◆第二章-悪魔の名を持つ者-

第5話*犬も食わない

 ──夕食も終えた一同は、月のない星空を眺めつつ食後の余韻に浸っていた。

 ティリスは大きな木の下で寝転んでいるベリルを見やり、おもむろに立ち上がる。

「おい」

「大丈夫」

 少し話がしたいだけだからと、歩いて行くティリスの背中をリュートは黙って見送った。

「ん?」

 星空を仰いでいたベリルは、隣に腰を掛けたティリスを見上げリュートに目をやる。

 しばしの沈黙のあと、

「あたしたち。これからどうなるのかな」

 見下ろす小さな笑顔には、少しの不安が見て取れた。

 元の世界に戻る事が出来るのかすら解らないのだから、無理もない。環境については双方、共にこの世界に順応可能な範囲であった事は幸いだ。

 彼女の不安を取り除きたいのは山々だが、この状況で理想や推論を口にするのは今後に危険を孕ませる要素となり得るため、避けたいところではある。

 彼女は決して、リュートに不審を抱いている訳ではなく。ただ、同じ立場である者同士の仲間意識と、僅かでも多くの安心感を得たいのだろう。

 とはいえ、私も空気が読める方ではない。上手い言葉など、そう出てきはしない。

 それでも考えあぐねた結果──

「とりあえずは眠る事だ」

 明日のために体調を整えなければな。

「環境に慣れる事だけに集中すると良い」

「レキナの頼み。聞くんですか?」

「私はそのつもりだ」

 どこにいようと要請があるならそれを受ける。

「幸い。私向きの内容のようだしね」

 ベリルの笑みに同じく笑顔で返し、ふと目を伏せた。

「あなたって、リュートに似てる」

「ほう?」

「さっき、子どもたちに笑いかけたでしょ。それが似てたの」

 優しいけど、寂しそうな瞳。強いけど、どこか儚げで……。

 そうつぶやいたティリスの横顔を一瞥し、ベリルはこれからの事を思案して目を閉じた。



 ──翌朝、目が覚めたティリスが広場に行くと、ベリルとレキナたちが集まって何か話し合っていた。

「どうしたの?」

「馬を捕まえる」

「馬?」

 聞き返したティリスにあごで示す。

「彼らの馬では無理がある」

 視線の先を見やると小型の馬、ポニーに似た動物が目に映った。

「例のモンスターは、東の洞窟に住み着いているらしい」

 魔術師メイジたちの千里眼で見たところ、森の中にある洞窟にいるということだ。

「ここから十数日はかかります」

 レキナが地図を広げて続ける。

「ここが僕たちのいる大陸。コルレアス大陸です」

 言いながら左下の大陸を指差した。手書きの地図は長らく更新されていないのか、色あせて乱雑に記されたメモ書きは読み取りづらい。

 もっとも、かすれていないとしてもこの世界の文字など読めない。どことなくキリル文字に似ている。

「人間は」

 ベリルの問いかけに右下の大陸を示す。

「ここです。エナスケア大陸。海流が激しくて、僕たちには越えられません」

 海から遠い彼らの集落に大きな船など、あるはずもなく。この大陸には、長距離を飛べる飛行能力を有する生物もいないとの事だった。

「エナスケアには、ワイバーンという翼竜がいるんですけど」

 その名を聞いて、この世界にいるのかとベリルは切れ長の目を丸くした。

 想像の産物でしかないと思われていたが、こちらでは実在している事に驚きだ。私はそちら方面には詳しくはないものの、ドラゴンの眷属という事は聞きかじっている。

 なるほど、勇者を召喚しようという気にもなるか。とはいえ、私が勇者として適切かどうかは、はなはだ疑問ではある。

 闘う事なら出来よう。しかし、魔法というものを持ち合わせてもいなければ、見た事もないのだから対処の仕様がない。

 そちらは、この二人に任せるとしよう。



 ──そうしてコルコル族の若者たち数人とベリルの三人は、集落からしばらく歩いた所にある草原を訪れた。

「あれか?」

 リュートは遠方に動く影を見つける。

「そうです。あれです」

 レキナは答えて指差した。

 それは群れでいるらしく、数十頭ほどが固まってのんびりと草をんでいる。

「トカゲ?」

 ティリスは目を凝らし、見えた姿に眉を寄せた。

「ふむ。全体的なイメージは恐竜のようだが、顔つきはウミガメに似ている」

 よく見えるなとベリルに顔を向けたリュートは眉間にしわを刻んだ。

「それはなんだ」

「双眼鏡」

「ソウガンキョウ?」

「遠くを見るのに使う」

 しれっと答えるベリルに、そんなものがあるのかと驚き、他にはどんな物を持っているのかと気になった。

「わあ。よく見える!」

「ここでピントを調節する」

「ピント?」

「焦点のことだよ」

「凄い! 近くにいるみたい!」

 リュートはベリルから双眼鏡を借りて楽しそうにはしゃぐティリスに呆れて、何度目かの溜息を吐いた。

「カルクカンです。すばしこくて、なかなか捕まえられません」

 その体にウロコは無いが表皮は爬虫類のように硬く前足がなく、その動きはダチョウを思わせる。

 体長は二メートルほどで、体と目の色は緑や赤、青や黄緑と様々だ。

「すまんが少し無理をしてもらうぞ」

 ベリルは馬の体をさすり、レキナからロープを受け取る。

「言った通りに頼む」

「はい」

「解りました」

 レキナと他の若者たちもそれぞれ馬にまたがり、カルクカンを見つめて合図を待つ。

「何をする気だ」

「あれを捕まえる」

「え?」

 あれを? ティリスは改めて群を見やった。

 とても足が速そうなんだけど大丈夫かな。申し訳ないけれど、レキナたちの馬では敵いそうにない。

 レキナたちはカルクカンの群れを中心にして遠巻きにゆっくりと回り込み、一気に馬をベリルの方に走らせた。

[クワー!]

