第2話
「エイジ、起きて。行くわよ」
小さな声でヤヨイはエイジの体を大きく揺らした。幾ら揺らしても揺らしても起きない。大蛇のゾーグスが体に絡みついても目を開けようとしない。
「仕方ないわね、残して行きましょう」
「はいはいはーい!起きた!起きました!」
そう呟いて家を出て行こうとすると、エイジが殺された演技の終わったベテラン女優のように唐突に起き上がった。
「早く準備して、起きるのが遅いのよ」
『そうだぞ、何時だと思っている!』
ヤヨイの代わりにラズベリーがエイジを叱ってくれた。エイジは今までに見たことのないスピードで着替え、荷物を持った。
「何時なの?」
『3時だ!』
「早すぎるよ、いつもいつも・・・・・・」
「早く出ないと、時間が足りないのよ。それよりもねえ、ラズベリー、この子たちどうしようか?」
地上に出る前に問題が幾つか発生した。
1つ目は、他の猛獣たちをどうするかと言うことだ。放って置くわけにもいかないし、連れて行くとしてもどうやって連れて行くのか。
2つ目は、直射日光に弱く体も弱いエイジをどうするかだ。
『全員連れて行けば心強いのではないか?』
「確かにそうね。食費を稼がなきゃならないけど」
『それは少し厳しいな』
地下で稼ぐのも厳しいが、地下の人間が地上で稼ぐのはそれよりも厳しい。これからは色々な土地に行くことになるのだろう。その中で稼ぐとなればモンスターを捕らえるか、月に一度起こる異空間変災を食い止めるか、宝石商でもするかしかない。
「それよりも、エイジの薬調達をどうするかよ」
『家にある薬は持ってきたが』
「足りるかしらね」
1人と1匹が暗い顔で話し込んでいると、エイジが不思議な表情でヤヨイの背中をじっと見つめた。
「え?」
「体の弱いあなたが心配なのよ、分かるでしょう?」
螺旋階段を上りながら、後ろを振り向いた。後ろには猛獣たちが好きなように話しながらついてくる。猛獣たちの子どもたちをそれぞれ1匹ずつ腕の中に抱いて螺旋階段を上りきった。
「流石にまだ暗いわね」
『静かすぎて奇妙だ。生命体がひとつも感じ取れない』
「ラズベリーもそう思う?」
銀狼たちは微風ともいえぬ空気の、かすかな揺らぎに浮くほの甘い香りを喜ぶようにあごを突き出し、鼻孔を膨らませて大げさにくんくん嗅ぐ。
エイジは初めての地上で怖いのか、ヤヨイの袖をしきりに引っ張ってくる。
「そんなに引っ張らないでくれる?」
「こ、怖いんだもん」
なにが「だもん」だ、気持ち悪い。ツンデレが一番面倒くさい。とは心の中では思いながらも、それを口には出さずに苦笑いをして話しを流した。
少し歩くと人狼たちが住む〖人狼の森〗に差し掛かった。雨に濡れたクローバーの葉がつんと匂った。雨上がりを連想させるしっとりした香りだ。
「ここを通ったようね」
人が通った後に必ず残る体臭が、この辺りは特に濃かった。
『グルルルルルッ』
『ハフーッ!』
銀狼たちが呻き声を上げて、
『シャーッ!』
『シューッ!』
蛇たちが威嚇しだした。他の猛獣たちも霧の掛かった暗闇に向かって吠えたり唸ったりし出した。
『ヤヨイ様、どうやら・・・・・・』
蛇一族の長、ルルーガが言葉を濁してシューシューと細く長い舌を出し入れする。
『地上の住民たちが死んでいるようだ』
ラズベリーがルルーガの言葉を引き継いだ。確かに人血の強い匂いが鼻につく。腹の奥から酸がせり上がってくる。
霧を抜け歩を進めると、ぴちゃりとなにか水たまりを踏む音がした。少し湿った土の上に昨日の夜に起きた豪雨で出来た水たまりの水と混ざった人血がそこら中に流れていた。
200以上の人が血を流して倒れていた。まだ血は乾いていない。殺されて間もないか、自ら自決したか。
『酷いな、これは』
「人食い怪物たちに殺されてるの?」
『다릅니다 이와 같은 죽이는 방법은 식인 괴물은 불가능합니다. 게다가이 냄새는 반 요괴입니다』(違います、この様な殺し方は人食い怪物には出来ません。しかもこの匂いは半妖です)
韓国出身の妖怪で、龍一族の長、イムギが空をふわふわと飛んでいた。
首に調理用ナイフがグサリと刺さっていたり、頭が斧で割られていたり、グロい殺され方をしている。
「おえぇぇぇぇ・・・・・・」
エイジがいきなり吐いた。朝食に食べたブルーベリージャムつきのイングリッシュマフィンがほとんど丸ごと出てきた。自分の服に掛かりそうになったヤヨイは、それを俊敏によけた。
「薬なら、リンズの背中に括りつけてあるカバンの中に入っているわ」
銀狼一族の幹部とも言えるリンズを指差して、死体を1つ1つ見て回る。殺され方は3つに分れていた。
1.首を調理用ナイフで一刺し
2.頭が斧で割られている
3.首が折られている
全て肩から上を刺されて死んでいた。この殺し方は人食い怪物の殺し方ではない。
「ねえ、急ごうよ。まだ居るかも知れないじゃん」
辺りをしきりに見渡しながら、エイジはヤヨイの背中を押す。この状況が薄氷の上を歩いているみたいに危なっかしいと言うのが分かっているのだろうか。しかし。
『それはない』
「人食い怪物たちの匂いがしないもの。でも、鼻が曲がりそう」
顔をしかめて袖で鼻と口を隠した。これほど強い血気を嗅いだことは無い。雨水で薄れた人血でもキツすぎる。
『弥生先生,这是什么?』(ヤヨイ様、これは何でしょうか?)
