ファインダーなんかじゃ、みえないものは。

瀧本一哉

連休明けの何でもない日。

 令和、という新しい元号に変わり1週間くらいが経った。掲示板や配布資料に、ある意味わざとらしく「令和元年」などの表示が増えていて、これまで「平成」という元号にしか触れてこなかったからか、なんだか違う時代に来てしまったような違和感を覚えた。

 連休を挟んで久しぶりに大学に来たとはいえ、3年目にもなる大学生活はバイト先もずっと一緒のままで、彼女がいるわけでもなく、変わり映えしないものばかりな僕を置いて、時間だけ先に流れているような感じがする。


「アッキー、このあと講義あるっけ?」

ぼーっと考え事をしながら受けていた3限の講義が終わり、ガヤガヤとした教室の中で、僕の数少ない友人―仙崎海斗はそう聞いてきた。

「いや、ないよ」

毎週水曜日はこの3限までしか講義を取っていない。去年までにかなり単位を取っていてよかったな、と思う。

「映画見に行かね?3時40分からのやつ。中山さんが面白いってTwitterで言ってたから気になって。」

中山さん、というのは仙崎のゼミの担当教員のことだ。映像が専門なのに経済学部にいて、Twitterで映画とペットのことばっかり呟いてるヘンな人。学生からの人気が二分するタイプ。ちなみに僕は好意的な方。

 時間の確認のために見たスマホの画面表示には14:32。時間に余裕はあるし、仙崎は車を持ってる。今日はバイトも入っていない。けど。

「んー、ごめん、今日天気いいし、こいつでいろんなの撮りたくて。」

そう、何も予定がないからこそ、やりたいことをしたいのだ。

「買ってからずっと持ち歩いてるもんな。おっけー、他当たってみていなかったら一人でもいいや。触りすぎて飽きないといいけど。」

 仙崎はこういうときに無理に食い下がるような男ではない。だからこそ、ずっと仲がいいままいられるのだと思う。友人関係とラーメンはあっさりした方が好きだ。

「すまんな、また今度付き合うわ。こいつも飽きる前に使い倒さんと。」

「気にすんな、また誘うよ。楽しんで。」

仙崎はへらっと笑い、手をひらひら振った。

「さんきゅ。そっちも楽しんで。」

僕も彼に向けて手を振ると、仙崎は小さな青いリュックを背負って、ほーいと気の抜けた返事をしながら教室を出ていった。

 自分だけになった教室で、イヤホンをつけてお気に入りの音楽を流す。僕は荷物をまとめて、首からカメラを提げ、わくわくとした気持ちに引っ張られてスキップしてしまいそうになるのを抑えながら教室の前のほうへ向かう。

 古びた引き戸をガラガラと開くと、見飽きるほどに見慣れた廊下。ただ今日はなんだか、自分の知らないところにつながっているような気がした。屋上にでも行ってみようかな、と普段は下りる階段を上っていく。最上階の4階につくと、さらに上へと続くのは薄暗くて黴臭い空間。そこだけ雰囲気が違う。一段一段上るたび、目に入ってくる光の量は多くなり、暗がりの中に落ちた世界がもう一度色づくようだった。登り切った先の鉄扉を、ぐっと体重を乗せて右腕で押す。キィーっと耳障りな音が僕だけの階段に響く。と、視界が大きく開け、雲一つない・・・とまではいかないけれど、パレットに「そらいろ」の絵の具を垂らしたような空が広がっていた。

 4階建ての講義棟の屋上には鉄柵があるが、それほど頑丈に作られてる訳ではなく、充分に景色を眺めることが出来る。柵の方まで行くと、眼下には大学の敷地。豆粒のように見える人達が各々の目的地へと向かって歩いている。時々走っている人も。少し遠くを眺めると、地方都市らしい低い建物と田園の風景。そして空との境界には海が見える。

 そんなに広くないこの屋上からも、色々な景色を撮影出来そうだな、頬が緩むのが自分でもわかる。

 画面が少し割れてしまったスマホに白いイヤホンを差し込み、耳に当てる。「ミュージック」を開き、流すのはいつものプレイリスト。気だるげなボーカルと、王道的なサウンド。ロックの曲調が頭を満たしていく。ファインダーを通して見る景色が、シャッターを切るたびカメラのメモリーに、僕の脳裏に、記憶されていく。屋上から見える景色はすべてが小さく、ミニチュアのジオラマを眺めているようで自分以外の世界がただの被写体として存在しているような。そんな錯覚に酔いしれる時間、僕だけの世界。


プレイリストは5曲目。アニメの主題歌にもなった15年くらい前の曲。お気に入りのバンドの中ではかなりテンポが速い曲。

「・・・ぃ、・・・ぱい」

イヤホンの音楽に雑音が混じっている、と思っていると。誰かにトントン、と肩をたたかれた。右耳のイヤホンを外して振り向くと、

「こんにちは、せんぱい。」

そこには最近知り合った人文学部の後輩―高城唯がなんだか怯えたような様な目で僕を見ていた。突然話しかけられた僕はびっくりして

「あ、あぁ」

と曖昧返事しか返せなかった。しかし、考えてもみれば、晴れた日の屋上で音楽を聴きながら一人でカメラを構えているというのはかなり異様な光景だ。もしかしたら、口元が緩んでいたのかもしれないな、と思いながら、弁解する。

「盗撮とかじゃないよ?風景を撮ってただけ。ほら。」

そういいながら僕は今までとっていた写真を次々と表示させる。お世辞にもうまい写真とは言い難いけれど、気に入った撮り方ができた写真が何枚かあった。それを見ると唯さんはほっと肩をなでおろしたように息を吐く。