 カルクカンは驚いて逃げようと体を反転させたが、そこにベリルが待ち構えていた。輪にしたロープを頭上で振り回し標的の首にそれを投げる。

 輪はカルクカンの首にかかり、くいと引っ張ると輪が絞まって見事、捕獲に成功した。

「すごい!」

 ティリスは駆け寄ってカルクカンを見上げた。

「まずは一頭」

 興奮するカルクカンの首をさすり落ち着かせる。以前、カウボーイたちから教わった投げ輪がここで役に立つとは思わなかった。

 派手に立ち回ったせいで他のカルクカンは逃げてしまったようだ。

「休憩といこう」

 ベリルが言うと、様子を眺めていた一人の若者が持っていた大きなバスケットを持って駆けてきた。

 敷物を広げて腰を落とし、中身を取り出していく。

「いつの間に?」

 ティリスは、並べられた人数分のサンドウィッチに目を白黒させた。

「ベリル様が朝早く起きて作ってくださったんです」

 レキナはにこにこと水筒からコップに飲み物を注ぐ。

「ベリルが!?」

「早くに目が覚めてね」

 味見をしながらの作成で少々、時間はかかったが出来は良いと口に運ぶ。

「美味しい。作り方、教えてくれますか?」

「戻ったら教えよう」

 そのやり取りにリュートの顔が引きつった。



 ──食事を終えてベリルたちは再びカルクカンの捕獲に腰を上げる。

「お前が可能ならば楽ではあったのだがね」

 リュートを見やる。

 どんなに器用でも、馬があれでは不可能だ。

「まあ良い。彼らの今後のためにもなるだろう」

 普段から狩りをするというコルコル族の若者、ラトナにも輪投げを教えていたベリルは、見て大体は解っただろうと次は二頭同時の捕獲を試みた──

「わあああー!? すみません!」

「気にするな。少し休憩しよう」

 緊張でどうにも上手く連携が取れないようだ。輪はカルクカンの首から外れ、群れが散らばって逃げてしまった。

 これほど頻繁に休憩を挟むのは馬のためだ。ベリルを乗せた馬は、コルコル族を乗せているときよりも疲れやすい。

 小さい馬はさすがに扱いが難しくベリルも手を焼いていた。

 カルクカンを三頭分、用意するのはリュートやティリスも彼らの頼みを受けるかもしれないからだ。

 ベリルは腕時計に視線を落とし、今は違和感なく時間を刻んでいる事を確認する。

 作った日時計からこちらの時刻に合わせているものの、一日が二十四時間ではないのか時計が何らかの影響を受けているのか、朝には若干ずれていた。

 GPSから得られる情報はここでは望めない。それでも、無いよりはましだ。電波時計ということも時間のずれの原因かもしれない。

 気を取り直し、カルクカン捕獲にと立ち上がった。緊張に鼻息の荒いラトナの背中を軽く叩き、笑顔を見せて馬にまたがる。

「よ、よし!」

 ラトナは意を決して同じく馬にまたがった。

「がんばってー!」

 ティリスの声援に応えるようにラトナも手を振り、いざ捕獲開始──



「やりました! やりましたよベリル様!」

「よくやった」

 褒められた嬉しさにラトナは照れているのか、耳をこれでもかと下げている。

 ティリスはそんなラトナがあまりにも可愛くて仕方がなかった。

「さあ、戻りましょう」

 レキナの合図で一同は帰り支度を始める。



 ──帰路の際

 ティリスはリュートの言葉に従って馬に乗り、手綱を引く彼を心配そうに見つめる。

「大丈夫……?」

「お前くらいの重さなら問題はないだろう。走る訳でもないしね」

 少女らしい優しさにベリルは笑みを見せて応えた。