中国妖怪の長、檮杌(とうこつ)が木に刻まれたある文字をすんすんと嗅いだ。
檮杌とは中国神話に登場する怪物の一つだ。
頭も良く、それでいて頑固な妖怪で、常に平和を乱そうと考えている。と考えられているが、実際のところは頭の良さを生かして、良く協力してくれる。
「『I』?ローマ数字?何千年前の文字かしらね」
『地下の書物で読んだのでありんすか ?ヤヨイ様』
妖精一族の長、菊月がヤヨイの肩に掴まり、羽を落ち着かせて耳に顔を近づけて言った。可愛らしい顔をしているが冬や糸紡ぎ、あるいは厄災の精霊だ。ヤヨイに懐いており、ヤヨイの周りにやって来る厄災を全て払い除けてくれる。
「ええ、昔のローマ帝国って言う国で使われ始めた数字文字なの」
興味が、心の層のずっと奥深いところから泉のように湧いて来る。謎を早く解きたい興味と誰か何処でこれを知ったのかを知りたい興味が混ざり合っていた。
「なにを示しているのかしら」
深くは悩まず死体の特徴を見つけ、本の形に作られた日記帳に何かを綴り始めた。メモ帳に綴られたのにはこう書いてあった。
【2月3日(水)AM3:25
人食い怪物と一緒に地上の人間たちがいなくなった。人狼の森で人間たちが殺されているのを発見。辺りに人食い怪物はいない。殺され方は細かいもので人食い怪物には到底出来ない殺され方であった。イムギの見込みでは、半妖の仕業とのことだ】
ヤヨイは日記を付ける習慣がある。しかしその日記の付け方は少し違っている。気に掛かったことがあれば、すぐに日記帳に書く。
日記自体、表紙も紙も猛獣たちとエイジと共に作った物である。
『しかし、これは何の意味があるんだ?』
「さあね」
サクサクと草を踏み倒して、歩いて行くと先程の鼻の曲がるような嫌な血気とは違う意味で、鼻の曲がるような嫌な甘い香りが漂っていた。すぐそこにあると言っても良いほどの隣街、〖フォードエンブレム街〗の花環街に差し掛かった。
花環街とは今の世界で一番花が咲いている街だ。
『ここはいつ来ても、綺麗でありんすね 。心が安らぎんす 』
菊月と妖精たちは花の香りを嗅いだり、花粉を散らしあったりして、遊び始めた。他の一族の猛獣たちも楽しげに遊んでいる。
「おかしいわよね、この花の咲き方は」
「なにがー?」
エイジは妖精たちと遊びながら、こちらに駆けてきた。エイジの髪には花粉が沢山ついていた。
「この辺り一帯だけに花が咲いているのよ。おかしいと思わない?」
『이렇게 말해 보면 그렇네요. 뭔가가 이상한 생각도합니다』(そう言われてみれば、そうですね。なにかがおかしい気も致します)
ラズベリーたちが擦り寄ってきた。
『你试着把它挖回来吗?』(掘り返してみますか?)
「ええ、そうして」、と言う前に何処かからざくりざくりとなにかを掘るか削るかする音が聞こえてきた。
「誰かそこにいるの?」
花畑の中に背中を丸めて黒いコートを羽織った青年がいた。手にはスコップを持っていた。
「何をしてるの?」
近づこうとすると、危険だからとイムギが弥生を背中に乗せて、空をゆっくりと低飛行した。
「・・・・・・・・・」
青年はこちらをじっと見て、青年を囲んだ猛獣たちを見回した。
「・・・・・・地面、掘る」
青年はそれだけ言うと黙々と地面を掘り始めた。
「あなたもこの花畑を不審に思っているの?」
そう問いかけると青年は、勢い良くこちらを向いた。イムギの背中に同じように乗っているエイジが恐怖の念を強く発していた。
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