚されたけれど──知らない場所、知らない魔獣を相手に、どうすればいいのか解らない。
「環境には慣れてきた頃だろう。いつまでもここに長居してはいられない」
「それは、そうだけど」
言葉が続かずティリスは目を伏せて黙り込む。
「悩むより楽しめだ」
ティリスの肩を軽く叩きベリルは「用事がある」と、どこかに行ってしまった。
「悩むより、楽しむ」
そうだ。知らない場所だもの、どれもみんな新鮮で新しい空気なんだ。見た事もないものが沢山、待ってる。
「ボナパスが来れば、彼らからまた犠牲者が出るかもしれん」
「え?」
リュートがぼそりと発した言葉に、ティリスは集落を見回した。
「だから、
みんな優しくて、可愛くて……。これ以上、悲しい思いをしてほしくない。傷ついてほしくない──おのずとそんな想いが湧いてくる。
誰かにすがらなければならないほど、彼らは切羽詰まっていたんだ。
「お前もついてくるんだろう?」
「え? リュート、頼みをきくの?」
「お前が断るなんて初めから思っていない」
助けを求める者の手を、お前が振り払うはずがないからな。
「うん」
ありがとう。
──夕暮れ、入浴中のティリスを気に掛けながら、リュートは旅の支度をしているベリルに歩み寄る。
「随分、人を動かすのに慣れているようだな」
カルクカンでの事を言っているのだろう。動物の動きを即座に掴み、レキナたちに的確な指示を与えていた。
「それなりに指揮を経験しているのでね」
リュートから話しかけられた事に珍しさを覚え手を止める。慣れない土地のため、早めの準備をしているが出発はまだ先なのだから急ぐ必要はない。
そんな二人の元にレキナがやってきた。
「案内は僕とシャノフ、ラトナがします」
レキナはそう言って、もう一人のコルコル族の男性を紹介した。レキナよりも少し濃いめの毛色をしている。
「よろしく頼む」
「こちらこそ!」
ラトナは嬉しそうにベリルを見上げた。
薄い栗色の毛並みは、日頃から狩りで日焼けしている証だろう。獲物を追いかけて遠出する事もあるらしく、なるほどこれは心強い。
三人の背中を見送ると当然ながらリュートとベリルは二人きりとなり、気まずい雰囲気が漂う。
リュートの張り詰めた気配にベリルは目を細めた。
まだ信用されていない。それがはっきりと見て取れる。見知らぬ世界のましてや、まったく文化の異なる人間が同じ勇者というのだからそれも当たり前の事だろう。
何より、ティリスを守るという役目はリュート以外にはつとまらない。
「置いていくのは無理だろう」
それにリュートは驚いてベリルと見合う。
「俺の言おうとした事が、どうして解った」
ティリスと話して、やはり初めから心は決まっていたのだと再確認しても尚、置いて行きたいという気持ちは拭えない。
知らない世界での旅がどうなるのかも解らないうえに、ボナパスは危険過ぎる。
「得体の知れない魔獣を相手にするのだから、連れていきたくはないだろう」
発して見上げる瞳は、全てを悟っているように思えてリュートは視線を逸らした。
「彼女は一人で残るほど、弱くも強くもない」
その言葉に顔をしかめる。
多くの人間と関わってきた経験からきている言葉なのかもしれないが、ティリスについて解った風に言われるのは、やはり面白くない。
「出来る限りの補助はしよう。円滑な旅のために、私の指示には従ってもらいたい」
「あんたに何が解る」
それは、戦闘に対する物言いだ。
見たところ、お互いの世界はまるで違う。魔法を知らないとも言っていた。俺たちの事をまったく知らない奴が、どうやって俺やティリスを動かすというんだ。
「闘い慣れしている事はこれまでの言動で解っている」
身体能力においても期待出来るだろう。
「ならば、そこからプラス要素を追加すればいい」
なるべく手持ちの情報のみで闘う方法を模索する。
ベリルがそう語るのは、未だ具体的な能力をリュートから聞かされていないからだ。強い力を持ちながら、それを話す事を躊躇っている。
彼らにとって話せない理由があるのなら、無理に尋ねる事はこれからの戦闘に支障を来す恐れとなる。
「お前が残ればいいかもな」
挑戦的な目でベリルを見下ろす。なんの力もないと言っていたなら、それも一つのてだ。
「考えておこう」
ベリルは言って、
──そうしてリュートはベリルと別れ、思案しながら集落の中を歩いていた。
プラス要素……その言葉がひっかかった。俺に、それがあると気付いているのかと苦い顔になる。
そんなとき、聞こえた水音に思考がかき乱された。
ふと視線を上げると、そこには浴場があり、しかも女性側であると解ったリュートは動きを止める。
人間用にと簡易で作られたものであるためか、誰かが入っている音が筒抜けとなっていた。
確か、ティリスが入浴中だ──リュートはゴクリと喉を鳴らし一歩、足を出す。
「ティリスはもう上がったぞ」
しれっと発したベリルに体を強ばらせ、遠ざかる後ろ姿を呆然と見つめた。
「なぜ知っている」
「さきほど会った」
ヒラヒラと軽く手を振り、夕食の調理を手伝うべく野外調理場に向かう。
今回は彼らの文化を学ぶため、調理自体にはあまり関わらず詳しい作り方を知るために手伝いに加わる。
──夕食、いつものように広場で楽しい食事が始まった。リュートたちは彼らの食事にも慣れたようだ。
自分たちの世界となんら変わりない味と調理法に、料理を手伝っているベリルの世界も似たようなものなのだろうとティリスたちは推測した。