 乗ってみて解ったが、この馬は小さいけれど力はある。しかし人間を乗せての旅は無理だろう。

「戻ったら、さっそく鞍を作ります」

「頼む」

 暗くなりかけた空を仰ぎ、ベリルたちは草原をあとにした。



 ──集落に戻るときにはすっかり日は暮れ、ラトナたちは捕まえたカルクカンをうまやにつなぎに行く。

 引かれていくカルクカンをリュートはじっと見つめた。

「あれは大人しい性格で、人にもよく慣れるそうだ」

 噛みつく事も滅多にないらしい。

 言ったベリルを一瞥し、リュートはティリスの元に足を向ける。

「嫌われたか」

 無言で遠ざかる背中を溜息交じりに見送った。

「ね、リュート。あたし、さっきの緑の目のコがいい」

 ティリスはすでに自分の乗るカルクカンを決めているようだった。

 まだ頼みを受けるとは言っていないのにとリュートは苦い顔をする。こうなるとは解っていても、他の方法を模索して然るべきだ。

「ベリルは?」

 先ほどから見当たらない。

「あ、サレファ。ベリルはどこ?」

「夕食作りのお手伝いをしてくれていますよ」

 通りがかりに尋ねられたコルコル族の女性、サレファは快く答える。ほんの一日でコルコル族は三人を受け入れたようだ。

「え……」

「体がなまるからと言って」

 もうすぐ出来ますから待っていてくださいねと遠ざかる後ろ姿を、ティリスは呆然と見つめる。

「……初めて来た時も、ベリルは手伝ってたよね」

「そういう性分なんだろ」

「あたしも何か……」

「お前は何もするな」

「どうしてよ」

 続く言葉をぶち切られたティリスは、ムッとしてリュートを見上げる。

「料理が出来るか?」

 うぐっ!?

「で、出来るもん!」

「人間の食えるものを?」

「──っ!」

 ティリスは声を張り上げかけてぐっとこらえた。

「美味しくないだけで……。手伝うだけなら、あたしにだって」

 スネたように口を尖らせる。

「昨日の夕食はあいつが作ったらしい」

「知ってたの?」

「そう言っていたのを聞いただけだ」

 お前はすぐに好奇心を出して迷子になるんだから、俺の近くにいろ。

「ぐっ……」

 そんなことはないと言い切れなくて言葉に詰まる。

「お姉ちゃん遊んで!」

 コルコル族の子どもたちが威勢良くティリスに抱きついた。

「うん!」

 どうしようもない可愛さに、たったいま言い合っていた事もすっかり忘れ、目を輝かせて大きく頷いた。

 子どもたちの手をとって遊び始める様子を眺め、リュートは疲れたように深く息を吸い込んだ。

「喧嘩はよくないな」

 夕食の準備を済ませたベリルが手を拭いつつ背後から声をかけた。

「……誰のせいだと思っている」

「お前の言い方が下手なだけだ」

 平然と言い放たれてぐうの音も出ない。

「口べたか」

「あんたには関係ない」

「彼女は自分で思っているほど、体力がある訳ではないだろう」

「っ!」

「少なくとも、環境の変化への負担はお前よりも大きい」

 言い当てたベリルに感心すら覚える。

 いや、ティリスが少女だからと自然な流れでそう考えただけかもしれない。しかし、観察されているようで面白くない。

「それであんたは、その方法で環境に順応しようとしてるって訳か?」

「好きなだけだよ」

 リュートを牽制するように余裕の笑みを浮かべる。

「あんた……ジジ臭いな」

 反撃に出る。

「よく言われる」

 さらりと受け流された。

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