「よかったです。犯罪の現場を目撃してしまって、しかもそれが知っている先輩だなんてすごく嫌です。その説明聞かないと誤解されますよ。」

確かにそんな状況はすごく嫌だ。

「まぁ、うん。紛らわしかったね。ごめん。」

そう言いながら、よく唯さんは話しかけてくれたよな、と変に感心してしまう。と、同時に一つの疑問。

「あれ、唯さんは何しにここに?」

「学食で勉強してたんですけど人が急に多くなって、なんだか息苦しかったので、気分転換に景色を眺めに。ここ、この時間にほかの人がいるとこ見たことないですし、いろんなものが見えて気持ちいいじゃないですか。まぁ今日は先客がいましたけど。」

そう言いながら彼女は柵に手を乗せ、遠くを眺める。

「僕も久しぶりに来たけど、天気もいいから気持ちいいね。」

 僕も彼女に倣うように横に並んで景色を眺めようした。が

カンッ

とカメラのボディが柵に当たって高い音が響く。「おっと」と慌てて柵から離れてカメラを確認する。ボディを見回しても、傷はない。液晶の表示も問題ない。よかった。

 振り返ってその様子を見ていた唯さんはくすくすと笑っていた。僕もつられて笑ってしまう。すると彼女は何か思いついたように口を開いた。

「ねぇ先輩、撮ってみてくださいよ。」

そういうと彼女はまた笑った。今度は少し悪戯っぽい表情だった。そして柵に背を向けて僕のほうに向く。

「人をとるのは初めてだし、うまくなんて撮れないよ。」

僕はそう予防線を張ってから、カメラを構える。

「その時はうまく言い訳してくださいね。すぐ言葉で訂正してしまえばいいんです。」

そんな意味ありげの言葉を彼女は云う。

 ファインダーをのぞくと、彼女は、決して飾らずに、すごく自然体で立っていて、少しだけ、笑っていた。

 シャッターを切る。

 軽快な機械音がして、カメラを顔から離す。ファインダーでのぞいた景色がほとんどそのまま、液晶に表示された。画面下側は、屋上の薄汚れた灰色。画面上側は偶然にも、雲一つない、一色に染まった空と遠くに見える海。そして画面の右側には白いパーカーと濃い紺色のデニムに身を包んだ少女。どこか儚いように見えて、でもなんだか、くっきりとしたように見えた。

「撮れました?」

そう聞いてきたので、画面を見せると、被写体となった少女は、うれしそうに笑って、

「ありがとうございます。うまいじゃないですか。買って2週間くらいですよね?」

そう訊いてきた。

「ありがとう。うん。そういえば買ったときにTwitterで載せたもんね。被写体がいいおかげでいい写真になったよ。」

少し調子づいたような言葉を言ってみる。彼女は少し照れたようにまた笑った。

「唯的にはすごくこの写真気に入りましたけど、先輩にとってもとりあえずは令和で一番の写真ですかね?」

彼女らしい言い回しで僕の写真をほめてくれる。

「そうだね。最近やっと令和になったって実感が湧いてきたところだけど。」

僕はカメラのレンズにカバーをつけて、カバンにしまう。そうしてから、今度こそ、柵に乗り出して、景色を眺める。

「カメラを買ってから毎日いろいろ撮ってはいるけど、平成と令和で映るものが変わったわけでもなくて。まぁ僕の技術不足もあるんだろうけど。」

僕は独り言のように言う。

「まぁ、急に何かが変わるってほうが珍しいですね。令和になったっていうのも、確かに講義で先生がそう言っててはっとしました。令和っていう字をいろんなとこで見てはいましたけど、言葉で言われるとなんだか急に実感しましたから。」

 言葉。たしかに言われてはじめて気づく、ということは多々あるな、と思った。僕の横に並んだ彼女のほうをちらりと見てから、再びどこを見るわけでもなく前を眺める。

「それでも、少しずつ変わるいろんなものの、今しかない瞬間、みたいなものを閉じ込めたいのかも。カメラを使って。」

「素敵です。唯的にその考え方好きです。」

「ありがとう。まぁ、令和になっても僕の生活は、そんなに変わることもないだろうから、気ままにいろいろ撮っていきたいとは思うんだよね。」

僕がそういい終わると、少しの沈黙が流れた。

 何を話したらいいかな、と思いながら彼女のほうを見ると、何か考えるような素振りを見せてから、つぶやくように僕を呼んだ。

「昭さん。一つだけ、変えてみませんか?先輩の生活。」

 どういうことだろうと思って彼女の顔を見る。何かを決めたような表情をしていた。

「私と―――」



 彼女の言葉は最後まで聞き取れなかった。正確にいえば、聞き取れたけれど、意味を理解するのに時間がかかってしまった。それでも僕はうれしいような恥ずかしいような初めての経験に、ただ、頷くことで返事をした。

 それは、あたらしい元号、なんて実感しにくいものじゃなく、もっとわかりやすくて、でもカメラで撮影した時にはわからなかった感情で。ただ一つ、僕たちの関係性はその時から変わって、そして新しく始まった。

 あれからだいぶ経ったが、そういわれるまで全然わからなかった、と彼女に言うと

「ファインダーなんかじゃ見えないものがたくさんあるんですよ。だから私たちは言葉でつたえるんですよ。」

そう少し得意げにいつも答えてくれるのだ。

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