初日から手伝っているベリルもそれは感じており、兎や野鳥、昆虫類にもそう目立った違いはないように思える。
とはいえ、そう感じるのは集落の周りにいる生物であって、ここから出ればそうもいかないだろう。
マレストという野草はミントに似ているし、パイプ草は煙草そのものだ。
名前の通り、木製のパイプに乾燥させた草を刻んで香料を加えて詰め込み火をつけて煙を吸って楽しむ。
葉巻と同じく、肺まで吸い込まず煙の味と香りを楽しむ嗜好品だと窺えた。見た目や作りも、アメリカやヨーロッパで使われている
料理に使用する基本的なハーブはおおよそ理解した。今後の旅に役立つだろう。保冷バッグやクーラーボックスがないのは残念である。
「ふむ」
ベリルは楽しそうに食べているティリスを見やり、何やら思案した。
──食事を済ませたリュートとティリスは、昨日と同じように時間を潰していた。
のんびりしているようでも、時折ティリスが小さく溜め息を吐いているのをリュートは確認しながら見ていない振りをする。
「え?」
ティリスは、ふいに目の前に置かれた皿を見下ろした。
「え、可愛い!」
綺麗に飾られたパンケーキに驚き、色んな角度から眺めつつ可愛いを連呼する。
スタンダードパンケーキの上に生クリームと数種類のベリーが盛り付けられアクセントにマレストがちょこんと乗せられている。
「気に入ってもらえたかな」
「作ったの!?」
ベリルの手作りだと知って大きく瞬きをした。
「良い気分転換になる」
「ありがとう」
彼の世界では、みんなお菓子作りや料理上手なんだろうかと考えながらフォークを手にとる。もちろん、そんな訳はない。
周りでは、子どもたちがベリルの作ったドーナツを持ってはしゃぎ回っていた。
どうやら、この世界にもケーキやクッキーに似た焼き菓子はあるらしく、作りたいものをサレファに説明すると直ぐに理解してもらえた。
「べりるー。ありがと」
「べりるべりる」
子どもたちが嬉しそうにはしゃぎながらベリルにしがみつく光景を、ティリスは微笑ましく眺めた。
リュートは当然ながら、またティリスに絡んできたベリルが面白くない。気遣ってくれていると解ってはいても、面白くないものは面白くない。
「ん?」
そんなリュートに、一人の子どもが持っていたドーナツを差し出した。
「いや、俺は……」
子どもは、まごつくリュートに首をかしげて受け取るのを待っている。
どうしようかと戸惑っていると、目が合ったベリルに受け取れとあごで示され仕方なく渋々、受け取ると、その子はにこりと笑って再びドーナツを取りに走って行った。
それを見ていたティリスはクスクスと笑みをこぼす。
「きっと、仲間はずれにされてると思ったんだよ」
「……ふん」
リュートは、ばつが悪そうにドーナツを口にして顔をしかめる。それにまたティリスは笑った。
「無理しなくていいよ。苦手でしょ」
そう言って伸ばした手にドーナツを乗せる。
「ベリルは平気なのね」
「好き嫌いはない」
「何を飲んでいる」
ベリルが持っている、いつもと違う金属のコップに眉を寄せた。
「お酒です。少し苦みはありますけど」
レキナの説明にすかさず反応し、
「酒があるのか?」
「はい。ありますよ」
お酒を造って売ったりもしています。
「僕たちの造るお酒は結構、評判いいんです」
「お酒飲みながらドーナツ食べてるの?」
ティリスはベリルに唖然とした。
「悪くない」
言ってカップを傾ける。
甘いものをつまみにする者もいるが、ベリルは特にそれを好むという訳ではない。甘いものでも酒が飲めるというだけで、普段はナッツやチーズ程度だ。
加えて、必ず食べ物が必要という事でもない。
「俺にも酒をくれ」
「解りました」
「ん~。しあわせ」
パンケーキを口に含んだティリスが美味しそうに満面の笑みを浮かべる。そんな彼女の表情にリュートは目を細めた。
ベリルでも気付くほどの感情が二人から読み取れて、なんとも噛み合わないものだと薄く笑みを浮かべる。
もちろん、これは面白いとリュートをおちょくる気でいる。
彼には幾つかの通り名があり、そのなかに「悪魔のベリル」というものがある。
悪魔の如く狡猾で抜け目がないという意味合いから名付けられたものであるが、もう一つ。
ベリルは人をからかう事を楽しむ傾向がある。そんな彼にとって、リュートは格好の獲物だろう。
今後のリュートに同情さえ覚える。
──そうして夜も更け、集落の周りは暗闇に包まれる。ベリルは篝火の炎を視界全体で捉えながら、広場の向こうにある暗闇を見つめていた。
夜は静かではない。むしろ騒がしいと言ってもいい。様々な声や木々のざわめきにベリルは耳を傾けていた。
リュートも同じく酒を飲みながら、ベリルの様子を窺う。青年にとって、ベリルは鼻持ちならない輩というだけでなく、気が抜けない相手でもある。
パンケーキをたいらげ、ドーナツを口にしながらティリスはこれからの事を考えていた。
本当にあんな魔獣を倒せるのだろうか。ここで死んだら、あたしはどうなるんだろう。不安が不安を呼び込み、嫌な思考がぐるぐるまわる。
それぞれに明日の事を考えていたそのとき、暗闇からじわりと黒い影がベリルにいくつもの手を伸ばしてきた──
※沼に杭:手ごたえがなく、ききめがないことのたとえ。類語としてほかに、糠に釘(ぬかにくぎ)、暖簾に腕押し(のれんにうでおし)、泥に灸、など。
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